山本楽志
大洗が舞台として登場する本を紹介していきます。
南方熊楠顕彰館にて開催されている企画展「物語のなかの南方熊楠~小説・マンガ・映画・音楽~」にて紹介された小説シリーズとなります。 南方熊楠、柳田国男、宮武外骨、井上円了といった、日本の民俗学黎明期を生きた人々が、現在の女子高生になったら、という設定にて書かれた日常怪異譚です。
眼球舐めといっても、仮称なのでご容赦を。 文字通り目玉を舐める行為で、ペッティングの一種ではあるけれども、一般性が高いとはお世辞にもいいがたい。分類上正式な名称があるかも不明だし、そもそも分類できるほどにサンプルが豊富な気がしない。 けれども、眼球を舌でねぶるという行為の、イメージが与えるインパクトはかなり大きく、その存在にいったん気づいてしまうと容易に脳裏から払拭しきれない、鉛のような重い質量が感じられる。 私が初めてその行為を目にしたのは丸尾末広の漫画だった。
ふと目に留まった広告にびっくりして、いてもたってもいられずに注文していました。 岡本喜八といえば『独立愚連隊』『日本のいちばん長い日』『ダイナマイトどんどん』『肉弾』などの、私も大好きないわずもがなな大監督です。 1924年(大正13年)生まれの監督の若い日というからには昭和の前半、まさに戦争に向かうまっただなか、後年の太平洋戦争と喜劇にこだわり抜いた作風との関わりがいやがうえにも期待されます。 やがて到着したのが前田啓介『おかしゅうて、やがてかなしき 映画監督・岡本
令和五年も年の瀬が迫りつつあった頃、背後から忍び寄り、唐突にその姿を現して我々を驚倒せしめたものこそ、「ジャイアントロボヘルボーイ Giant Robot Hellboy」でした。 ジャイアントで、ロボなうえに、ヘルボーイ。 カバーに描かれる瓦礫の中で白銀に鈍く輝く巨体は完全にロボだし、でもデザインは間違いなくヘルボーイで、なるほどジャイアントロボヘルボーイだと思わず納得してしまいそうになりますが、待てジャイアントロボヘルボーイって何よ?と冷静になって問い返してみても
名前とは誰にでも何にでもつけられていて、そのものを他と区別するために必要不可欠なものであり、単純に分類するばかりでなく、その本質を的確に指示することもままあります。 それがあまりにも明け透けであるが故に避けられ、時によっては不敬なこととして、あるはずの名前をみだりに口にしたり文字として書いたりすることが厳しく戒められることもありました。 中国に発し日本でも長らく用いられた本名を忌避する諱という発想はその最たるものの一つです。 例えば十八世紀の後半に成立した『字貫』とい
三味線が出囃子の主旋律を刻む。 聞き覚えのある軽快なメロディーは記憶を刺激して、つい歌詞が口をついて出てくる。マハリクマハリタヤンバラヤンヤンヤン。そう「魔法使いサリー」の主題歌だ。 それに乗って姿を現した演者を拍手が迎える。やがて見台の前に座るとピシリと一発打った扇子が場内をしずめ、甲高めのしわがれ声が続く。 「そういうことで、笑瓶ちゃんでございます」 今年の二月に急逝した笑福亭笑瓶の落語の高座を収めたCDが、先日追悼盤として発売されました。 師匠である笑福亭鶴
正岡子規が明治32(1899)年に発表した短章「墓」は、病の末に亡くなった男が墓の下から、というよりは墓そのものになって、死後の身のまわりや時代の移り変わりを見つめ続けるという、少々縁起のよくないタイトルながら諧謔の利いたメルヘン小説です。 話はモノローグでテンポよく進んでゆき、死をテーマにしながらも悲壮感は薄く、皮肉や風刺をおりまぜて子規の持つユーモアをたっぷり堪能させてくれます。 亡くなった直後の主人公は、土の下に埋められたはいいものの、これからなにをどうしたら、
スーパーヒーロー達が助けを求める時、彼らはそこに電話する…… 絶大な力を持つ者同士がぶつかり合った後の瓦礫を、いったい誰がどれくらいで片づけているんだろう? アメコミに限らず、マンガ、アニメ、特撮、ゲームと、ヒーローや敵役たちは何もない荒野で戦ってくれたらいいんですが、あいにく大抵バトルシーンは町中と相場が決まっています。そうなれば超人ぶりを誇示するための演出目的で、建造物やインフラ設備が無残な犠牲になるのも定番です。 そんな光景を目の当たりにすれば、誰しも一度や
すっかり夏も押し詰まってきましたね。 けれども、いわゆる怪談を楽しむのは、お盆も過ぎ、少しずつ黄昏時が早まって夜の時間が長く濃くなりはじめるこの頃が、行く夏に思いを馳せながら涼も先取りできて最もいいんじゃないかなと思えます。 実際、私が落語の怪談噺を聴いて、ひやりと冷たいものを覚えたのも、八月も下旬を過ぎた今頃のことでした。 もっとも、その体験をしたのは寄席でもテレビやラジオの中継でもなく、中古CD屋さんの店内だったのですが。 大阪日本橋は、昔は東京秋葉原と並ぶ電
