G-Ups交流会 Swimmy ダイアローグレポート【第5回〜第8回】
第1回~第4回までのレポートはこちら
<第5回>
開催日:2023年3月10日(金) 20:00~21:00
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<題材の記事>
「みちあそび」ってなんだ?〜子どもが自由に遊べる社会を作るために〜Part1(執筆者 池田文子)
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<交流会での意見など(一部)>
・「みち」はいろんな目的で使われ、ある意味遊び場としては制限されていると思います。そこで子どもが遊んでいたら、温かい目で見ることができ、「みちあそび」ってすごく面白い視点だなと感じました。
・幼児教育に関して関心が高いヨーロッパでは、ルースパーツを子どものために大事にするという考え方があります。綺麗に整えられてない点に面白さがあるという考え方を大事にしています。それに対し、日本ではすごく良いものを与えようとしすぎているのではないかと思います。
・大人が、大人の都合で子どもを隔離しようとしているのではないかと気になっています(公園を整備するから公園で遊びなさい、のように)。
・ロンドンでは、町の人たちがこの町を自分たちで変えていこう、という意識が日本よりもかなり高いと思います。シティズンシップですね。
・市やその地域の一員として何ができるかなと考える点は、日本人は弱いのだろうなと思います。
・学校にクレームが来るようなことと同様で、自分で何かを変えようとするのではなくて、誰かに何とかしてもらおう、という発想になっているのだろうと思います。
・問「自分の子どもを一人で遊びに行かせるなら、何歳ごろからできますか?」
答A 小学校3年生の息子は気づいたら、一人でどこでもいいという感じですが、幼稚園児の娘は一人で外に出せないかな、という感じです。
答B 小学校3年生になってから友達と空地や公園で遊んだり、近所の友達の家に遊びに行ったりしています。低学年もいいですけど、少し心配な気がしています。
答C 近所のマンションの公園に、4歳ころから行って遊んでいました。
・「子どもがいなくなった」という事件などを見ると、それが外に出ることを制御しているように思います。ご近所がどのように関わっていけばいいのかが大事です。
・「子どもが危ない」「親が管理をしないと」と思うのは、親自身の孤独感があるからだと思います。手放せるのが上手な親は、横や縦のつながりからの情報がすごく豊かだと思います。自分だけでなんとかしないといけないという親の不安感や孤独感が除かれ、子どもをのびのびと外に委ねられると思います。
・子どもが大きくなるにつれてママ友が減ったり、子どものためのコミュニティが無くなっていったりと、横のつながりが減っていっているのをよく感じます。
・人間関係が薄く、貧しくなっている要因の一つとして、スマホの出現があると思います。何でも一人でできるという感覚を持ってしまい、人に頼る必要がなくなってきつつあると思っています。ちょっとしたわずらわしさをスマホが解消してくれ、誰かに何か申し訳ないという気持ちを感じることなく、物事が進んでしまっている気がします。
・スマホなど頼れるもの、便利なものがありすぎることによって、人との関係を薄くしているだろうと思います。困った時に人は協力するのです(不完全、不便性から生まれるコミュニケーションですね。)
・問「子どもたちは自由に遊べていると思いますか?」
答A 制限はあると思います。子どもが外で遊んでいるときは親が一緒にいます。
答B 安全性の面で自由ではない気がします。自分が子どもの頃はもっと自由に、自然のある場所でアクティブに遊んでましたが、今の子たちは外で何かを作る、生み出すという経験が少ない気がしています。不審者の情報もひっきりなしに来るので、安全面で心配だなと思い、親としても自由にどこでもと言えないと思います。
答C ゲーム、映画、音楽。漫画、アニメなどエンターテイメントが遊ばせてくれるっていう状態。遊びが商品になってしまっているような感覚があり、自由に遊んでいるのかなと感じます。
・遊びをするときの「リスク」と「ハザード」を聞いたことありますか。ハザードは、子どもの命に関わること、絶対に取り除かなきゃいけないこと、リスクは、子どもの遊びや成長過程においてなくてはいけないものという考え方です。木登りなどのチャレンジを常にしていく中で成長していくのですが、ハザードを心配しすぎて、子どもにリスクを冒させないということが、子どもにとっての不自由だと感じています。
