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大洗文学全集 第3巻

 折角上京したのだから!

 というわけで、ゴールデンウイークに関東に行った際、大洗町にも立ち寄ってきました。
 前日は東京泊まりでしたので朝4時起きで乗り継ぎ乗り継いで鹿島臨海鉄道大洗鹿島線の大洗駅に到着したのが8時。
 空は雲一つない快晴。これだけでも来た甲斐があるってもんです。

 車内で寝れるだけ寝たおかげで、早起きでしたが気分は爽快。方々をてくてく歩いて見てまわりました。
 普段海と縁遠い生活をしているのでまずなにより波の打ち寄せる様子を見て、大洗磯前神社をはじめとした寺社への参詣や、おいしいものをいろいろいただくなど、頭に思い描いたもろもろの目的のひとつに、

 大洗博覧会にお邪魔するというのもありました。

 かつて造り酒屋を営まれていた古川酒造さんを会場に、大洗の歴史にまつわる古地図に文献などの展示や、歴史研究者や当地での教育者を呼んでの講演会を行う、地域に根差した盛りだくさんイベントなのです。
 歩いて5分ほどのところにある老舗の割烹旅館肴屋本店さんが出張されて、特製カレーライスの販売も行われていました。

 実は去年もいただいたのですが、じっくり煮込まれたルーにみずみずしいミニトマトの入った味わいが忘れられず、五月晴れの空のもと、薄く汗をにじませながら夢中でわしわしかっこませていただきました。すいません、おいしかったです。
 と、食い気中心になってしまっておりますが、この大洗博覧会に足を運んだのは、こちら『大洗の本』の最新号、これを購入するのがメインの目的だったのです。

『大洗の本』第4号(大洗町教育委員会)

『大洗の本』は年に1冊刊行されている、茨城県大洗町の郷土研究史で、今年で4号目になります。
 地元の思い出話あり、非常に丁寧な考証を重ねられた学術エッセイあり、また地域の観光活動の報告ありと、内容は幅広く、共通点は地域愛に満ち溢れているところで、読み進めるうちにまた大洗を訪れたくなってきます。

 以下はその『大洗の本』第4号に収録原稿のかんたんな紹介と感想を。

『網掛掘割絵図』について(海老澤正孝)

 タイトルになっている『網掛掘割絵図』は、19世紀中盤に作成されたと推測される古地図で、涸沼と北浦(霞ヶ浦)を水路でつなげるために、それぞれに注ぐ大谷川と鉾田川を運河で渡す計画を図示したものです。
 描写は広域にわたり、現在の大洗地域も含まれていて、その記載内容の紹介と、他の地誌と比較しての変遷が詳細に書かれています。
 例えば大洗磯前神社が一時期鬼洗明神と記されていたなんて読みますと、一体その間になにがあったのかとわくわくとしてきます。

江戸時代以降の「大貫運河」調査(二〇二二年度茨城高等学校史学部)

 18世紀初頭に掘削が行われた涸沼川と太平洋を結ぶ大貫運河は、けれども地理的条件や工事の未熟さから開通直後より河底が埋まってしまい、船舶運行というそもそもの目的は果たされませんでした。
 この論考では、その後の復旧工事などを踏まえつつ、明治維新以後の近現代において、大貫運河がどのような過程で埋め立てられ、現在はどういう土地として利用されているのかを、公的文書の読み取りと実地調査で確かめていきます。
 おもしろいのは、この大貫運河を含んだ大工事「勘十郎堀」については、前稿「『網掛掘割絵図』について」でも触れられていることで、論考をまたいだ興味関心が、それも現在の高校生とも共有されているという幅の広さで、先達と新研究者のバトンタッチが実感され、大洗の地の江戸から現在までの歴史がつながるのを目の当たりにさせてもらえます。

大貫町浅間神社境内の富士塚(由谷裕哉)

 鹿島臨海鉄道の大洗駅より南に歩いて十分少々の古墳に鎮座する神社の、その境内の塚が富士塚になっていることを非常に豊富な資料から論証しています。
 そもそも富士塚とは何か? 富士講とは?
 そのあたりもしっかりカバーしてくれているので、江戸以前の信仰の様子の一端をうかがい知ることができます。

