行動の理由を想像して、初めて優しい

どんな人へも愛情を忘れず、
大切な人を想うように接する。

聞きなれた言葉ではあるけれど、
どんな時でも平常心でできる人は
本当に尊敬するし、そうなれたらと
何度も考えてきた。

なんだかうまくいかないな。
そう感じるときは、人は鏡ということだったり
感謝が薄れているのかもしれない。
これを教えてくれたのは主人だった。

***

今日の出来事を話す時間を特別設けては
いないものの、
「なんかおもしろいことあった?」から始まる
この会話がいろんな方向に展開していく。

思いもよらず深い話になってしまったり
時にはなぜか泣いていることもあるのだから
妙にドラマチックで、身内ネタながらも
続きが見逃せない感覚に陥る。

「会社に君(私)のファンがいるよ」
というまさかのエピソードもあった。(笑)

となると、彼がどう話してくれているのかの方が
気になってしまい
1日の何気ない話が何層にも膨れ上がるのだ。

その一番聞きたいポイントはうまく引き出すまでに
及ばなかったのだけれど、
きっと彼の中でのピックアップしてくれた
私の一部が、彼らしい言葉と人柄によって
ファンを獲得できたのだろう。

***

会社での話を聞いてると、いつも中心に
「感謝と尊敬」があるなと感じる。

自分の仕事はさておいて他の人を手伝った分、
がっつり残業して帰りが遅いこともしばしば。

いろんな葛藤がありながらも、
求められる自分の立ち位置を受け止めていて
線引きをしながらもいい塩梅で調整役を
務め上げている。

かといってイエスマンではないタイプだから
しっかりサラリーマンを演じているのが
社会人の鏡だなといつも尊敬の念を込めて
褒めちぎっているのだった。

***

じゃあさ、私の求められるポジションって
どんなところなんだろう?

こう考えるようになったのは、
書き記すことで何かを伝えたいと思うようになり、
自分だけの日記感覚だったときは
違うのではないか?と感じたからだった。

かなり粗くいうと、名もなき私が
なんでもない日記を公開したところで
余程のユーモアがない限りは
次回作を待ち望んだりしないだろうな、と思ったから。

知りたいことがありそうな文章に惹かれるのだろうし、
(あ、なんとなくこの人の書き方好きだな。)というような
「何か」を求めて読みたくなるのだと思う。

実際、素敵だなと思ったら、その人の背景に
とても興味がわくし、会ったことはないけれど
文章だけでいつの間にか好きになっている。
だから、知りたい欲をどんどん広げてくれるような
非日常を体感できるから読みたい衝動に駆られるのだろう。

私は何かを提供できるだけのスキルは
持ち得ていないけれど、前提として
読む人の姿が抜け落ちていたら
届くものも届かないんだろうということは
心に留めておきたい。

***

相手の立場に立つということは、
日頃からの感謝だったり、そのお返しじゃないけれど
自分にできる範囲だとどんなことなのかを
考えることなんじゃないかな。

(いつもこんな風に気にかけてくれているのは、
私が疲れていることを想定して
先回りしてくれていたんだな。)
という、相手の「行動きっかけまでの想定」をすることが
本当の意味での思いやりかもしれないと
自分の中でアップデートされた瞬間だった。

行動がすべてだという場合も時にはあるだろうけれど、
それに行き着くまでにどんなことを考えていたんだろう?
というところまでを汲み取れたら、
ずっと優しさが続いていく気がした。

自分を抑えて、こうしてほしいという理想像に
当てはまるのがいいとかそういうことではなく、
相手はどんな想いを持っているか、というところに
興味を持つこと。

当たり前のことなんだろうけど、改めて考えると
もう一歩先まで踏み込めていなかったのでは
ないかという気づきがこんな重たい話に
なってしまった。。

でも、きっと思いやりのレベルは上がる予感がする。
まずは明日の仕事でいっぱい助けていくことから
始めるとしよう。