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やってから聴くか聴いてからやるか

 三遊亭楽天は、昨年惜しまれつつ亡くなった六代目三遊亭円楽の弟子にあたり、元ダンサーという異色の経歴を持つ噺家さんです。
 小学校以来愛好しているTRPGを題材として、古典落語を改作した「TRPG落語」を2018年から高座に掛けられています。
『三遊亭楽天のTRPG落語』は、そんなTRPG好きの噺家さんによって、TRPGと落語の演目をからめた雑誌連載コラムと、TRPG落語の高座を収録したCDが一冊にパッケージされています。

『三遊亭楽天のTRPG落語』(グループSNE、2023)

 TRPGをまったく知らなくて落語の興味だけで接するには正直ちょいハードルの高い内容ですが、その逆、つまり落語は知らないけどTRPGはそれなりに知識があるという方ですと、恰好の落語入門書にもなっています。
 この本で聴ける落語の演目は「ドラゴンほめ」「インスマウス長屋」「積みゲー幽霊」の三席で、マクラからサゲまでしっかりと収められています。
 以下、それぞれの噺につきましてを。

ドラゴンほめ

 元になっている噺は「牛ほめ」で、与太郎噺といわれるちょっと間の抜けた主人公の引き起こすトラブルを扱うもののなかでは比較的ポピュラーなひとつです。

 普段からぼんやりとしている与太郎が、少しは気の利いたところを見せてこいと、親に言われるままに親戚のおじさんの新居祝いに行くものの、丸暗記していった褒め言葉が無茶苦茶で騒動になってしまう、というものです。

 この噺の舞台を、ベテランアナログゲームファンにはなつかしいゲームブック『火吹山の魔法使い』に、大胆に変更したのが「ドラゴンほめ」となります。

 冒頭、与太郎が父親から小言を食いながらも、それにのらくら返答しているあたりは本寸法の古典落語の装いなのですが、そこで唐突に、
「お前、魔法使いのザゴールおじさん、知ってるよな?」
 ときまして、それまで頭の中で描いていた江戸の雰囲気が、いきなり剣と魔法のファンタジーに一変するあまりのギャップについ吹き出し、吹き出したからにはもう噺の世界に引き込まれてしまいます。

 いかにもファンタジーらしいお膳立てがきたなと思えば、江戸情緒香る口上が飛び出して、ファンタジーと江戸の世界を行きつ戻りつする独自の、TRPG落語の世界がそこには広がっています。
 サゲも通常のものから、このTRPG落語用に変更されており、噺が終わった後も余韻にひたれるようになっています。

 また、古典落語をオリジナルなものに改作するその手練もさることながら、途中ベースとなる「牛ほめ」との共通部分で軽いまちがいがあるのですが、そのリカバリーが自然でかつ更なる笑いを引き出しているあたりから、本寸法の古典の語りの安定した手腕も感じられ、落語本来の楽しみも味わうことができる高座となっています。

インスマウス長屋

 元となった落語は「粗忽長屋」です。
 粗忽者、あわて者を扱う演目のうちで、これもよく知られた噺のひとつです。

 浅草の観音様にお参りにきてみれば人だかりができている。中心には素性の知れないという行き倒れが一人。確かめてみれば長屋の隣に住んでいる熊に違いない。なにしろ子どもの頃からのつき合いで今日も朝から顔を合わせたばかりだ。何? 昨日からここで死んでいる? そんなはずはない、だったら今ここに熊のやつを連れてきて確かめさせてやる。熊さんも説得されて、自分は死んでいるものだと思い込んで、行き倒れと涙の対面をすることに……

 浅草の観音様といいますとご存知浅草寺ですが、「インスマウス長屋」ではこれがアメリカはマサチューセッツ州エセックス郡インスマウスのダゴン秘密教団に変更され、というよりは変貌を遂げます。
 ですので舞台のインスマウスを口にした途端や、行き倒れの顔を確認した粗忽者が「これは熊の野郎だ!」「熊の野郎? アメリカなのに?」といった、落語口調と舞台がアメリカというインパクトのギャップに笑わされます。

 演題や固有名詞でピンとこられた方も多いと思いますが、この噺は20世紀アメリカの怪奇文学の代表選手H・P・ラヴクラフトの小説「インスマウスを覆う影」の世界観を落語に移植したものとなっています。
「インスマウスを覆う影」はスリラーの雰囲気のあるインスマウスという不気味な町での追跡劇を中心とした緊迫感のみなぎるホラー小説ですが、「インスマウス長屋」はそれを逆手にとってパロディをふんだんに取り入れた滑稽噺となっています。

 噺の筋はほぼ「粗忽長屋」そのままですので、収録されている三席のうちでは、TRPGやラヴクラフトの名前を知っているけれども落語に接したことがないという方が初めて聴いても、案外とすんなり入り込みやすい噺となっているように感じます。

