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CD世代の落語この人この噺「饅頭こわい」(桂枝雀)

 すっかり夏も押し詰まってきましたね。
 けれども、いわゆる怪談を楽しむのは、お盆も過ぎ、少しずつ黄昏時が早まって夜の時間が長く濃くなりはじめるこの頃が、行く夏に思いを馳せながら涼も先取りできて最もいいんじゃないかなと思えます。
 実際、私が落語の怪談噺を聴いて、ひやりと冷たいものを覚えたのも、八月も下旬を過ぎた今頃のことでした。
 もっとも、その体験をしたのは寄席でもテレビやラジオの中継でもなく、中古CD屋さんの店内だったのですが。

 大阪日本橋は、昔は東京秋葉原と並ぶ電気街といわれ大変なにぎわいで、その店々の間で中古CD・レコード屋さんが最盛期では二十以上も軒を連ねておりました。
 大十さんという店もそのうちの一つで、堺筋もかなりなんさん通り近くにまで歩いてちょっと脇に入ったところで営業されておりました。取り扱いジャンルは洋楽邦楽を問わずロックジャズブルーステクノやイージーリスニングなど幅広く、品揃えもメジャーからインディーズまでかなり見応えのあるラインナップになっていました。
 大十はさらに落語の新譜も積極的に入荷されていて、関西で数少ないワザオギレーベルの商品の取り扱い店でもありました。
 私が三遊亭歌武蔵や春風亭一之輔など現代の噺家さんの名前と顔を知れたのも、この店のおかげでした。
 テナントビルの三階まで使った店構えは見ごたえがあり、なかでも特に二階が最もマニアックで、最もよく通った売り場でした。

 その日も、仕事を終え、なにか目当てがあったわけでもないのですが、気になるものはないかと、階段わきに何故か置かれているコイン式の洗濯機と乾燥機を横目に見つつ足早に二階に向かい、いつも通りに日本のロックのコーナーからジャズ・フュージョン棚という順路で物色していたところで、店内に流されていた音源が耳に留まりました。

 ええ女に化けよったな、惚れ惚れするわ。いっぺん後ろ姿も拝ましてくれへんか。そう言うたら狐のヤツ、くるっと後ろを向きよった。けどあかん。なんぼ言うたかって急場の仕事の急ごしらえや、肝心の尾っぽを隠すのを忘れとんのや。

 落語、それも関西弁での上方落語でした。
 内容は、狐が人を化かすところを見物しようとしていた男が一杯食わされかえって自分が化かされて馬のお尻の穴をのぞき込むことになるという、いかにもな冗談話でした。
 ばかばかしい話でしたが、おそらくレコード音源と思しいスクラッチノイズのまざるなかで、独特のだみ声で語られると、おかしみが何倍にも増して感じられて、ついCDを探す手も止まって聞き耳を立ててしまいました。
 と、その狐の化かされ話が終わると、どうやら次のエピソードに移ったらしく、噺家は声音をさらにしわがらせて、沈ませ、老人のものに変えると語りはじめました。

「けどお前ら、この話、最後まで怖がらずに聞けるかな」

 静かに腰を落ち着けてつぶやいたその一言だけで、それまでの笑いの余韻がすーっと潮が引くように失せてゆくのが感じられました。
 ちょうど客は私一人。もともとそれほど明るいとは言い難い店内の、いびつな形をしている売り場の柱の向こうや、レコードの詰まった箱の下の夜の気配が一際濃くなったようにさえ思えました。
 こうなりますと、ジャケットを見る目も滑って、語られる噺だけが耳に異様にはっきりと入ってきます。

 日付も変わろうとする夜中、帰路を急ぐ足をつけるように、後ろからひたひたと追いすがり従ってくる音。速めても遅らせてもひたひたは同じ距離で、ふり返ってみても明かり一つない夜道では奥を見通すこともできない。すると行く先に地蔵堂がわずかに灯篭に火をともしてぽつんと建っているのが目に入る。これ幸いと咄嗟に駆けだして、お堂のわきに身を隠し、一体どんなやつがつけてきているのか確認してやろうと息をひそめて待っていると、やがて現れたのは一人の女。それはここまで来る途中橋の上から身投げしようとしていたのを助け損なった相手に違いなく、泥水を吸った着物は体にまとわりつき、結っていた髪ももとどりが解けたらしくざんばらとなり、さらに額の一部はぱっくりと裂けてそこから鮮やかな朱色の血がどくりどくりと溢れてきている。その姿にすっかり驚いてしまい、隠れた体が強張ってつい大きな物音が地蔵堂に響く。すると女はゆっくりとその顔を向けて……

 と、これがなんと「饅頭こわい」なんですね。
 おそらく「寿限無」の次に一般でもよく知られている落語の演目だと思いますが、ざっとあらすじを書くと次の通りです。

 町内の若い者たちが暇をあかして「好きなもの」の言い合いをしていた、酒、女、天ぷらなどなどいろいろなものが出るなか、その流れで今度は「嫌いなもの」に話が変わっていく。
 こちらもヘビ、クモ、ムカデなど多くの名前が挙がるが、それにいちいちつっかかって「そんなものが怖いなんて笑わせる」などとうそぶく男がいる。盛り上がった会に水を差す男に、腹を立てた一人が「じゃあお前は何が怖いっていうんだ」と強くたずねると「俺はまんじゅうが怖い」と白状する。
 男は自分がしゃべったまんじゅうという言葉でさえ縮み上がって、気分が悪いといいだして自分の家へと帰ってしまう。
 残された面々はなにしろ自分の怖いものを侮辱されたくやしさもあり、腹いせに男をまんじゅう攻めにして脅かしてやろうと相談する……

 この噺、江戸落語と上方落語では大きく雰囲気を変えます。

 江戸落語の場合ですと、あらすじ通りで大体十五分前後の前座噺です。
 けれども、上方落語では、「嫌いなもの」の言い合いの最中に「狐が怖い」から前に挙げた「狐に化かされた話」がはじまり、さらに「身投げ女にまつわる怪談」がはさみこまれて長いと五十分に至る大ネタに化けるのです。

 ですので、上方の場合、この「饅頭こわい」を演じるのは前座ではなくベテランで、録音でも桂米朝六代目笑福亭松鶴(おそらく私が大十で聴いたのも松鶴のものだったと思います)などの大名人のものが残されています。

 そんななかで、私が好きなのは桂枝雀『枝雀落語大全 第十一集』に収録されている一席です。

『枝雀落語大全 第十一集』(GSD 6011)

 登場人物がとにかく多いこの演目にもかかわらず、音声だけの録音ですといかにも次から次へと違う人物が登場してくるようで、たまにセリフとセリフが重なって聞こえてくるようなところもあり、舞台上に何人もの人が集まっているような錯覚を起こさせます。
 また、好きなものでの熱いご飯に鯛の刺身を乗せてどんぶりにして食べる際の説明や、嫌いなものでのクモの這い寄ってくる声だけでの形態模写など、臨場感にも溢れていて飽きることがありません。
 そしてあの怪談のくだり、これはもう実際に聴いて体験してもらうしかありません。
 CDを通しても、会場の空気が凍りついて、身じろぎすることさえできなくなっている緊張感が伝わってくると思います。

 この噺が最終的にどういう風にまんじゅうを怖がるところにまで至るのか、そこまで含めて是非ともお楽しみください。

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