・大人の考える自由と子どもの考える自由がミスマッチを起こしていて、子どもはその場にあるものを制限されずに遊びたいんです。大人が子どもにビビっているのでしょうか、大人が子どもの中にもと入っていかないといけないと思っています。子どもの遊びを整えようとするから困り、面倒くさいと思うのでしょう。大人たちの行動の中に答えはあるのだろうと思います。
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<参加者からいただいたご感想>
・「みちあそび」について考えることで、大人の人間関係の希薄さや現代の子供を取り巻く環境など実は大きな社会問題について考えていたことに気がつきました。(中学校教諭・りょう)
・抽象的な問いから具体にいくことはとても楽しいです。問いの深め合いは新たな気づきを与えていただけます。(小学校教諭・アダージョ)
<第6回>
開催日:2023年4月20日(木) 20:00~21:30
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<題材の記事>
教師の子どもはいい子に育つのか? Vol. 2 〜親と先生の違いとは〜(執筆者 足立 悠介)
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<交流会での意見など(一部)>
・「教師の子はいい子に育つ」と思ってしまうとしんどくなるので、割り切って手放した方がいいんだろうなと感じてます。
・世の中の考え方として「教員の子どもだからちゃんとして当然」という見方が多くあるからこそ、ちょっとひねくれてたり不登校だったりすると「教員の子どもなのに」と思われ、変なプレッシャーを感じるのかなと思いました
・教師という仕事以外でも、「警察や弁護士の子どもだから」や「子どもにこうなってほしい」など親の想いが強すぎると、子どももしんどく感じてしまうので、いかに子どもから手放しながら子育てしていくかが大切だと思います。
・親は社会的な立場として「自分がどう見られるか」を受けて、それがフィルターとなって子育てをしている部分があるのかなと思いました。
・自分が担任している生徒には寛容なれるけど、我が子のことになるとそれができないことが多いです。 だから、教師の役割は、親だとうまくいかないことをカバーしたり、その子をちゃんと見る価値があるのかもしれませんね。
・教師としての接し方がマイナスに働いてる部分はあるのかもしれないですね。「子どもに上手に関わる方法」は知っていて、それを我が子の子育てに持ち込んでしまうので、うまく嚙み合わないことが起こっているのかもしれません。
・「教師としての役割」がプラスに働いている部分は、「これからの社会はこうなっていくので、こう育てていくといいかな、こんな経験をさせたらいいかな」と考えられることだと思います。
・教員の子どもを担任していたときのことを思い出すと、いい子どもが多かったように思いますが、「必ず」と一概には言えないです。その「いい子」は「学校の中でのいい子」という見方です。学校ではきちんとしているけど、家では反抗したり甘えたりしている子どもは、健全に育っているのだと思います。
・教師をしながら子育てをしていると、仕事の時間と子育ての時間のバランスを保つのが大変だと思います。業務や部活動指導などでなかなか子どもに関われる時間がすくない方もいれば、自分たちで頑張って子育てして、教材研究などの時間が足りないという方もいますね。
・我が子を、周囲の子や自分と「比べない」ことが大切だと思います。そうすることで、できることもできないことも含めて「この子はこの子でいいんだ」と思うことができ、楽しく子育てに関わることができます。
・教師は、「教師」という仮面をかぶって、教室で子どもたちと真理の探究をしたり社会的なことを話し合ったりすることができ、それは教師の役割としてとても素晴らしいことです。しかし、これを家庭でやろうとすると難しく、うまくいかないことが多いです。
・子どもも、家の中での自分と学校の中での自分という「仮面」をかぶっているだろうなと思います。だから、親が帰宅しても教師の仮面をかぶったままだと、子どもにとってもしんどく感じると思います。
・教師でも子どもでも、家の中と外での自分どちらかが「正しい」ということではなく、うまく切り替えをしているのだと思います。
