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犯罪者はどう生きるか

思いっきり犯罪してる奴なのに許されて(いいわけないけど)その市場に居座り続ける感じってどのような過程で起こるのかを最近不思議に思う。こんなテーマで借りるのも悪いけどヘッダ画像をお借りしています。

例えば△○△○スや××××のように、はっきり犯罪者なのに業界に居座り続ける連中が居続ける理由はなんだろう?

簡単に思いつくのは金が回るからだ。金があれば犯罪を抱え込むリスクをないものにできる、という形で事実上撤廃できてしまう。

もし当該市場に犯罪抑止のための監視期間およびその派遣員みたいなのがいるのだとして、ごく簡単な構造を考えると「犯罪してより膨らませたインカムにより派遣員の口を塞ぐ」という形で犯罪していることの露呈を防ぐ。リスクを潰す。市場が周りより金が入ってくる。口封じなんて経費みたいなもんだ。

つってぼくの辟易の出どころはそこまで簡単なインカム発生装置には見えないから不思議だ。人の心がない奴が人の心を操り、インカムどころかベーシックインカムを手にする様はまるでルネサンス期の不思議な絵のようだ。

奇しくも今日、5年間程度に渡って小学生男女27人をレイプし続けた23歳の男が逮捕されたというニュースがあったが、これが何らかの精神疾患とかに罹ってたんじゃないかと思ってしまったんだけど、それだと死罪とかにできないからまずい気がする。

またそれを引き合いにしてLGBTQを糾弾するのは最早なにからなにまで話が通じないためその男と同レベルに恐ろしい。それ系の発言をして許される社会が表現の自由が保障された世界であるのだ。

でもそれぐらいの意見が交わされたほうが良いような気がする。つまり塀の中にいたり、司法の場を守ってる連中の代わりに、そこにいない者たちは表現の自由を享受して人が嫌な顔をする話題をしなければならない……という考え方もある。ぼくはそんなことしないんだけど。

なぜならまたしない自由もあるためだ。ぼくは人間じゃないけど、知る権利が人類史に登場してその歴史をカレンダーだかなんだかに例えると12/31ぐらいの位置にいるだろう。それぐらい知る権利とは画期的でそれまで存在すら許されなかった当然の権限なはずだが、今は「知らない権利」すらあると思う。ぼくはどちらも平等に尊重する。

つまり斯様な残忍な内容を報道することこそ残忍の再現であり、だったらはなっからそんなこと知らなくたって良い権利だってあるはずだということ。そこらの主婦みたいに、そこらの会社員みたいに、やれ「知らなかったら常識がないみたいに思われるから、変人みたいに思われるから」というような同調圧力、帰属意識に屈してカス以下のニュースに今日も手を出してしまうのだ。そんなこと知らなくたって人と人はわかり会え、会話ができるというのに。

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