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月刊コグマ#番外編 Twenty

真の意味でやりたいことができる人は羨ましいって言ってるけど、そもそも自分はやりたいことをやろうとしてるのかって話なんですよ!!

ここは自分のフィールドなんだから、もっと自由であるべきだ。

いつもは書きたい話をピックアップして、その話を出来るだけ薄く広げて伸ばして、生地を作ってる。

… 記事を作ってる。

でもさ、ここは月刊のそれも番外編。

20を迎える彼のために、それよりも過去の自分がプレゼントとして用意した、
「書きたいことをルールに縛られずに書く」月刊コグマの場 なんだから。

いつもの月刊よりも、手が込んでいて手を抜いているモノになっていると思う。

まぁとりあえずこの場にふさわしい、はじまりの言葉でも書いておこう。

Happy Birthday!
誕生日、おめでとう!

あ、書いてて思ったけど、これもHじゃないか。



ひとごみ

朝、電車に乗って学校へ向かう。

途中、高田馬場駅で下車して、山手線に乗り換えをする。

山手線のホームはまさに通勤ラッシュで、人がぎゅうぎゅう詰めになって溢れんばかりとなっているのだ。

その時に。
階段の上から見下ろす度に
ホントにごみみたいだよなと思う。

「人がゴミのようだ」っていうけど
ホントにごみみたいなんだよ。

高校、大学と通学に電車を使っているが、やはりあれほどなのは流石都会というべきか。

電車に乗るときも、先に乗っている人のことなんか、考えずにムリヤリにでも乗ろうとしてくる人が多い。

だから押し潰されて、苦しい状態で車内で過ごさなくてはいけないのだ。

ここ1年で学んだことは、人を人と思わないこと
常に自己中であること

ほんとうにくだらない学びだと思う。

それぐらい、あの車内は非情なのだ。

乗るときの、押し潰される苦しさもそうなのだが、これは降りるときにも通用する。

扉が開いた途端に、
誰もが我先にと外へ出ようとする。

まるで鯉のエサやりをしようとしたら、池から鯉が大量に溢れ出して、一斉に口をパクパクしてるみたいだ。

外から見ても、中から見ても醜いと思う。

ひとごみ の ごみ は本当は 混み だけど、
この光景を見ると、ダストの方のゴミなんじゃないかって感じるときがある。

だからといって、みんなが互いのことを考えながら乗ったり降りたりしてるのも、見様によっては気味が悪いかもしれないが。

今、僕の目の前には大勢の人たちがいる。

山手線の電車待ち。

僕も今から、ごみになる。

辺りの人に申し訳ないと思いながらも、押し潰すだけしかない現実に流されるだけ。

いつまで、続くのだろうか。

正直な話、別のところに引っ越すのも手かもしれない。
こんなことで罪悪感が芽生えてるんだから。

悩み事は抱えすぎると、いつか身を滅ぼす。

結局僕は、人を人と思わないことにも慣れてしまったので、この中途半端なところから後戻りすることは難しいかもしれない。

それでも、ごみになってでも生き抜くのが、大人になるってことなら、なりたくもないのだけど、そうはいかないのが難しいところだ。

ごみになるのか、ならないのか。

このさきの道の自分は、どうなっていくのかな。


幕間:日村さん

先月の月刊コグマ。

タイトルは「H」。

これも、去年の「S」とおんなじように、BANANAMAN LIVEから影響を受けて、話を作りました。

縛りをもうけて文章を書くっていうのは、なんか一種のゲームみたいで、なんだか楽しいんですよね。

とはいえ、SやHはそこまでの縛りでもないんですけどね(笑)。

まだこのシリーズはとりあえずあと2本あるので、来年 再来年 と楽しみにしててください。

Hといえば、オープニングテーマはchelmicoさんの「H」という曲でしたね。

バナナマンライブのために書き下ろした一曲なので、歌詞はまさに日村さんらしいものになっています。

歌詞で一番好きな部分は、

やってみれば 全部やれちゃうし
おまけに 才能もバレちゃうし
歩いたついでに 蕎麦食べちゃうし
必殺技は looking green

chelmico 「H」 より

というところですね。