・「子ども理解」や「発達段階」など教師が学ぶ専門性を、以前は子育てに持ち込んでいましたが、今それを考えずに対等に子育てをしていると、楽しく感じたり、「我が子はこんな子なんだ」と思ったりすることができます。
・子育てに関して、記事にあるように親が第一義的責任がありますが、すべて背負うのは難しく、もっと地域の方や近所のおじいちゃん、おばあちゃんたちなどと一緒に関わりながら、子どもを育てていくことが大切ですね。
・学童保育所に来る子どもたちは、他校の子どもと接したり、近所の公園で遊んだりしていて、そのようにして、子どもは社会的な要素を吸収していくのでしょうね。
・親であれ先生であれ、子どもの話を最後まで聞いてあげるだけで、子どもは心のモヤモヤがすっきりするのかなと思います。それから、教員の時にしていた「叱り方」を我が子にもしてしまったとき、それはよくないなと思いました。
・子どもの通う学校の教室は一つの「世界」ですけど、親が教師でいると、もっと広く、別の世界を見せることができたり、様々な価値観を伝えることができたりすると思っています。それは親が教師であることの魅力の一つだと思いますし、楽しく子育てができます。
・自分の親は教師でした。当時の子育てのことを聞くと、気を付けていたことはたくさんあり、葛藤もあったと言っていました。教師の家庭での子育ては、そのような気持ちになるのだろうなと思いました。
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<参加者からいただいたご感想>
・立場の違いがとても大切だと思いました。教師である親の立場は一生もので、反対に教師でない親の立場は私には出来ないので、私と違う立場の方の話を聞かせていただけるのはとても意味のある場になりました。(小学校教諭・アダージョ)
<第7回>
2023年6月15日(木)
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<題材の記事>
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<交流会での意見など(一部)>
・妻が職場の新人さんから「自分が何をすればいいかわからない。わからないとも言えない」などの相談を受け、これは学校教育に原因があるのかなと思いました。子どもたちが自分のしたいところに向かっていくために 目の前にある自由をどう扱っていけばいいのかを成長過程の中で獲得していくことが大切なのかなと思います。
・「根っこ」というキーワードが記事にあり、それは見えないものですが、家庭菜園している植物が育つ前に大事な部分だなと重ね合わせて感じました。
・映画「夢みる小学校」の上映会後、大きな反響がありましたが、実際に我が子をそのような学校に行かせるのはどうなんだろうと抵抗感があるようで、それをどう払拭していくのかがこれからの課題だと思います。
・私が務める中高一貫校に「学び創造コース」を新たにつくり、コンセプトがきのくに子どもの村学園に近いものですが、保護者が期待していることと学校がやろうとしていることにギャップがある感じです。そのコースで学年が上がっていくにつれて結局学力はどうなるのだろうと、先の見えない部分が不安に感じるのではないでしょうか。そのような学校が実際どのように続いているのかが気になります。
・一条校というくくりの学校では主に認知能力を、オルタナティブスクールでは非認知能力を伸ばすという点で違いはありますが、我が子をどっちに通わせるか迷ったときに、自分が経験してきた方を選んだ方が安心する保護者もいます。
・入試で問われるのは認知能力の部分ですが、非認知能力の説明は数字に出てこないので難しいですし、広めていくのも難しいですね。
・オルタナティブスクールや非認知能力に関する事業をしたいという気持ちはあるものの、それをしていくにあたっては、あまり認知されていないという現状もあり、収益が得られるのかなと不安はあります。
・ICTやChatGPTが出てきて、いい面はありますが、人間の力として失ってしまっていくものがありそうな気がします。ハワイの自然の多い学校へ生徒を引率したとき、自然の中で豊かに生活する現地の人たちの「生きる知恵」に本当に感動しました。 今の時代にこれを学べる場はないのかなと思い、それを創りたいなと思いました。
・子どもたちが自分たちで課題を作り、先生がほとんど介入せず、それに立ち向かって解決していく活動を3年間やり続けたことがありました。 国や県の学力テストで上位成績を取る子、自分自身に満足しているけどまだまだ成長したいと思う子が増えていきました。このような子どもたちをこれからも育てていきたいなと思いましたが、それを求める保護者はどれくらいいるのだろうと感じました。
