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令和の北前船 2022夏 DAY4 えちぜん観光

福井市まちあるき

9月10日(金)。
旅行で中心部に泊まるときは必ず周辺を散策することにしているので、
今回は福井市編!

JR福井駅前

まずは駅前を出発して足羽川を渡り橋本左内像を見に行く。今度来るときは北陸新幹線が福井県まで延伸されているだろうし、えちぜん鉄道で巡ってみたい。

足羽川を渡る

橋本左内

幕末の志士、福井藩士。

橋本左内像

藩主松平春嶽の側近として、藩政改革や将軍継嗣問題に奔走。
26歳の若さで安政の大獄により死去。
大阪の緒方洪庵主宰の適塾に学んだ医者でありながら、
人を癒すは小医、国を癒すは大医。人の病よりも世の病を治す」ことを選択した人物。銅像の脇には、左内が15歳のときに自らが学問を志す心構えを著した「啓発録」が刻まれていて、早熟の天才であったことが偲ばれる。

啓発録

足羽川を再び渡り、北の庄城址。

柴田勝家と北の庄城趾

織田家筆頭家老、柴田勝家。

柴田勝家像 左奥にはお市の方

北国方面軍として信長より越前を与えられ、ここ北の庄に城を築き福井市の前身を作る。北の庄城には大河ドラマの影響なのか勝手に山城的なイメージを持っていたけど、位置しているのは福井市の繁華街のど真ん中。武骨な武人のイメージが強いが、北の庄は安土城に匹敵する巨大な城だったようで、勝家の政治家としての高い能力を伺い知ることができる。勝家はお市の方の再婚相手なので、淀殿ら浅井三姉妹も福井のこの地で若き日を過ごしたことになるのか。猛将らしく鋭い眼光が光る銅像だった。

最後は福井城址。

福井城趾


関ヶ原後、家康の次男結城秀康により勝家の北の庄城が福井城として改修され、譜代大名家として発展。幕末には松平春嶽が雄藩の主要プレーヤーとして活躍。

本丸跡には福井県庁、県会議事堂、県警察本部が鎮座。
職員の皆さんが堀を渡って出勤するという斬新な風景でちょっと羨ましい…。

結城秀康像

城址は綺麗に整備されていて、往時を偲びながら楽しく歩くことができました。

福井県立恐竜博物館

福井市を出発し、まずは勝山市の恐竜博物館。
恐竜王国福井を代表する名所からスタート。

エスカレーターで恐竜のタマゴの中へ入っていくような美しいデザインの博物館。

ティラノサウルスがお出迎え

福井産の恐竜をメインに紹介してみる。

フクイラプトル・キタダニエンシス
フクイサウルス
フクイベナートル

古生物に特化した展示内容は膨大であり、大人から子どもまで幅広い世代が楽しめる施設。僕自身、小学生までは恐竜大好き少年だったので、じっくり楽しめました!

ジオパークもしっかり確認

白山平泉寺

「白山に登りたい」という動機から始まった今回の北陸旅。滞在中、福井からも石川からも白山は分厚い雲を纏ったまま、その姿を見せてはくれませんでした。
少しでも白山の空気を感じてみたくて、同じ勝山市にある「白山平泉寺」を訪ねました。福井県側の「白山信仰」の拠点として栄えた地です。

境内入り口からは北陸らしい景色
白山平泉寺 
美しい苔の道が続く

人々に恵みの水をもたらす白山は、古くから信仰の対象でした。その白山信仰の越前での拠点として、養老元年(717)に泰澄によって開かれたと言われているのが白山平泉寺です。
一帯は、最盛期の戦国時代には8000人もの僧兵がいたと伝えられ、当時の日本では最大規模の宗教都市となり繁栄します。しかし、天正2年(1574)に越前一向一揆勢に攻められ、全山焼失しました。
以降、現代まで静かに時を重ねてきました。平成になって発掘調査が始まると、数々の石畳や石垣、坊院跡(僧侶の住居跡)が発見され、かつて賑わった巨大な中世宗教都市の姿を、今の私たちに伝えてくれています。

白山平泉寺HPより http://heisenji.jp/#2-2

福井県の山奥に、ここまでの広大な古社が残っていることが白山信仰の大きさを物語ります。富士山、立山とともに「日本三大霊山」に数えられ古くから信仰の対象となってきた白山。日本の登山は、ア二ミズム的な山岳信仰から
スタートしたとされており、「登山のための登山」である私のような近代登山者とは全く異なる、生活に密着した濃密な山との繋がりが当時の人々にはあったことが想像されます。平地からその姿を綺麗に望むことができる、ことが三山共通の特徴。古から、その美しい姿に人々は畏れと恵みを感じてきたのでしょうか。

美しい苔の絨毯が広がる境内

永平寺

勝山市を出発し、11時30分、永平寺到着。
鎌倉時代に道元禅師により開山された曹洞宗の総本山。
今も厳しい座禅修行の場として多くの僧侶が修行に励まれています。

禅の本場

永平寺の厳しさはよく存じ上げていたので「気軽に訪れていい場所なのか?」
と思っていましたが、実は福井県を代表する一大観光地。京都や奈良の古刹を観光する感覚で、気軽に見学することができます。食わず嫌いせずに、一度は訪れるべき価値のある場所です。

