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僕の新卒就職の話【営業マンの「ふじけん」】

【スポーツを通じた「教育」を売りたかった】

中学生までは勉強もスポーツもできる優等生で、地域でもトップの進学校に入学し、スポーツが得意なのはしっかり健在、でもちょっとずつ学業がおろそかになり、友人や彼女と過ごす時間が増えてきて、大学入試で慌てる、という、いかにも高校生あるあるの、ちょっとだけ恥ずかしいエピソードを持つ僕なのですが、大学卒業後は割としっかり社会人になったんですよね。

僕はサッカーが大好きで、大学は地元の千葉大学教育学部に入学し、スポーツ科学を専攻しました。
皆さんの学校にも、なぜか毎日ジャージで授業を受けていて、たまに汗臭い人がいたでしょう。
僕、それです。笑
保育士の母親の影響もありましたが、若い頃から人に教えるのに興味があり、自分が好きなことを誰かにも好きになってもらえると、とても嬉しくなる性格でした。
だから、僕の大好きなスポーツを通じて、子ども達がそれに熱中し、努力・友情・勝利という週刊少年ジャンプのような爽やかな世界感を体験して育って欲しいという思いから、スポーツ教育イベントを企画・実践できる企業に勤めたいと決意し、大学卒業後は、大手上場企業のアマチュアサッカー大会の企画運営を担当する部署に就職したのでした。

【けっこう実績を出す営業マンだった】

「スポーツを通じて世界の平和に貢献する」と今思うと少し恥ずかしいですが、就職活動の軸としてはこれを語りながら就活に取り組んで最初の会社に入社しました。
一方で、これは民間企業のビジネスであり、当然営業ノルマがあって、そういう自分の掲げた理想や綺麗ごとでは済まされない局面も多々ありました。
特に金銭面の交渉では、クライアントと折り合いがつかず、せっかくの素晴らしいイベントを届けられない時があったり、「こうしたいなぁ」という希望を上司に却下されたりなど、数々の挫折を経験しましたが、周りの人に支えられながら部署の中でも営業成績を出すことができ、社長賞をもらったりもしていました。
いつしか僕は、「スポーツだけでなく、教育のエリアで貢献できる人になりたい」という思いが湧いてくるようになり、同時に「絶望的なハンディを持っている子どもたちが笑顔になれるような事業に関わりたい」という意識が高まっていき、留学で培った語学を活かして、JICAの青年海外協力隊事業に参画すべく、1社目の企業を退職することになりました。
そのエピソードは、次の記事で書こうと思います。

【営業職の時の悩み】

営業職を経験している人なら、ほとんどの人がぶつかる壁があると思います。
「こういうやり方で売って、本当に良いのか」という疑問です。
「教育」は、人々の生活や国力を支える大切な事業なので、公的な性質が強いものでもあります。
しかし、僕がやっていた仕事は、「ビジネス」という文脈での無形商材の売り買いであったため、クライアントとの利害の一致が前提条件でした。
公立の学校教育であるならば、(それでもいろんな制約があるものですが)教師が子どもたちを愛するのに制限はなく、行政サービスなので、子どもたちも自由にその愛を受け入れることができます。
一方、ビジネスでそれをやるとなると、お金を出す大人が納得する商談を経て、やっと子どもたちに愛がたどり着きます。
上手くいけばそれで良いのですが、商談を経ることによって、コストコントロールやガバナンスが働き、結果的に、サービス提供者が思うような愛の届け方ができなかったり、クライアントが期待していた愛の受け方ができなかったりする時があります。
若かった僕は、それに物凄く苦しみました。
特に1年目はそのバランスを取ることが本当に難しかったです。。。

【今もある意味、営業マン】

いろんなキャリア経験を経て、今僕は、キャリアデザインスクール我究館の館長であり、就活本『絶対内定』の著者として活動しています。
「スポーツを通じて世界の平和に貢献する」と願う若者から、「キャリアに迷い、行動を躊躇する学生や社会人に納得のキャリアや人生観を持てるようになって欲しい」と願う大人になりました。
世のため人のためという想いはずっと変わっていません。

一方で、現在僕は民間事業者として、「ビジネス」をやっています。
今も、ある意味「営業マン」なのです。
でも、若い時に苦しんだ「商談を経て、思うようにサービスが届けられない」という悩みはほとんどなくなりました。
「素晴らしい教育とビジネスは両立できる」と確信しているからです。

公共サービスとしての「教育」にも、愛を届けることに限界があります。
教師が公務として教育を執行する場合は、公共性が重んじられ、個人の持つ特性や独特の悩みに対する具体的な教育サービスを提供するのが難しいという側面があるからです。
「平等」をどう捉えるかの問題で、徒競走で優劣をつけるのは平等に反するという考えでは、足が速い子の個性を伸ばす教育はしにくい、という反面が生じます。
だから、民間教育はとても大切なんですよね。
「世の中のリーダーになりたい」「自分らしいキャリアを見つけたい」「生きた証として何かデカいことを成し遂げたい」というような夢を持つ若者の具体的な課題を解決するサポートは、当人の「個性」に合った導きが必要となるため、公的な教育では難しいと考えています。

だから、我々「我究館」があるのです。
資本主義経済の仕組みの中で、「個性を伸ばす」という教育は、事実上、民間に託されているように思っています。
一方、民間企業は、利益を出して、それを企業としての肥やしにして成長します。
無料や安価で手に入る公共サービスにはない価値、受講生さんやそのご家族が「人生がもっとよくなるように」と願って入館してくださったことにお返しできるサービスの価値を、僕たちは提供しなくてはなりません。
新卒時代に営業マンとして苦しんでいた頃は、自分が売っている教育としての価値に自信がなかったのだと思います。

でも、今ははっきり言えます。

「我究館は、素晴らしい教育を皆さんに提供しています」

もちろん、まだまだ成長できるところはたくさんありますので、これからも仲間たちと一緒に一層の研鑽を積んで、たくさんの人々の人生を輝かせるスクールとして、世の中に価値を提供し続けていきます。


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