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地方公務員から国家公務員へ~しびれる毎日~

がくさんです。

地方公務員6年・国家公務員2年(出向)・民間企業(IT企業)2年を経て、個人事業主として独立。現在はクラウドファンディング企業のキュレーターとして働きながら、認知科学のプロコーチとして活動している32歳一児のパパです。

久しぶりに過去の回想記事の続きを
書きたいと思います。

冒頭文のとおり、大学卒業後に地方公務員となりました。子育て支援部で3年間、シングルマザーの生活支援に従事した後に、霞が関にある経済産業省に出向しておりました。

※前回の記事は以下のとおり。

【まるで転職】

公務員と一括で言っても、地方公務員と国家公務員では全く異なります。事業規模や予算規模もそうですし、エリアも1自治体から47都道府県、全国へと広がります。規模感がまるで違うんですね。

出向という形で、国家公務員として
働き始めたのが25歳の時。


中小企業支援メインの組織で、全国1741市区町村の創業支援の取り組みをどんどん広めていく部署に所属となりました。

所属チームは6~7人(途中人数増減有り)。


プロパー職員(採用枠が国家公務員の方)1人以外は、私と同様に、地方自治体や金融機関から出向してきた方々で編成されていました。


バックグラウンドで中小企業の経営支援に携わっていたり、商工関係の仕事をしていたりと、経済・産業に関連するキャリアを積まれてきた方々で、皆さん私よりも年上の先輩や上司です。

一方の私は前部署が子育て支援部署。お恥ずかしい話ですが、出向したての頃は経済や産業支援の基本も分かっていないような状況でした。


「どうやらやばいところに来てしまったな」

「中々しびれるな」

出向初日に思ったのを今でも覚えています。

初日のお昼時、出向メンバー含めて
課内全体で顔合わせがありました。

詳細は覚えていません。しかし一言だけ、
今でもはっきり覚えている言葉があります。

「向き不向きよりも前向きにやろう」

※別の記事で書いている認知科学コーチングの内容とは、違う切り口の価値観にも取れるかと思います。

この言葉は何故か頭に残っています。

入庁初日という人生の一つの転換期に言われた一言だったからかもしれません。ただ、何故かはわかりません。

【わけの分からない状態でとにかく前に進む】

担当事業は、その年の1月に法律が
施行されたばかりの新規事業でした。

法律施行や立ち上げフェーズを作ってくださった前任の先輩方のおかげで、本当の本当のゼロからスタートというわけではありませんでしたが、これからどのように運用を安定させていこうか、また一つ一つの課題をどうクリアしていくか、試行錯誤する日が続きました。

チームの中でも最年少だった私は、各関係機関の連絡窓口を主に担当しました。その他にも所属部署にあらゆる方面からかかってくる電話は基本全て対応していました。

地域局という関連機関が全部で10局ありました。それらの局を通じて、各局内にある地方自治体に対して事業を推進していきます。

地方自治体からの疑問や質問は地方局に行きます。最終的な判断が要する局面では本省、つまり私達のチームが請け負うことになります。その方々からの連絡・質問・意見の受付窓口をしていました。

世の中にはもっと上には上がいると思います。ただ、自分で言うのもなんですが、1年目の最初の頃は本当に激務で結構なプレッシャーの中で仕事をしていました。

担当事業の内容も細部まで把握する必要があるし、法律に書かれている言葉の定義やその意図・意味、その言葉が包摂する範囲など、解釈を一番知っていなければならない立場なので、覚えることも多かったです。

通常業務に加えて電話対応。

電話は基本的になりっぱなしでした。電話対応で1日が終わって就業後からメイン業務を始めるなんてこともざらにありましたし、昼飯食べながら仕事することも当たり前にありました。

上司から、激励の言葉を
いただくこともよくありました。

最初の飲み会の時も、一番若手のくせに作法がなってないと叱咤いただいたこともありました。正直に言って、生意気な部類の人間だったと思うので、良い意味で可愛がってもらえたと思っています。

仕事を進める中で「なにくそ」と思ったことも何度もありますが、当時ご指導ご鞭撻いただきました、上司や先輩方には感謝の意しかありません。

私という生意気な後輩をなんとか育ててやろう、潰れないように引っ張っていってやろうと思って接してくれているのを感じていたからです。

そして何よりも、本気で世の中をよくしようと思って働いてるのが、肌身で伝わってきたから、この人達と一緒に最後まで任期を全うして、世の中が少しでも良くなればと思ったからです。

【何のためにこの仕事をしているか分かってる?】

よくこういった言葉をかけられました。表面的な目標とか、数値でしか捉えていない場面などで、自分の心を見透かされているかのように、声を書けられました。

胸に刺さりました。

一時期、心身面で体調を崩した時もありました。

業務のツメが甘く、先輩に尻拭いを
してもらった時も沢山ありました。

関連機関に取材に行った時に自分の準備不足により、取材先の方から叱咤いただいた時もありました。

自分より後に入ってきた職員の人材育成が上手く行かなくて、大変な迷惑をかけた時もありました(本当にごめんなさい)。

あまりにも仕事が上手くいかず、
泣きながら先輩と飲んだ時もありました。


上手くいったことよりも、
上手くいかなかったことのほうが多かったです。

それでも2年間を乗り切りました。


入庁から2年後、任期満了の最終週、
一緒に苦難を乗り越えた先輩方に、
一人一人御礼を伝えました。

仕事自体も、チームの成果になりますが、当初目標の数倍以上の目標達成ができ、地域創業という領域で微力ながら世の中に貢献できたと思っています。これは引っ張ってくれた上司・先輩方のおかげだと思っています。

若いうちに最高の上司・先輩に恵まれた私は、
幸運だったと思います。

最終週、2年間でお世話になった方々の元に挨拶回りをしました。そして最終日、一番飲みにも連れて行ってくれて、たくさん叱ってくれた先輩に、感謝の気持ちを伝えました。

「本当に、本当にありがとうございました」

めちゃくちゃ泣きました。
その先輩も泣きました。

この出向中の経験・仕事への価値観が、
その後の人生を大きく変えることになりました。


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