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がくさんです。

高校生の時の話です(美談ではありません)。

挫折という言葉が適切かわかりませんが、
人間関係で初めて挫折しました。

【個人競技】

私は高校に入学してから、部活を2回変えました。

個人競技を選びました。

①空手部(3ヶ月)
→中学校からの友達が入部を決めていて興味を持ったので入部するも退部

②テニス部(3ヶ月)
→クラスの友達が入っていて興味を持ったので入部するも退部

③陸上部
→兄貴が入っていて興味を持ったから入部
→やってみたら走ること自体にハマる

【陸上部】

陸上部では中長距離を走っていました。

陸上競技は非常にシンプルです。
中長距離は、走れば走っただけ結果が出ます。

「結果=自分次第」というシンプルさが、
自分の性に合っていたと思います。

※ちなみに、強豪校だったわけでもなんでもありません。むしろ、普通よりもやや下だったと思います。勉学を優先していたので、自分にとっての文武両道という意味では良かったです。


中学時代は卓球部(これまた個人競技)に所属していましたが、無尽の体力がいるスポーツでもなかったので(むしろなくてもなんとかなる)、入った当初は練習についていけませんでした。

それでも

一つ上の先輩方には
可愛がってもらえたこともあり、
部活動の時間も楽しく過ごせました。


先輩が引退するまでは。

【同期】

私には同期が3人いました。
全員男でした。

途中入部の僕とは違って、
全員高校入学当初からの入部組、
全員が僕と同じ中長距離選手でした。


いじめられていたわけではありません。


全くウマが合いませんでした。
本当にそつのない会話をするだけ。


先輩がいた時は
先輩と絡んでいれば良かったのですが、
先輩が引退して、上の代になってからは、
苦しい時間が始まりました。


先輩と仲が良かったからだけだと思います。

先代部長からの指名を受けて、
私は部長になりました。

最初は部長としてなんとか
上手く立ち回ろうとしました。
後輩もいるのでなんとかしようと。

ただ同期とは上手くやれませんでした。
同期が悪いとか言う気はありません。

同期も私も一線を引いて会話をしていました。

私1人対同期3人


対立していたわけではありませんが、
このような状況だったので、

困ったことや
相談したいことがあっても
誰にも相談できませんでした。

顧問の先生は、名ばかり顧問で
指導やサポートをする気はありません。

私たち先輩の空気感は後輩にも伝播しました。
後輩は後輩で、自由にやるようになりました。

部活という単位の組織が
ぼろぼろ崩れていきました。

当時の後輩には
本当に申し訳なく思います。

【人間関係と怪我】

人間関係で悩んでいる最中、
今度はランナー膝になりました。

2年生の秋頃から走るたびに
膝に強烈な痛みが走るようになりました。

走ることができなくなりました。

それからは部活動開始の挨拶だけしてから、
部員とは別メニューになりました。

ひたすら1人で筋トレです。

部活動の終わりまで
誰とも話をせずに、
1人でずっとです。

走れるようになったと思って集団練習に
参加しても再発してしまい、また個人練習に。

これを繰り返していました。

走ることができず、
人間関係もうまくいかず、

この状態が5ヶ月間は続いたと思います。

顧問にも黙っていました。
クラスの友人にも黙っていました。
親にも黙っていました。

ずっと1人で抱えていました。

【親】

息子の変化に
親が気づかないわけがありません。

最初は何か言われても黙り込んだり、
「うるせえよババアが」と暴言を吐いたり
睨みつけたりしていましたが、

いよいよ

心に限界がきたときに、
親に話をしました。

「部長だし、最後の大会まではなんとか続けなきゃと思っている。だけど、人間関係が辛くてたまらない。思うように走れない。もう逃げ出したい、辞めたい」


父さんも母さんもいました。

「辞めていい」

「そこまで無理しなくていい」

「あなたが壊れるほうが心配」

「あなたには将来の目標もある」

「将来に向けて生きればいい」

幼少期に怒られて泣くことは
多々ありましたが、

辛さを吐き出して声にならないほどに
人前で大粒の涙を流したのは
これが初めてでした。

泣きながら、冷めた晩飯を食べました。

【決意表明】

翌日、顧問に退部の意向を伝え、
最後の大会前に部活動から身を引きました。

部活を辞めてからは精神的にも安定し、
大学進学に向けてひたすら勉強に励みました。


唯一、


部活動を辞めてから、
きついなと思った時が一回だけありました。

私の高校では全校生徒が体育館に集まり、
3年生が最後の大会に向けて決意表明する
という行事がありました。

その決意表明は各部の部長が行います。

本来ならば部長である私が決意表明を
するはずですが、私ではありません。
同期のうちの1人がやることになりました。

その空間にいるのことを思うのも苦痛でした。
周りの目もとても気になりました。

風邪を引いたと嘘でもついて
休めばよかったのですが、

真面目な性格もあり、
そういうことができませんでした。


当日


陸上部の出番の間が来た時、
私はずっと下を見ていました。

何も聞こえないように
何も見えないように

時間が過ぎるのをただ待っていました。



終わりました。


なんとか平常心を保って、
その日を過ごしました。

【結局、自分】

それ以降は部活のことも
一切気にならなくなりました。

ちなみに引退して以降、今日に至るまで、
当時の部員の誰とも繋がりはありません。

同期を責めるつもりはありません。
自分が未熟でした。

感情のコントロールも上手くできなかったし、
自己開示もできていなかったし、
同期のことを分かろうとしていなかったし、
歩み寄ろうとする努力を怠っていました。

自分が変わらない限りは、変わらない

この経験をきっかけに

親が「別人になったよね」と言うくらい
自分をマネジメントするという文脈では、
成長することができました。
(それでも失敗するときは失敗します)


高校生という絶妙なタイミングで
こういう経験をしたのも良かったと思います。

おかしな締めですが

当時の部員の皆さんへ

「ごめんなさい」

「ありがとう」



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