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其ノ名ヲ呼ブ莫カレ

 名前とは誰にでも何にでもつけられていて、そのものを他と区別するために必要不可欠なものであり、単純に分類するばかりでなく、その本質を的確に指示することもままあります。
 それがあまりにも明け透けであるが故に避けられ、時によっては不敬なこととして、あるはずの名前をみだりに口にしたり文字として書いたりすることが厳しく戒められることもありました。
 中国に発し日本でも長らく用いられた本名を忌避する諱という発想はその最たるものの一つです。
 例えば十八世紀の後半に成立した『字貫』という辞書は、皇帝の本名を記したいう罪で執筆者はもとよりその家族一同、さらには検察官さえもが監督不行き届きで死刑に処されるという事態を引き起こしています。
 それほど名前についてのタブーは根深く重かったのです。
 そして、これはなにも前時代的な旧習というわけではありません。私たちの生きるこの二十一世紀においてさえ、軽はずみにその名前を呼べば大きな災いをもたらすものは厳として、しかも身近に存在しています。

 ここでは仮にこれを〇としておきましょう。

 この〇は卵・砂糖とまぜあわせた小麦粉を水でといた生地を円形の金型に流し込み、間に小豆製の餡をはさんで上下に合わせて焼き上げた和菓子で、手軽さと食べた際の確かな満足感により、無いと物足りない当たり前の冬の風物詩として日本全国に分布しておりますが、その名前が地域ごとで非常に多種多様なことでも知られています。
 回転焼き、今川焼き、大判焼き、御座候、あじまん、おやき、甘太郎焼き……
 これでさえそのほんの一部に過ぎません。
 おまけに特徴的なのは、この〇の呼び名をめぐって、大きな対立がくり返されていることです。
 迂闊に誰かがその名前のひとつを口に出そうものなら、すかさず別の名が上書きするかのように取り上げられ、その名がまた別の名を呼び、次いで次いで次いで……といった具合に、誰もがその正当性を主張して一歩も退かない修羅場が現出します。
 直径が十センチにも満たない一個の焼き菓子が、瞬く間に領域を広げ、含まれた者皆の闘志に火をつける争闘の圏域へと変化させてしまうのです。
 地上に混乱を誘う魔性の食べ物といえましょう。

 しかし、一体いつからなのか?
 ここで問いたいのは、〇がこの世に誕生した起源ではなく、またそれが各地へと伝道されていった分裂の端緒ではなく、そうした混乱が認識されはじめたのがいつからかということです。
 例えば〇がA地方では回転焼、Bでは今川焼き、Cでは大判焼と呼ばれるという具合で地域ごとの名称の違いであるならば、これは単なる地域差であって混乱とはいえません。そうではなく、現状では同じ地域であってさえも、多くの名称が混在し、どれもが主流とはいえなくなっているからこその混乱なわけです。
 しかもそれが日本全国で起こっている。
 はじめは数多いネットミームのひとつくらいに考えていたのですが、どうもそうではなく、もっと根深いらしいことがわかってきました。
 そのきっかけとなったのは、こちらの落語のCDに収録されている、

『枝雀落語らいぶ 1』(TOCZ-5118)

「代書」という噺の一部でした。

 かつて昭和前期あたりまでは役所などの公的施設の近辺だけだなく、ビルのテナントの一画や商店街の片隅でも営業していた商売に、公文書や私文書を代筆してくれる代書屋さんがありました。これはそんな代書屋とそこを訪れる客のやり取りをおかしく描いた噺になっていて、「宿替え」と並ぶ桂枝雀の十八番とされています。
 町工場の夜間警備に雇ってもらうために履歴書を提出しなければならなくなった留さんでしたが、なにしろ履歴書なんて名前を聞いたことすら初めてで、姓名、生年月日、学歴などで問答をくり返すという内容なのですが、その中で職歴をたずねられるくだりが出てきます。

「職歴、ゆうてもわかれへんやろなあ」
 もうこの頃になると代書屋さんも留さんのとんちんかんぶりにまいってきています。
「これまでやってきた職業、仕事でんな、これをはじめから順に言っていってください」
「仕事ですか。巴焼きの道具が余ってるからせえへんかって言われまして。鉄板にこう穴がボコボコボコボコ開いたやつあるでしょ。これが長いこと使うてなかったから錆だらけでして、それで嫁さんに紙やすり買うてこいペーパー、ってゆうて二人してじょーりじょりじょりじょりなかなか落ちひんねえ、仲良うじょりじょりじょりじょり……」
「じょりじょりまで言わなくていいんです。書けへんでしょ、じょりじょりまで。なんておっしゃった、巴焼き? ああ、いわゆる太鼓饅頭ですな。なるほど、巴の紋みたいに見えるから巴焼きですか。いわゆるところの太鼓饅頭でしょう。ああ、でも今川焼きともいいますな、それも捨てがたいなあ……。饅頭商を営むと、こうしときましょか」