ちなみに、日村さんエピソードとして一番好きなのは、おにぎり全部食べちゃった話です。

話のオチも含めて面白いので、
ぜひ、聞いてみてください。


春雷

一目惚れってどんな感じなんだろうか。

ほんとうに、一目見ただけで心に嵐が住み着くみたいに、ドキドキが止まらないのかな。

いつか、一目惚れしてしまうほどにタイプな人が僕の目の前には現れるのかしら。


小学生の頃のこと。

友人の1人が、後輩の子に一目惚れをしたとかなんとかでアタックして付き合った、という噂が回っていた。

それが本当のことかは分からないが、その友人はイケメンなスポーツ万能の野球少年だったので、それでクリア出来てもおかしくはないと思っていた。

その噂を聞いて思ったことは、
「一目惚れって本当にあるんだなぁ」
ということ。

その噂を聞いたときは、好きという気持ちの感覚が曖昧で想像も出来ないくらいのレベルだった。

そういうのもあって、まさに夢物語を聞いているような感覚でその噂を受け止めていた。

今の僕があのときにいたら、その感情や感覚をそのまま受け止めることが出来たのかな。


バイト帰りの夜。

アルバイトから上がって、私服に着替えるために荷物を取りに戻ろうと先輩と一緒にバックに向かって歩いていた。

その時、1人の女の子とすれ違った。

背中の真ん中まである髪を1つ結びにしていて、
背中が真っ直ぐな、とても姿勢の綺麗な女の子だった。

自分は猫背なので、あれぐらい真っ直ぐだといいよなぁ、なんて思いながら着替えに向かった。

帰り道。

先輩と話していると、
「あの子、可愛くない?」と
先ほどの彼女の話をふってきた。

たしかに姿勢良かったし可愛かったし、
良かったと思う。

道を別れる前に話した最後の言葉は

「俺、あの子を見てから姿勢気を付けるようにしてるんだよね。」
「これはほぼ一目惚れだと思う。好きだもん、あの子のこと。」

だった。


一目惚れをしてみたいと思う。

そんなひとに会ってみたいと思う。

「一目惚れをした人の近くにいた自分」の話を今回はしたわけだが、次は自分がその体験談を語れたらいいなと思う。

正直、そんな人に会えるとは思ってないけど、
願う分にはタダだからさ。

僕の心にも嵐が住み着く瞬間を楽しみに待っておこう。


サマー・サンシャイン

なんで僕は海が好きなのだろうか。

夏の暑さが厳しくて、涼みついでに頼まれた食材を買いにスーパーに入ったとき、ふと思った。

今までは特に疑問に思ってなかった、
というか 今もそこまで疑問には思ってないのだが、ふと思ってしまったのだからしょうがない。

そもそもの話、人間自体が綺麗なものを見るのが好きなんだから、海を見るのが好きなんだろう。
と僕は思っている。

汚いものを見るよりは綺麗なものを見た方が、心もすっきりするし、感動だって得られるはずだ。

でも、だからといって、毎年海に行って景色を見に行くほどのことか?
とも思うわけだ。

海のどこが好きかと聞かれると、
とりあえず 波の音と答えるようにしている。

あの波の音を聞くと、どこか心が洗われてとてもすっきりとしたような気分になる。

ザザンと揺れて、押しては引いてく。
あの1つの流れが僕は好きだ。

あの揺れる波を見るだけで、何分も時間を費やせるぐらいにはお気に入りの瞬間だ。

陽の光に照らされて、きらきらとしている海を見るだけで満足した気分になる。

今、さらっていった砂たちはどこまで届くのだろうか。

見えない向こうの岸や浜まで届くのか。
それとも途中で海の中の砂となり、海といっしょにきらきらと光を反射しているのか。

あのカモメはどこまで飛ぶのだろうか。
今、泳いでいる家族はどこから来たのだろうか。

海を見ていると色んな疑問が運ばれてきて、
そんなくだらない疑問に僕なりの答えを1つ1つと追加していく。

そんな瞬間が好きだから、海を見に行くのが好きなのだと思う。

どの海も同じ景色だけど、違う景色。

この海の思い出の1ページを増やすために、
僕はまた海を見に行くのだと思う。

海をめぐる旅へ

AUTUMN LEAVES

そこに着いたとき、1番始めに目に入ったのは道いっぱいに敷きつめられた 黄色いイチョウの葉っぱだった。


高校時代の秋といえば何なんだろう?