 サゲもオーソドックスな「粗忽長屋」のものですが、その後に抒情的な短い語りが用意されていて、「インスマウスを覆う影」を知っている方ならニヤリとさせられたうえで、茫洋としたもとの小説の読後感を落語でも味わえるように作られています。

 ちなみに、この「インスマウス長屋」はこれまでインディーズでCD発売されてもいます。(「インスマス」「インスマウス」と読みに違いがあるのは、固有名詞の翻訳の違いによるものです)

三遊亭楽天『インスマス長屋』

 以前の録音より4年を経て、語りも一層精彩を帯びてきていますし、なによりインディーズ版ではかなり厳しかった音が、今回では格段に良くなっています。

積みゲー幽霊

 元の噺は「へっつい幽霊」です。

 幽霊が取り憑いているという噂の絶えないへっつい(かまど)を古道具屋から多少の引き取り賃をもらって持ち帰ってみると、なるほど話に違わず夜になると陰気な顔をした男の幽霊が現れる。しかし胆の据わった主人公はまったく怯まず、逆にどうして出てくるのかとたずねる。幽霊の話によると、自分は賭け事の好きだった元左官だったが、博打の儲けをへっついに埋め込んだまま死んでしまったためそれが心残りで仕方がないという。博打もまんざら嫌いでない主人公は、その金を取り出したところで、所有を賭けて幽霊と勝負をしないかと持ちかける……

 三席のなかでは改作の度合いが最も大きいです。
 舞台は現代の日本に、キーとなるへっついも不動産の事故物件に変更されています。
 毎夜部屋に現れる幽霊が遺した無念も、現金ではなくいずれやろうと思って買い込んでいたTRPGのシステムに向けられます。
 集めるだけ集めて、結局それを楽しむ暇もないままに死んでしまった心残りが化けて出る原因となっているというのは、せちがらい現代人からすると満更他人事でもなく、大きくうなずけてしまうんじゃないでしょうか。
 噺の潜在的な汎用性は大きく、「積ん読幽霊」「積みプラ幽霊」なども作れそうに思えます。

 ただ、その汎用性ゆえでしょうか、下敷きになるゲームや小説がないにもかかわらず、意外にも収録された高座のなかでは最もマニアックな内容になっています。

 遊ぶ機会のなかったゲームたちについて説明するくだりがあるのですが、そこで選ばれているゲームが80年代から90年代前半の、TCGの以前のゲーム、それも主流とはちょっと言えない作品ばかり(『ワースブレイド』をそう断言してしまうのもしのびないですが)なところからして、素直に笑うにはそれなりの知識が必要になってきます。

 ただし古典落語にも、落語自体を聴き慣れてきて面白さがわかってくる噺というのもいくらもあります。
 ですので、CDの最終三トラック目に入っている構成からしても、実際にTRPGをやってくり返し聴くうちに面白さが増してくる噺ということで、配置の妙があるともいえます。

 サゲはもとの「へっつい幽霊」のようなギャンブルをテーマにした噺ではなくなっているので、幽霊から連想される別の新しいものに変更されています。こちらはわかりやすく、噺を終えたという区切りがはっきりしていて、CDの末尾を飾るとしてはすっきりしていると思えます。

「TRPG四方山噺」

 書名が『三遊亭楽天のTRPG落語』ですし、CDが付属してさらに速記まで収録されていますので、どうしても録音された落語がメインと受け止められるとは思うのですが、後半に掲載されているコラム「TRPG四方山噺」も読みごたえがあります。

 落語世界特有のお約束をTRPGと、または反対にTRPGに登場する職業や状況を落語と、それぞれ比較しつつ類似点を紹介していくのですが、その際に非常に多くの落語の演目が例として挙げられておりまして、丁寧なあらすじも添えられているのでこれが結構な落語入門になっているんです。

 それも取り上げるのも「寿限無」や「まんじゅう怖い」「目黒の秋刀魚」といった有名どころではなく、例えば「たがや」や「鰍沢」など腰を落ち着けて落語を聴いたことがなければ演目名すら知らないだろう噺がほとんどです。

 これってかなりありがたいことじゃないでしょうか。

 落語に限らずですが、新しいものに触れる際に本当に大事なのは、ファーストインプレッションではなく二番目の経験だと思っています。
 初めての感想がいまいちだったとしても二度目で大きく印象が変わることはざらですし、逆に最初が最高だったとしてもその次で「あれ?」となってそれきりというのもまた多いでしょう。

 そこで最初の体験を補うための言語化がとても重要になってくるのです。

 最初がいまいちだった場合は「どこが不満だったのか」「なにを楽しみにしていたのか」、最初が良かった場合には「どこが楽しめたのか」「次があるとするとどこに期待するのか」と。
 求めるものが明瞭になれば、それに当てはまるものを探すだけです。

 そういう点で、この「TRPG四方山噺」は有名どころに限らない多くの噺を紹介してくれているので、まさに二番目の体験の準備として「次の一席」を探すのにも恰好の読み物になっているように感じます。

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