 留さんが前歴でやっていた職業が〇を扱うもので、これが巴焼きとも太鼓饅頭とも今川焼ともいって、それが混乱のもとになっていることがかなり自覚的に演じられています。そして、これが枝雀の思いつきでなく一般にも受け入れられているネタであったことは、客席からの笑い声で推測することができます。

 この『枝雀落語らいぶ1』に収録されている「代書」は平成4年7月19日のもので、つまり1992年の段階では既に〇の混乱がかなり浸透していたと考えられます。
「代書」は上に書きました通り、桂枝雀の得意とする噺で、つまりはそれだけ多くの録音・録画が残されています。
 それを以下年代順にリストアップし、噺中に登場する〇の異名も書き出してみました。

(『枝雀の十八番』と『枝雀落語大全』にはそれぞれDVDもあるが、『十八番』のDVDはCD版『落語大全』と『落語大全』DVDは『枝雀落語らいぶ 1』と同公演のため割愛)

 昭和60年前後でその呼称が増えているらしいのが確認されます。そのあたりで、これが全国的な混乱であることが明確になってきたのでしょうか。
 それはともかくとしまして、〇については昭和55年当時から既に名称が多岐にわたり、それが同一地域でも混在していることが一般的にも認識されていたことがうかがえます。
 この混乱は少なくとも半世紀前から確認されている根深いものだということです。

 ところで、この桂枝雀の「代書」はある時期からサゲの部分に大きな変化が施されたことでも知られています。
 さんざんそれまでのやりとりでわけのわからない答えばかりをもらっていた代書屋は、ほとんど半狂乱の体で「それであんさんの商売は結局なんだんねん?」とたずねます。
 この返答がオチへと続くわけですが、『枝雀落語らいぶ1』に収録されている後期の「代書」では、ポン菓子という専用の機械で米粒を膨張させる駄菓子を作る職人を自称していました。
 けれどもこれがそれ以前の録音ですと「ガタロ」になっています。

 ガタロ。土地によってはガタロウと伸ばすこともあります。胴長靴をつけて川底をあさり鉄くずなどの金属を回収する仕事をする人を指した言葉です。
 その姿や水の中に常に入っている様子から、河童の方言である河太郎、ガタロウがもとになったとも言われています。
 奇しくもこの河童は、全国各地で非常に多くの異名があることでも知られており、そのことについてちょっと調べてみようと思っても本の1冊2冊すぐに出てくるという状況です。
 河童とはまさに妖怪界の〇と言っても過言ではない存在なのです。

 そしてこの河童の異名について内田百閒という作家が興味深い文章を残しています。
 明治中盤生まれの百閒がかつて子供の頃に訪れた春に行われる招魂祭で体験した河童の見世物についてです。

 招魂祭ではまだ色々の見世物を見た。大道のその当時の家並みの尽きた所の右側の道ばたに幕を張った小屋が掛かって木戸口は大変な景気だから入ってみると、青草の繁った地べたに水を一ぱい張った四斗樽の鏡を抜いたのが据えてあって、そこいらの草の葉を千切ったのが水に浮かしてあるから底は見えない。まわりに見物がたまるのを見計らって口上言いが何か言ったと思うと樽の底からお釜の尻のような物が、がばっと音を立てて水面に浮かびかけてすぐに沈んだ。後は水に浮かんだ草の葉が揺れるばかりである。口上言いが只今のが即ちがあ太郎だと言った。その時は知らなかったが、があ太郎というのは河童のどこかの方言だそうであって、つまり岡山のごうごである。どんな仕掛けで、何を浮き上がらしたのか、今考えてみてもわからない。

「古里を思う」(「月刊おかやま」昭和21年8月号、収録:河出書房『随筆億劫帳』昭和26年4月)

 池を模した樽の水面に河童の頭が一瞬浮かび上がってくるという他愛ないといえば他愛ない非常に素朴な見世物ですが、そこで百閒の故郷では「ごうご」と呼んでいた河童を「があ太郎」と紹介していたことからも、この興行が他の地方からやって来ていたことが推測されます。
 河童の名前の分布にはこうした外部からの伝来もいくらかあずかっているかもしれないと思わせるエピソードです。

 さて、こうした縁日における屋台では〇も欠かすことができないでしょう。
 ここで河童の「があ太郎」と同じように、縁日の屋台を仲立ちにした他地方の名前の流入があったと想像するのは大した飛躍ではないと思います。
 地方から地方へと渡り歩く香具師が、ある時はまだ知られていない場所に、ある時には既に存在しているがまた別の名前で、その屋台に名前を掲げることで同じものを指しているにもかかわらず異なる名称が分布し、そうすることで混乱を生み出す一つの要因となっていったのではないでしょうか。

 そしてこの混乱は、現在でもまんまる焼きなど新たな名称が加わり、沈静化するどころか深化の一途をたどっております。
 間もなく年も改まり、初詣などの行事では屋台を目にする機会も増えることでしょう。
 そこではまた新たな混乱の火種が誕生しているかもしれません。

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