この記事を書くにあたって思ったことがそれだ。

一概に秋と言っても、たくさんのものがある。

なんなら食もスポーツも、なんだってある。
万能の季節だ。

ここまでの20歳になるまでにも色々な経験をしてきて、自分のフィルターに色々なものを通してきた。

その中でふと、フラッシュバックのように思い出したのは、あの鹿児島のホテルの前の1面イチョウ並木で黄色が敷きつめられた光景だった。

とはいえ、時期的には12月頭だったと思う。

修学旅行で九州大横断の旅に来ていた自分達のクラスは、1日目に鹿児島県に訪れていた。

駅からホテルまでの道。

あの道から既に、イチョウ並木が中央の大通りに添うようにズラッと並んでいた。

少し歩くと道が見えなくなり、地面はほぼ黄色のイチョウに侵食されていく。

不思議なことに、銀杏の実であるギンナンの臭いがするかと思っていたのだが、そんなこともなく。

なんなら、その実が潰れてもいなかったし、落ちてもいなかった。

本当にイチョウだけのカーペットになっていたのだった。

夜は近くのトンカツ屋さんでご飯を食べて、ショッピングモールへ行って、本を買ったり屋上にあった観覧車に乗ったりして満喫して、1日目は終了。

朝、起きて外を見ると、とても良い感じの景色が広がっていた。

奥の山がたぶん桜島

奥の朝焼けと、イチョウのどこか優しさを感じる黄色の雰囲気。

どこかノスタルジックな雰囲気をあの瞬間、自分は感じた。

それは、昨日はあった黄色のカーペットが無くなっていることにも、もう1日目が過ぎていったという悲しみも。

しんみりとした気持ちと、キリッとした風の両方のおかげだと思う。


秋といえば、だけじゃない。

秋の木にはたくさんの これといえば があると思う。

モミジとかキンモクセイとか。

だけどやっぱり、自分の中でとても印象に残っている 秋らしいワンシーンはこのイチョウ並木なんだなぁとわかった。

修学旅行のことを思い出していたら、また九州に行きたくなってしまった。

いつ行くのかとか、詳しいことはまだ決めないけど、いつかまたこの足で訪れるとしよう。

あのワンシーンを両眼のフィルムに収めるために。


ゆきが降る街

今年の頭が既になつかしい

今年のあたま、2月頃だったか。

突如雪が降り始め、大学の授業も早上がり。
電車も遅延に遅延を重ねて、想像よりも遅い時間に最寄り駅に着いた。

駅から自宅までの道もまっしろに染まっている。

既に僕の前に何人も歩いているはずなのに、目の前には新品の雪の道が用意されていた。

12月頃はあんなに雪が降るのを楽しみにしていたのに、いざ降ってみるとこんなにも憎たらしいものだったなんて。

というのも、雪を見るの自体がとても久しぶりだったからに他ならない。


保育園、小学校、中学校までの約12年間ほど。

自分は愛知県の岡崎市で暮らしていた。

そこでは、中学時代ではまったくと言っていいほど雪を見ることが無かったが(降っても積もらなかった)、小学校のときは割と雪が降って積もった記憶がある。

学校のある日に雪が積もると、授業の時間を1つ変更して、クラスで雪遊びをして遊んでいた。

片や雪合戦をする人がいたり、片や雪だるまを作る人がいたり。

最終的には、クラス一丸でどんと大きな雪だるまを作って遊び終わる。

そんな光景が小学生のときにはあった。

手袋を使って、雪だまを握りしめた日のこと。
ちっちゃい雪だまを転がしてだんだん大きくなっていく雪だるまに感動を覚えた日のこと。

かまくらを作ろうとしたけど、ここに降っている雪じゃそんなものは作れないと気づいた日のこと。

全部、全部覚えている。
この思い出は忘れたくない。


富士市に住んでいたころはまったくと言って良いほど雪が降らなかったので、残念ながらそんな思い出は何一つない。

もし、雪があそこでも降っていたら、楽しかった記憶として保存されていくのだろうか。

季節に絡んだ思い出は、手放そうにも手放せない。
というか、そもそも手放したくない思い出ばかりだ。

どうでもいい思い出もいっぱいあるけど、思い出はどうでもいいからこそ面白いとも思う。

記録もするに値しない。
そんなくだらない記憶。

全部まっしろに染まっていったら、いつか記憶も白く染まって、いつかは灰のように散り散りになっていく。

それまでにどれくらいの思い出を貯めることが出来るのか。
少し、楽しみだな。

今年は雪が降るのかな。

去年は岡崎市でも雪が降って積もったらしい。
自分の今暮らしているこの街でも、また雪が降るのかどうなのか。

首を長くして待っていようと思う。


幕間:ヨーグルト

最近、とてもヨーグルトにハマっています。

最近とはいえ、ここ数年前からなのですが、今までは特にそこまで思ってなかったヨーグルトがとてもおいしく感じたんですよね。

今のところ、一番好きなのはダノンプレーンです。

あれくらいの甘さが好きですね。

次点で牧場の朝
ただ、あれはちょこっと高い印象があるんですよね…

美味しいからこそしょうがないといえば、そうなんですが。

あのヨーグルトの固さ、食感が好きです。

ヨーグルトを食べてると、なんか健康的な食事をしている気分にもなるので、おすすめですよ。

みなさんは好きなヨーグルト、ありますか?