・小学生の頃は遊びや非認知能力を育てることが大事だと思いますが、それを事業にする際に費用のことは大きなネックです。またそれをしている場所や町に行きたいと思っても、その移住にもお金がかかるので、お金をもっている人の方が優遇されてしまう点も課題だと思います。
・公立学校と違う学校を選択した家庭に対して、自治体から助成金をもらえるところもあるらしいです。このような前例があるのだとしたら、それが広まっていく可能性もあり、私たちにとって大きな力になると思います。
・オランダやヨーロッパでは、子どもが行きたい学校を選んで、そこに移住するとなったときに、国から援助を受けることができるという話を先日ラジオで聞きました。国として理想とする子どもたちを育てていく方針をもっているところでは、政府からのバックアップもしっかりしているようです。
・60年以上通知表や時間割がなく、体験学習に重きを置いている伊那小学校は、そこに子どもを通わせている親や地域の方たちが、その学校の方針に賛同、応援しているのが大きいですね。
・非認知能力を伸ばしたり体験活動をしたりする場所は実際どうなのか、子どもが過ごしてその後どうなっていくのかという点を大人が認知できればとても大きなと思います。なので、その場に大人も入って子どもと一緒に楽しむことができるのは、とても大切だと思います。
・私たちが創りたいオルタナティブスクールは、小中学生が対象ですが、「親の居場所」としても考えています。コーチングを知ってから人間関係がかなり改善されたので、コーチのいる学校を作り、大人のコミュニケーション能力を養っていきたいと思います。
・子どもたちが本気で学んでいるときの表情や姿はとてもよく、そのような場所があるだけで子どもたちのウェルビーイングが満たされていくと思います。また、そこで過ごした子どもたちはそれを大切にできる大人になると思います。
・学校という枠組みはどうしても必要なのでしょうか。また、学校は毎日行かなくちゃいけないという考えがありますが、子どもたちの学びの場は、毎日作らなきゃいけないのかな と自分の中で考えました。学校には「保育機能」があるので、子どもが毎日そこに行けば親が働きに出られますよね。でも、たまに みんなで集まって楽しいこと、学びになることをするだけでもいいのではないかと感じました。
・学校は来なくても大丈夫という場所だと思っていましたが、3年間担任した子どもたちに、「どうして学校に来てたの?」と質問したら、「学校に来たら誰かがいて、一緒に話し合って課題を解決できたらそれが楽しいから」と子どもたちは答えました。そのとき、それができるのであれば学校の枠組みはなくてもいいのかなと思いました。
・子どもが遊んでいるときはやりたいことを探すので考える力はつきますよね。でも、勤めていた学校で、掃除の仕方を統一しますと言われたとき、学校は子どもたちを考えなくさせているなと思いました。それなら学校はいらないのかなと。
・近代社会に移っていったときに、大量生産を求めて、勤勉におとなしく、みんな同じように働く人を増やすように学校教育が進められてきたので、それが今でも残っていますよね。一斉授業をし、同じように育てるその環境が息苦しいですし、そう思っている先生たちが退職していってしまう状況になっていますね。
・ヨーロッパでは、自分たちの町に理想とする教育がなければ、市民が立ち上がってそれを創り上げ、市民活動から国の教育が変わってきた歴史もあります。
・震災が起こったときに、日本人がきちんと整列して並ぶ姿は、世界で賞賛されていて、それは学校で整列して順番を守る習慣をしてきたお陰だという話を聞いたことがあります。だから、日本の学校教育の全否定はできないですね。
・「今こういう場面だからこうしよう」と考えて動けたり、お互いコミュニケーションをとりながらよりよい方向に進んでいったりと考える軸を身につける教育が必要ですね。人にはそれぞれ自由があり、お互いの自由を承認しながら生きていく、それも教育で大事にしていく視点をもっていけるといいですね。
・自由は何でも好き勝手していいわけではなく、そこには責任も伴うので、それを踏まえながら大人が大事な軸を伝えて、ゴールに向かって進むことができれば、オルタナティブスクールのような教育が可能になると思います。
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<参加者からいただいたご感想>