すっかり更新の間が空いてしまいましてすいません。それはそれといたしまして、 祝! 伊藤尋也先生第12回日本歴史時代作家協会賞文庫書き下ろし新人賞受賞! Twitterでもお世話になっている伊藤尋也先生が、『土下座奉行』(小学館時代小説文庫、2023)にて文学賞を受賞されました。 今回はそのお祝いも兼ねまして受賞作の紹介を。 土下座。明治に刊行された日本初の近代的国語辞典『言海』にも記載のある、古来より伝わる礼法の一つです。 膝を屈し指を揃え地面に額づく、平
柔道はこれまで何人ものスター選手を生み出してきたお家芸で、オリンピックとなりますと大いに注目を浴びる、日本発の国際的なスポーツですが、けれども国の境を越えて世界に羽ばたいていったのはいつ頃のことなのでしょうね。 あいにく私はそのあたりのいきさつの知識はまったくないのですが、最近『Batman: The War Year 1939-1945』という本を読んでおりまして、興味深いシーンに出くわしました。 『Batman: The War Year 1939-1945』 近年
折角上京したのだから! というわけで、ゴールデンウイークに関東に行った際、大洗町にも立ち寄ってきました。 前日は東京泊まりでしたので朝4時起きで乗り継ぎ乗り継いで鹿島臨海鉄道大洗鹿島線の大洗駅に到着したのが8時。 空は雲一つない快晴。これだけでも来た甲斐があるってもんです。 車内で寝れるだけ寝たおかげで、早起きでしたが気分は爽快。方々をてくてく歩いて見てまわりました。 普段海と縁遠い生活をしているのでまずなにより波の打ち寄せる様子を見て、大洗磯前神社をはじめと
三遊亭楽天は、昨年惜しまれつつ亡くなった六代目三遊亭円楽の弟子にあたり、元ダンサーという異色の経歴を持つ噺家さんです。 小学校以来愛好しているTRPGを題材として、古典落語を改作した「TRPG落語」を2018年から高座に掛けられています。 『三遊亭楽天のTRPG落語』は、そんなTRPG好きの噺家さんによって、TRPGと落語の演目をからめた雑誌連載コラムと、TRPG落語の高座を収録したCDが一冊にパッケージされています。 TRPGをまったく知らなくて落語の興味だけで接す
イベント参加で東京に来たものの、コロナの対策緩和がぎりぎりだったこともあり、特に打ち上げなどが行われるわけでもなかったため、折角ですからぶらぶらと寄席に足を伸ばしてみました。 もっとも、その前に済まさないといけない用件がいくつかあり、一番近かった上野鈴本演芸場に到着したのは6時少し過ぎでした。 おかげで、当日の番組表はこんな感じだったのですが、 実際に観賞することができたのはむかし家今松の落語からでした。 むかし家今松「猫の茶碗」 江戸の古物の仲買人ハタ師(端師
もとはアニメ『ガールズ&パンツァー』の舞台への興味だったのですが、一度訪れてみてその土地の魅力に断然惹かれてしまい、すっかり大洗という町のファンになってしまいました。 けれども、私は住まいが関東ではないので、おいそれと足を伸ばすというわけにもいきません。 それで、せめて大洗が登場する本を読んで、行ったつもりで気持ちだけでも盛り上げようと、紀行文や小説、エッセイで取り上げているものがないかと探す日々がはじまりました。 幸いにして、前回、ちょうど一年ほど前に、二度目の訪
今回はあらすじちょっと長めです。 やさしい噺です。 登場人物のだれもが他の人のことを慮って行動しているのですが、それが少しずつ掛け違って騒動に発展していきます。それでもつかみ合いの大喧嘩や刃傷沙汰にはいたらない安心できる穏やかさがあって、聞いている方も遠慮なく笑っていられます。 おまけに柳家さん喬の語り口調ですと一層気持ちが落ち着いて幸福感さえただよってきます。 柳家さん喬につきましては以前の記事で紹介しておりますので、そちらをご参照ください。 そのさん喬に
日本中世史の研究家である本郷恵子氏の『怪しいものたちの中世』(角川選書、2015)を読んでおりますと、鎌倉時代の説話集『古今著聞集』の一話を紹介しているなかで、 という個所に出くわしました。 低調な話には目がない私としましてはこれは見過ごせません。早速『古今著聞集』に手を伸ばしました。 該当の説話は巻十六「興言利口第二十五」中の「近比天王寺よりある中間法師京へ上けるみちに」よりはじまるやや長めの物語です。 問題の部分まで要約してみますと、 と、ここで上で引