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不思議の国のJu-Do

 柔道はこれまで何人ものスター選手を生み出してきたお家芸で、オリンピックとなりますと大いに注目を浴びる、日本発の国際的なスポーツですが、けれども国の境を越えて世界に羽ばたいていったのはいつ頃のことなのでしょうね。
 あいにく私はそのあたりのいきさつの知識はまったくないのですが、最近『Batman: The War Year 1939-1945』という本を読んでおりまして、興味深いシーンに出くわしました。

『Batman: The War Year 1939-1945』

 近年も複数回にわたって映画が公開されて日本でも知名度の高いバットマンが誕生したのは『Detective Comics』というコミック雑誌の1939年5月月号で、第二次世界大戦勃発直前の非常にきなくさい時期にあたります。
 この『Batman: The War Year 1939-1945』はそうした当時の社会情勢を直接題材にして、戦争がテーマとなった作品ばかりを集めたアンソロジーです。

『Batman: The War Year 1939-1945』(Chartwell Books, 2015)

 とはいえバットマンは警察官でも兵士でもない町の自警団員(しかも非合法)なので、直接ドイツ軍や日本軍兵士と戦うなんていう展開はほとんどありません。ないことはないですが。
 だいたいがアメリカ国内で枢軸国側に通じたりシンパシーを感じたりして、テロ活動を行おうとしている人間を懲らしめるという内容になっています。

Man with the Camera Eyes

「おや?」と思った場面のひとつめは、『World’s Finest Comics』という雑誌の第10号(Summer 1943)に掲載された「Man with the Camera Eyes」に出てきます。

 この話の主役はオリバー・ハントという小柄の男性で、彼は一瞬でも見たものを正確に覚えていられる瞬間記憶(映像記憶、カメラアイ)能力の持ち主で、厚い電話帳をパラパラとめくっただけで全て暗記したり憲法を細かな条文まで誤りなく暗唱できたりします。
 オリバーはこの能力を買われてショーの舞台に立っているのですが、本人はその見世物的なやり方を不満に思っていました。
 その鬱屈を知ったギャングが甘い言葉で誘い、オリバーを仲間に引き入れて、例えば音楽プロダクションに忍び込ませて、これから売りに出そうとしているポップソングの譜面を記憶、そして先に別の音楽会社に売り込むなど、少々牧歌的ではありますが、小型カメラなどもなかった時代になかなか斬新な「盗み」を働かせます。
 しかし、実はオリバーの能力はこれだけではなかったのです。彼はなんと記憶通りに自らの肉体を使いこなすこともできるのです。
 盗難をくり返したオリバーたちは次に軍需工場のブループリントに目をつけます。
 そこにバットマンとロビンが飛び込んできて、なんとかオリバーを止めようと説得を試みます。
 けれども、学生時代に見たという「Ju-Jitsu」の技をくり出して、バットマンの首をつかんで振り投げてしまうのです。

(「Ju-Jitsu」の文字がちょっと切れてしまっています)

 オリバーさん、映像記憶だけじゃなくて、他に食べていく道いっぱいあると思うよ。

 それはともかくといたしまして、ページをめくる手が止まったのはここでした。
 ここでの「Ju-Jitsu」とはまず間違いなく「柔術」と判断していいと思います。
 1940年代のアメリカのコミックに登場するくらいには、既にその名前が浸透していたことにも驚きだったのですが、それよりもその扱われ方が気になりました。
 戦争中の相手国の技を敵役が使う。
 特に違和感はない展開なのですが、ただ作中ではこのオリバー・ハントは根っからの悪役としては描かれておらず、後半ではちょっとした見せ場も用意されているのですね。
 それでなんとなく素直に飲み込みにくいものがあったのですが、それ以上は特に深くも考えられませんでした。この時は。
 でも、しばらくして別の個所で、柔らの道と再会することとなったのです。

The Year 3000!

 それは雑誌『Batman』第26号(Dec. 1944-Jan. 1945)に掲載された「The Year 3000!」というエピソードになります。

 タイトルからご想像の通り、こちら現代(当時)が舞台ではなく、西暦3000年の未来を扱っています。SFです!

 西暦3000年、地球上から争いは姿を消し、人類は平和と繁栄を謳歌していた。明るい太陽が空を覆い、花々は地に咲き誇るそんな麗しの世界。
 そこに、フューラー率いる土星人が、突然電撃戦を仕掛けてきて、武器という武器を放棄していた地球を瞬く間に制圧したのであった!