●とてもいい刺激になりました。またお話できる機会があれば、参加させていただきます。
●ゲストが来てオンラインで繋がることで、想いを広く知ってもらうことができ、とてもいい時間になりました。
●自分の中の葛藤を出せる場って本当に貴重だなと改めて思いました。まだまだ葛藤はなくなりませんが、抱えたまま前に進もうと思います。
<第8回>
2023年9月19日(火)
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<題材の記事>
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<交流会での意見など(一部)>
・年数を重ねるにつれて、教員という仕事の楽しさを感じることができましたが、 「学校では楽しかったけど、家が楽しくない」という現実にも直面しました。
・教員なりたての頃は、教員としての力量を高めるのに必死だったり、仕事に没頭したりする時間がほとんどだったのですが、今となってはそれが楽しかったのだろうなと思います。教員をやめる前の頃は、子どもたちとの繋がり、自分が取り組んできたことが子どもたちに還元されること、自分も子どもと一緒に成長できたことに、楽しさを感じていました。
・学生のときは、教員になることに迷いは無かったです。教員になるか、海外で働くかを考えたこともありましたが、教員になって青年海外協力隊として働くこともできるので、まず教員になろうと思いました。
Q 参加者たちが教員になる頃、「教員になること」への社会的イメージはどうでしたか。
・当時高校教員の倍率は高く、「先生になるのってすごい」という声もありました。
・団塊の世代が退職する頃に採用試験を受けたので、小学校の採用人数はとても多く、ラッキーボーイでした。
・大学卒業の年あたりは、今の教員に対する社会的認識の先駆け(教員になると、〇〇が大変なんでしょ?など)が入ってきていた頃でした。「教員すごいね」という声もありましたが、そのような大変な環境に入ることへの「すごいね」という認識でした。
・自分の中で教員としての仕事の多さや大変さは当たり前だと感じていましたが、周囲からの教員に対するマイナスなイメージはほとんどなかったです。
・知り合いの先生から、その学校に来ている教育実習生の話を聞くと、話を聞く姿勢が良くなく、昔とは違って変わってきていると言っていました。誰でも先生になれる時代になったのかなと。
・以前は、「若手教員は先輩教員の姿を見て学べ」という師弟関係のようだったと思いますが、採用人数が増えたり、学生が学校現場にも関われるようになった今、先輩の先生方がどう関わっていいのか難しく感じるているのではないかと思います。
・若手の先生に教師を目指した理由を聞いても、理想や目的をうまく表現できない先生がいるのではないかと思います。その理由としては、先輩教員が「教師とはどういう姿か」「なぜ教師を目指したのか」などの理想や情熱をあまり語っていないからだろうと思います。
・大学生たちが学ぶ意欲があまりなかったり、教師に限らず他の職業に関しても、就職試験を受ける際にその仕事をしたい理由や情熱を語れなかったりしているのではないかと感じます。
・子どもたちが自分で考え、それを表現するという方針が文科省から言われています。でも、周りの若い人たちの様子の話を聞いたときに、学校現場では結局先生からやらされていることが多かったり、子どもたちが自分の考えを聞かれなかったりしていることが、原因としてあるのではと思います。
・現在勤めている学校は、以前は子どもたちが言いたいこともなかなか言えないような様子でしたが、少し緩めると、生徒会の生徒中心に、理想や「こうしていきたい」という想いを話す子どもたちが増えてきました。
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<参加者からいただいたご感想>
●教師を目指した理由。こういう根源的な問いにみんなで迫れることは今のわたし(教職に慣れて、次のキャリアについて考える時期)にとって原点に帰れるような時間になりました。記事をじっくりと読んでみる機会を作ってもらえたことで執筆者の声がより鮮明に聞こえてきました。そして次のステージの若き力に我々も負けてられないと思うと同時に、我々も夢や希望を共に語りたいなと思う決心ができました。濃密な時間となりました。(アダージョ・小学校教諭)
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