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走れなくなって気づいたこと

ランニングやウォーキングなどの運動を適度にやることは健康に良いとされるが、それは多くの場合”フィジカル的な”健康のことを言っている。

しかし僕の場合、ランニングの真の効能は”メンタル的な”健康に良い影響をもたらしてくれることなのだ。

つまり、走ると精神的に良い。メンタルが安定する。


ところがここ1ヶ月、股関節の怪我によりまともに走れていない。
その影響か天候不良のせいか正確にはわからないが、どうもここんとこアタマがスッキリしない。

僕にとってメンタル的にあまり良くない兆候というのがあって、それは次のようなものだ

  • 同じ考えがぐるぐるめぐり結論が出ない

  • 今やっていることへの自信がゆらぐ

  • ネットやSNSに流れる情報が気になり無目的に眺め続けてしまう

  • 他人のことが過剰に気になり、うらやましく感じる

普段生活していると常にこういった傾向はあるのだが、8キロから10キロほど走るとモヤが晴れたようにスッキリする。
上に書いたような思考のゴチャゴチャ感が一掃される感覚になるのだ。

これを続けていると、生活に勢いがついてくる。リズムは良くなり、集中力が増す。やる気が湧いてきて、”ダルい”ことに立ち向かう精神力が生まれてくるのだ。


だからこの1年、僕にとってランニングが必要不可欠になっていたのだが、それができなくなってしまった。
いちおうなんとか走っているものの、2〜3キロを超スローペースでジョグするだけなのでほとんど運動した感じにならない。
この程度の運動強度だと、アタマがスッキリするところまでいかないのだ。

しばらくはちゃんと走っていた頃の貯金があったのか、それほどメンタルの影響はなかった感じがするが、フルマラソンがうまくいかなかったことも影響してか、最近はどうもメンタル不調だ。

長らく走れない不安、思うように進捗しない小説、ネットを見れば順調に成果をあげている人がたくさん目につき、自分はこんなことでいいのかと悶々する。
そんなことを気にしてもしょうがないと言い聞かせつつ、それでもまた同じ思考が巡ってくる。
事あるごとに湧き出していたアイディアやインスピレーション、書きたいことは枯渇しつつある。
したがって最近はこのnoteも「ネタ切れ」と称しお茶を濁すことも増えているのだ。


とまあこんなふうにあまり調子は良くないものの、これに気づけたことも長い目で見ると大きい。ランニングがしっかり出来ている状態とそうでない状態で、どんな差が出るかも確認できた。
怪我の功名とはよく言ったもんだ。

ランニングがしっかりできないのであれば、代替案を考えるしかない。
ある程度の時間継続する有酸素運動が必要だから、ウォーキングをもっと長めにやるか、自転車をこぐか。
この機にランニングのためのトレーニングをしっかり勉強するのもいい。
いずれにせよできることはいくらでもある。


普段から運動習慣のある人はあまり気がつかないかもしれないが、運動できている状態は非常に良い影響を体と精神にもたらしている。
試しに運動をパッタリやめてみる必要はないが、もし運動しなければその違いがよくわかるはずだ。フィジカルだけでなくメンタルもかなり変わってしまうだろう。

「体が資本」というのは真理である。
やりすぎで自ら資本を失うような愚行はなるべく避けた方がよいが、やりたくなってしまうものだよね。
上手に生きるのって、やはりむずかしい。

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