 というわけで、ドイツ第三帝国をモデルとした土星から地球(アメリカ合衆国)が侵略を受けるというカリカチュアでした。
 武力と戦うという行為を失って久しかった未来の人々は、土星からの猛攻にすっかり戦意を喪失させてしまい、無条件降伏状態に陥っているのでした。
 そんな状況で孤軍奮闘の抵抗を見せているのがブレインとリッキーでした。彼らはたまたま爆撃が開けたクレーター(なんと使われたのはAtomic Bombとあります!)の中に、遥か20世紀の時代に埋められたタイムカプセルを発見し、そこに残されたバットマンとロビンの活躍を記録したフィルムを目にして奮起、時代を超えたヒーローに扮してレジスタンス活動を続けていたのです。
 とはいえ多勢に無勢は明白で、そこでバットマンとロビンの姿でブレインとリッキーは地球人を鼓舞し、自分達と戦ってくれるように訴えかけます。
 自由と解放のシンボルとしてのバットマンに勇気を奮い起こされた人々は立ち上がり、ひそかに来る決戦に向けてトレーニングをはじめます。
 その内容が、

 柔道でした。
 バットマンと市民たちが対土星人に向けて秘密の地下シェルターで柔道の練習をしている。字面からしても絵面からしてもかなりのインパクトです。

 それにしましても、土星は確かにドイツを象徴させたものですが、しかしこのエピソードの発表された1944年末から1945年初頭といえば太平洋戦争も末期、日米両軍の激突が最も熾烈となった時期にもあたり、日本への印象がよかったはずがないと思うのですが、そこでレジスタンスの使用する技に柔道を選ぶ発想というのはちょっと理解が難しいです。
 同じ時期に例えば日本の漫画で、日本人主人公にカウボーイ風の投げ縄を使わせて颯爽と相手を翻弄させるようなものじゃないでしょうか。

 可能性はいくつか考えられます。
1) そもそも柔道を日本発祥だと知らなかった。
2) 柔道が日本発祥と知っていたが、その軽快な投げ飛ばしのように、敵の技を華麗に転用して相手をたたきつぶす様を描こうとした。
3) 柔道が日本発祥と知っていたが、国との戦争とその国の文化は別物と切り離していた。

 はじめの「そもそも柔道を日本発祥だと知らなかった」は最もありそうな話です。19世紀末期から欧米をにぎわしたジャポニズムの流行も、多くは美術表現としてのエキセントリックさが前面に立ったもので、必ずしも歴史・文化の理解にまで及んだものでもありませんでしたし、コミックスを描いている人々にその知識がなかった可能性も低くはないとは思えます。
 ただ、あんまり英米語らしくない柔道(Judo)を見てなんとも思わなかったの? という別の疑問は浮かんできます。
 2番目の場合、そういう皮肉な表現もあるでしょうが、でもそうするのならもう少し説明セリフを入れるか、もしくは土星人をドイツ人ではなくて日本人にしておいて意図を通じやすくする努力をしたんじゃないかなと思えます。
 3番目は、もしそうした発想がされていたなら大国アメリカの国民性をうらやましく思いますが、しかし戦中に行われた日系人の強制収容や差別についてを考えますと、かなり無理があるといわないわけにはいかないでしょう。
 結局は知らなかったが最もありそうなところでしょうか。

炸裂! ジュードーチョップ!

 そういえば、戦後になりますが、Judoがよく登場するアメリカンコミックがありました。
 みなさんご存知スヌーピーの大活躍する「ピーナッツ Peanuts」です。

 それも単なるJudoではなくJudo Chopジュードーチョップなのです。
 よりにもよって柔道で、なぜよりにもよってチョップなのか……

 1960年代半ばいろいろなコマで、チャーリーブラウンやサリーがジュードーチョップをくり出したりくり出されたりしています。

左から「Peanuts」1965年9月3日、12月8日、1967年2月17日

 もちろんスヌーピーもです。それも第一次世界大戦の撃墜王の姿で、

「Peanuts」1967年1月17日

 捕虜になって閉じ込められていた独房から脱出するために、敢然ジュードーチョップを敵国ドイツの看守にお見舞いします。

 ここでも日本との微妙な関係は脇に置かれて、アメリカを象徴する主人公のくり出す技になっています。
 もしかするとジュードーという響きに、戦争とか敵味方とかさえ忘れさせる、なにか不思議で惹きつけるものがあるのかもしれません。


それから(追記:6月8日)

 記事公開後、アメコミにも大変造詣の深い作家の藤井三打先生より貴重な情報をいただきました。

 当時のショービジネスの動向については、まったく念頭になく、目から鱗でした。
 日本人や日系人レスラーが、既に1940年代からアメリカをにぎわしていたのですねえ。

 また、さらに、ジュードーチョップについて検証されているリンクも教えていただきました。

 ジュードーチョップばかりでなく、チョップという技についても、ここまで文化史的か考察が可能な対象だとは思ってもおらず、嬉しい驚きを味わいました。

 けれども、こうして改めて海を渡ったジュードーを思いますと、やはり不思議の感覚がますます強まってきます。

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