あ、こんなの書いてたら、ヨーグルト食べたくなってきちゃったな。


愛しい2人へ

見ているだけで幸せになるような、愛おしい2人がいた。

1人は、ハウジングアドバイザーとして店舗で働いている26歳の青年である

もう1人は、お弁当屋さんでアルバイトをしている18歳の女の子の

清の行きつけのお弁当屋で出会った2人は、清の決死の告白によって、高校卒業後に婚約することになった。

これは、女の人の目を見て話すのが苦手な、童貞である清とそもそもの知識がない澄が、紆余曲折あって最終的にいとなむまでの話である。


9月のある日、いとなみいとめず という漫画を読んでいた。

始めの数話を読んで、とても面白いと思い、電子書籍の方で全巻購入をした。

この漫画の最終着地点は2人がいとなむことである。

その間にいくつもの山や谷があって、最終的にいとなむ。
その過程を僕たちは見ていくわけだ。

物語終盤、清のことを改めて好きだと心の底から気付いた澄は、清といとなみたいと思うようになった。

その反面、清は序盤に澄に怖がられたこともあってかいとなみに踏み出すのに1つの恐怖を覚えていた。

この2人のすれ違いが1つの喧嘩を呼び、仲がギクシャクとしてしまう。


漫画を見ている第三者の自分はとてももどかしい状態であった。

澄の言うことも清の言うことも、どちらもすごく分かるからだ。

今までのテンポのままで良いじゃないか。
仲良くやってきたじゃないか。
なんでそんな…いつもの君じゃないみたいだ。

そう言う清の気持ちも。

もっとあなたと繋がりたい、結ばれたい。
あなたのことをずっともっと知りたい。
私の気持ちに気付いてほしい。

そう言う澄の気持ちも。

どちらも互いを想い合うからこそ、すれ違ってしまったみたいなものじゃないか。

そうやって不和になっていく2人を見ていて、とても心が痛かった。

でもたぶん、この不和が無かったら、欠けていたら駄目なんだと思う。

2人の気持ちぶつけ合わせて、お互いに自分の良くなかったところを見つめて、そうして改めてお互いを見つめ合って。

それでようやく、2人が同じ方向を再び向くことが出来たんだから。


愛おしい2人へ。

いつまでも、末永く、元気で。



まとめ:Next Age!

自分がもう20歳になる ということが全くもって実感できない。

いや、これを投稿してるころには既になってるのか…

言ってしまえば、真に大人の仲間入りした ということだ。

何回もこの月刊で話題に出しているような、
大人になる/なった
という感覚がまったくしない。

見た目も精神的な面も、どちらもまだまだ中途半端って感じ。

考えてみれば、高校卒業から2年しか経ってないわけで、中学卒業から5年しか経っていないわけだ。

たかが数年、されど数年。

たぶん、これだけの年数の中で大きな成長をした人だっていっぱいいるはずだ。

その人たちと比べると、どうしても自分が劣っているように感じてしまう。

それもこれも、自分がここまでの間に成長をしてると感じないからだ。
なんなら道を踏み外しまくっているとさえ感じる。

いろんなところで失敗をしてきた。
今年の5月の出来事もそう。

これもまた、いつまでも引きずって歩くんだろう。

色々な場所へ行く度に、色々な思い出を書いたり話したりする度に、あの時のことを思い出す。

結局、僕は怖がらせてしまったし不快な思いをさせてしまった。
たぶんそう。

そろそろ、本当に自分に自信がなくなってくるぞ。
自分の選択がすべて裏目に出てるんだから。

信じて前に突き進むだけだ 大作戦も失敗。
だからって優しくするだけじゃ、1歩も進めない。

くだらないや。

自分にはこういう恋愛は向いてなかったと腹をくくって、無理やりにでも前を向くしかない。

たぶんこれからも、今回の失敗だけじゃなくて、全部の失敗を至るところで思い出しては、感傷的な気分になって落ち込むんだろう。

ナヨナヨしていて、毎回悩んで、毎回暗くて。

でもそんなんじゃ、恋愛どころか新しい朝すら巡ってこない。

だから無理やりにでも前を向くんだ。
そのうち、ちゃんと前を向けるようになるはずだから。

最近は、あの子の笑った顔も頭から薄れてきて、少しは痛みも引けそうだし、いい感じかもしれない。

性格だって、中学時代のようなめっちゃ元気な人間と高校時代のようなめっちゃ根暗な人間、その両方のエッセンスを上手いことミックス出来ている気がする。

20歳になったからって特に新しい景色が見えるわけでは無いけれど。
眼鏡を新調するような気持ちで。

新しい始まりが迎えられるように、色々なものから目を背けないで頑張っていこうと思う。

いつか、理想の自分になれるように。

そして、過去の自分に胸が張れるように。

改めて、

誕生日、おめでとう!!

20歳の世界かどう見えるのか、
それは未来のお楽しみだ。


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