戦時下の大洗での防空監視(藤田昌雄)

 太平洋戦争期、敵航空機による爆撃を想定し、その監視が全国的に行われていました。
 本稿は大洗でのその運用状況が、貴重な当時の写真を添えて詳しく説明されています。
 なんとなく言葉だけは知っていた防空監視が、視覚と聴覚でもって行われていたというのはとても興味深いです。
 それにしましても、双眼鏡はまだわかるとしまして、肉眼やさらにはコンクリート製の井戸のような穴の中に入って耳を澄まして方向を推測していたという事実には大変に驚かされます。
 写真は上でおいしいカレーを作ってくださり、「ガールズ&パンツァー」ファンにはおなじみの肴屋本店さんが所蔵されていたものとのことで、そちらも感慨深いです。

玉川幼稚園と黒田正先生(加倉井東・浅井敦)

 大洗チャンネルというYouTubeチャンネルを主催されていることでも知られている、大洗の名物パン屋ブリアンさん。その隣のようこそ通りとの間の細長い土地というと、大洗を訪れた人はぴんとくるんじゃないでしょうか。
 そこにかつてあったという幼稚園と、その園長であった黒川正先生についての思い出を語られています。
 分量としては黒川正の略伝に多くを割き、明治大正昭和という激動の時代にわたって初等教育に身を捧げられつつも、国策を必ずしも従順に受け入れるのではなく、私財を投じて宿泊施設や果樹園を造り上げ子供のためになることを第一とする気骨溢れる様子が端的にまとめられています。
 大洗には戦後すぐの昭和21年から磯浜国民学校(後の大洗小学校)、磯浜中学校(後の大洗第一中学校)の校長を歴任し、玉川幼稚園の設立にかかわり昭和57年まで勤められたとのことです。
 筆者の個人的な幼稚園の思い出からはじまり、一人の教育者の姿を通じて昭和初期から戦中の教育の有り様、その後の大洗とのかかわりと、時間空間ともにスケールの広がりを感じる一編でした。

大洗町における歴史資源を活用した地域づくり ―史跡磯浜古墳群を中心に―(蓼沼香未由)

 私の住んでいる大阪は非常に平坦な土地で、大洗に降り立った際に到着を実感するのはその坂だったりします。鹿島臨海鉄道の大洗駅からどちらに向かってもなだらかに続く傾斜を踏みしめて、ああ今回もやって来たんだと体で知らされます。
 その一部が古墳に由来するものだと知ってからは、坂のひとつひとつから歴史情緒のようなものも覚えるようになってきました。
 本稿は、大洗町では初めて、2020年に国の史跡として登録されたそんな磯浜古墳群の概要と、次代に継承するための保護活動や郷土教育の有り様などを紹介しつつ、同時に観光資源としてその魅力を発信活動についてをまとめたものです。
 報告形式をとっていますがその熱意から、太古からの時間が現在を通して未来に紡がれる流れを感じます。

大洗高等学校の「ながみね探究」(沢畑雅彦)

 茨城県立大洗高等学校の教頭先生による、高校生主体の大洗探究活動の成果報告。
 文科省指導要領に沿う正課の一環での活動なのですが、紋切り型にはまったくはまっていない、みずみずしい感性と高校生たちが自らの住む町をさらによりよくしていきたいという意気込みが全編を通して感じられ、本書のなかで最も勢いの感じられる一編となっています。
 複数のグループに分かれ、それぞれで独自のテーマを設けそれを深めてゆく方式をとられていますが、そのテーマもガルパンあり、サンビーチやシーサイドパーク、アクアワールドといった観光施設あり、臨海鉄道あり、スケートボードパークを作りたいという野心ありと、非常にバラエティに富んでいて、是非とも継続的な進行具合を知りたいと思わされました。

碑 江口誠一の処方箋写し(江口文子)

 大洗町の名物書店江口又新堂の店主さんによるエッセイ2題。
 石碑が物語る涸沼川に沈んだ町の歴史と、かつての薬局時代の処方箋から見えてくる意外な交遊の様子が語られ、ここでも途切れることのない歴史の綾が紡がれています。

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