その転職は理想の現状だった【中編】
がくさんです。
地方公務員6年・国家公務員2年(出向)・民間企業(IT企業)2年を経て、個人事業主として独立。現在はクラウドファンディング企業のキュレーターとして働きながら、認知科学のプロコーチとして活動している32歳一児のパパです。
前回からの続きの話になります
(以下のとおり)。
※当時の就職先を非難するものではありません。当時の自分の思慮の浅さ、内省の甘さ、人生のゴール【目標】がなかったことが原因です。
【転職、そして転職】
2019年4月に公務員から民間企業【1社目】に転職するも、会社都合や諸事情あり、5ヶ月で退職する運びとなりました。
退職までの2ヶ月間、無職期間を作りたくなかったので、何が何でも転職すると決めて活動をし、退職した翌月より、IT企業の営業職として内定をいただくことができました。
次の転職先では公務員だった時の活かすことができると考えたこと、また通勤距離など家族とのバランスを考えた上で、決めました。
入社後に配属されたグループで担当した仕事は、求人内容で確認していた職務とは大分異なりました。
営業職として入社したのですが、入社後1年は技術者としての作業が7〜8割を占めており、営業としての知見が深まるという機会は正直そこまでありませんでした。
ただ、前職での失敗もあり、今後同じ過ちは2度と犯すまいと、どんな業務がきたとしてもしっかり向き合う覚悟で臨んでいました。今はこれが自分の担当業務なのだから、与えられた職務を全うしなければいけない。
IT企業でしたが創業後40年ほどの歴史のある企業で、若手社員よりも中堅以上の社員が多い職場でした。
私はチームリーダー級の30代半ばの先輩の下、仕事をしました。その方の営業成績は社内の中でも常にトップ、性格もまさに営業マンという方でした。
業界知識、IT知識、会社システム、担当業務のシステムの内容、商品の内容におけるキャッチアップ、社内の人間関係構築など必死でした。
振り返ってみると、自分自身に至らぬ点が多かっただけだと思います。精神的に辛くなること場面が多くありました。
一時期、出張続きと夜通し作業なども重なったことがあり、心身共に疲れ果ててしまって、数日間お休みをいただいたことがありました。
その後、気にかけてくれたマネージャーが個別に面談を重ねて営業マンとして今後どう仕事を進めていけばいいのか等、方向性について話を重ねてくださり、その先の道筋が見えてきました。
そんなタイミングで、社内的な事情もあり、私は別グループに異動となりました。
【別グループへの異動】
私が勤めていた営業部はグループ毎に雰囲気が全く異なりました。営業スタイルもグループ毎で全く異なります。色々なものがまたイチからのキャッチアップでした。
異動してから、また考え込む時期が増えるようになりました。詳細は書きませんが、営業マンとしても、組織内での立ち振る舞いにしても、上手く行かないことが積み重なり、またふさぎ込むようになりました。
当時の僕は、ずっと「仕事がまるでできない人間」と周りから見られているような感覚でした。
自分でも「仕事ができない人間だ」と
自分の価値を低く見積るようになりました。
こんな考えがずっと頭の中を巡っていました。
思考の沼にはまって抜け出せなくなりました。
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