深山幽谷の地のイメージがありますが、意外にも福井市からのアクセスは良いんです。

まずは定番の構図をしっかり堪能
この「唐門」は一般の人は通ることができません

拝観料をお支払いして、境内へ。
「永平寺スリッパ」に履き替え、所要時間1時間ほどの永平寺散策です。

永平寺スリッパ

まずは「傘松閣」。華麗な天井絵が広がる大広間。
天井絵の配色の美しさにひたすら圧倒されました。

傘松閣

続いて、七堂伽藍を巡ります。
僧侶の方々の修行が行なわれている場所で、全ての建物が回廊や階段で繋がっています。

日本の四季の美しさをこれでもかと感じさせてくれる境内。
季節が移り変わるごとに何度でも訪れてみたい場所です。
鎌倉以来の古の空気が、俗世間とは切り離されたこの地で静かに流れていることを確かに感じる場。
道元は、ひたすら座禅に打ち込むことが修行である、という「只管打坐」の思想を追い求めた人物。わずか1時間の境内散策だけでも、大袈裟ではなく心から精神が穏やかになる場所でした。
永平寺の修行僧の方々は、一人につき畳一畳のスペースで寝起きをして粗食に耐える修行をされています。食事から洗面、清掃といった全ての行為がここでは修行。日々の何気ない行為こそが修行であり、それは一般人の日常生活でも変わらないものであると再確認させてくれます。

一般に、2回目以降もぜひ訪れたい!という観光名所は少ないものですが、
永平寺は自分にとって別格。福井県を訪ねることがあったら、また寄りたい。永平寺に参拝できた、この一事だけでも今回北陸を旅した甲斐があったと胸を張って言えます。

門前町で頂いた蕎麦と胡麻豆腐が絶品だった…
胡麻豆腐、自分で作ってみたい

一乗谷朝倉氏遺跡

永平寺で穏やかな気分になった後、再び福井市方面へ戻ります。
道中、「一乗谷朝倉氏遺跡」。歴史ファンモード全開で行きましょう。

一乗谷を歩く

一乗谷朝倉氏遺跡は、越前国(福井県北部)の守護代から身を起こし戦国大名となった朝倉氏が5代103年間に渡って支配した城下町の跡。最盛期には人口が1万人を越え、京や大坂堺に次ぐ当時の大都市として文化的にも栄華を極めた場所。
室町幕府第15代将軍足利義昭も、信長に奉じられる前は朝倉氏を頼ってこの一乗谷を訪ねているほどです。
1573年、織田信長により三日三晩の焼き討ち(織田軍のやることは苛烈…)
に遭い、朝倉氏の一族と共に歴史の表舞台から姿を消すことになります。
昭和中期から始まった発掘調査で、当主の館や武家屋敷、町並みが400年の時を経てほぼ完全な状態で発掘され、戦国期を今に伝える大変貴重な遺跡となっています。

館の入り口
周囲は簡易な堀になっている


館全景
日本庭園の跡

館付近には、当時の町並みが再現された「復元町並」があり武家屋敷や町屋がズラリ。大河ドラマのキャストになった気分で散策できます。

「麒麟がくる」風味のある町並み

狭い盆地に館を築く、って軍事的にはかなり疑問符なのですが、
朝倉氏としては小さな京都を越前国に作りたかったのかな?とこの記事を書きながら考えています。坂井の港を抑えて交易を行ない、京の都にも負けない文化力を持った朝倉氏。彼らの拠点であった一乗谷からは、信長のような「天下布武」だけが全てではない、特異な戦国大名の姿が浮かび上がってきます。
ある意味戦国のローカルプレーヤー的存在だったのでしょうか。

丸岡城

この日の投宿は金沢。
道中、坂井市に寄っておきたい場所がありました。

丸岡城

丸岡城。
江戸時代以前に建設された天守が今も残っており、このような城は日本全国に12城ある「現存12天守」と呼ばれる貴重な天守(姫路城、松本城など)です。北陸地方に唯一残るのがこの丸岡城。野面積みの石垣と、小柄で木造丸出しな天守が、無骨で朴訥な北陸らしい雰囲気があってとても似合います。

天守へは、一昔前の日本家屋のような急な階段を登っていきます。
下るときにはエイト環で懸垂下降したくなるような感じです笑

天守からの眺め

東尋坊

当初は雨予報だった福井県も予想外の好天。
ちょうど夕日の時間帯だったので、東尋坊を経由して金沢へと向かうことにしました。

実際のところ写真ほどの圧迫感はなくてこじんまりとした柱状節理なのですが、ちょうど日が沈む時間帯。夕日が岩に映えていい写真撮れたので大満足。

次の記事は「DAY5 金沢まちあるき」です!
今回もありがとうございました!



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