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無我の境地

会社の同僚が自粛が続きすぎて「なんでいつか死ぬのに頑張って仕事して生きてるんだろう」って疑問を頂きだしたらしくて、このままじゃメンタル大変なことになるなって思いました。

あ、こんばんわ。
銭湯大好き一般人のがわです。

実は私も、この同僚みたいに『生きてる理由』みたいなのが分からなくなってかなり悩んだ時期がありました。(その頃仲良くしてくれてた方々にもたぶん気づかれてないはず)

たぶん、割と悩んだことある人っているんじゃないかなーって思います。
そんなに深いことじゃなくって、単純に『生きる理由を探すために生きてる』って考えればいいと思うんですよね。

もちろんそれって、相当大変なことだし、疲れちゃうとも思うんですよ。
でも、だからこそ面白味があると思うんですよ。決して楽しいではなくて、面白味があるです。楽しいは「楽」って言う字を使うことからも分かるようにしんどさとか大変さは度外視できるんですよね。

一方面白いって言うのは、楽ではないんですけど、とにかく面白いです。楽しいとはまた違う感覚だと私は思っています。

未だに私も生きてる理由なんて良く分からないですけど、とにかく手探りな感じが今では面白いです。それでも大変だなー嫌だなーって思いますけど、まあ生きるっていうのはそういうことなんだと思います。

さて、なんかなんとも言えない話題から入ってしまいました。
今日も変わらずリモートワークをしていましたよ。
まあその時に同僚からそんな話が出てきたわけでした。
普段そんなこと全く考えないような、むしろそういう事で悩んでる人を小馬鹿にするタイプの奴なんでちょっとびっくりしました。

私自身も自粛期間中に色々と思うところがあったり、考えたりしています。
実際にこのまま今の会社にいていいのかとか。
もっと他にやりたいこととか、向いてることがあるんじゃないかって考えたり。

あるいは大好きな銭湯に何かできることはないかなってずーっと悩んだり。
これについては、きちんと固まったらまた書きたいと思います。
動き出す予定だったものが、自粛の影響をもろに食らって止まってしまっているので。

でも結局、今は今で必死にやってるのでそれも悪くないかなって少しずつ思えるようになりました。本当に少しだけですけどね。

あとは自粛期間中になって感じたのが、人の視線を気にせずに仕事できる環境って想像よりも良いなって言うことですね。

前にもnoteに書きましたが、私は病的なまでに人に嫌われるのが怖くて人の視線ばっかり気にして生きています。多少改善してきてはいるけれども、それでもやっぱり人の視線は怖いです。

仕事中も常に人の視線を感じていると、ものすごいストレスなんですよね。
出社すると尋常じゃないくらいトイレが近くなって、かなりの回数トイレに行きますし(病気ではありません)、冷や汗みたいなのが出てるような状態です。

テレワークになってそれが無くなったので仕事の効率自体が上がりました。
途中で誰の目も気にせずに息抜きができるっていうのも大きいと思うのですが。

実はこれって仕事だけじゃなくてSNSにも言えてるんですよね。
昔はSNSってこんな活発じゃなくて、一部の人たちの秘密基地というか隠れ場的な場所だったと思うんですよ。実名でやってる人なんてほぼいなかったし。それでも今はその繋がりが強くなって、ついにはSNSでも嫌われることが怖くなってしまったんですよね。

初めてSNSやった時はそれこそ直感的に好きなこと思ったことなんでも投稿してたけど、今は打ってから内容見て、投稿やめるってことが増えました。

その代わりに、南海キャンディーズ山里さん方式でノートに書きなぐってることが多々あります。(妬み嫉みとかもありますけど、それ以上に自分の思考的な話しがほとんどです)

こうやって様々なものが急速に変化しているから、きっとコロナウイルスが終息するであろ未来もまた劇的に変わっているんだろうなあ。

そこに適応することから頑張らないと。

がわ

PS.
今日はから揚げを作ってもりもりとご飯食べました。
もう眠たいです。


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