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皆既日食は人の形をしているか?

これは映画の感想です。ヘッダ画像でお借りした女の子のようにどこか人知の向こうにいそうな人々の話だった。アメリカン・ビューティです。

アメリカン・ビューティの感想を言うには、出てきた人々の形容をするだけでまずその第一回が余裕で終えられてしまう。それほど濃い人々……といいますか、ほんま出てくる人出てくる人全員いかれててガチで怖い。人に勧められないけどガチ見入りしてしまった映画なんて初めて見たかもしれない。

見終わった後にウィキペを見たらあらゆるアカデミー賞を受賞していた。納得した……。

ぼくはこの前も書いたけどさんざんステレオタイプなヒステリック・メリケン女が出てくる映画を見てしまい辟易していた。その演技がうますぎるのがいけない。そして、そんなステレオタイプを演じさせられる熟練の俳優たちに肩入れしてしまい悲しくなるからあまり見たくない。キャリアを積んで課せられた役目がそんな典型的ヒスババアかよ、と。まともな役柄与えてやってくれたまえよ、と。もちろんそんなのはぼくの一方的なエゴに過ぎない。

まずケヴィン・スペイシー。

ユージュアル・サスペクツのケヴィン・スペイシーが凄まじかった。そこへきてアメリカン・ビューティーだった。ぼくはアメリカン・ビューティーをケヴィン目的で見たため、ケヴィンがどんだけいかれていくのだろうと思ったんだけど全然いかれてなかった。もともと好きなのもでかいだろうけど、ぼくは徹頭徹尾ケヴィンに肩入れして肩入れしてしまくる視聴者だった。

そうなると後は肩身が狭いことになる。なぜならアメリカン・ビューティーの世界はいかにケヴィンの心身を痛めつけるかを深堀りした映画だから(見てる途中も見終わった後もそこまでそうは思わなかったんだけど、今こうしてケヴィンについての感想を書いているとマジでそうだったことに気づくわけです)。

どれくらいケヴィンに対して世界は鬼かといえば、鳴り物入りで転職してきた人事野郎はケヴィンを首にしようとしてくる。

妻はうえに書いたような典型的アメリカンヒス女であり、ケヴィンを下に見ている。自分のほうが商才があると。実際ない。なんだか知らないが同職の不動産王に激しく抱かれに行く。転職したケヴィンがドライブスルーで、不倫中の妻の車にめしを配達してやる。

娘は児ポ法的に大丈夫か?という描写があり驚かされる。ただそういう目的でこの映画を見たら多分相当打ちのめされるんじゃないだろうか。

それにしても映画本筋のある場面を冒頭に持ってくる技術が怖い。それがこの娘が喋ってるシーンだから。どうやら娘は男と一緒におり、自分の親父(ケヴィンだ)をその男にぶっ殺すよう依頼している。

実際のところぼくは冒頭のこの女が娘であることに割と物語がそこへ到達するまで気づかなかったためあんま説得力ないかもしれないけど、映画の雰囲気ときたらその冒頭をはじめ、次にプロローグでのケヴィンの独白においては「僕は数カ月後にぶっ殺されて人生を終える」みたいな予告もあり、次第にケヴィンの存在を疎ましく思う連中の母数が増えていき……あくまで小さな社会の中で物語は展開するため、母数つってもたかが知れてはいるけど、社会が狭い=登場者が少ないってことは全員の人となりを視聴者は深く把握してるわけで、そいつらの何人かがケヴィンを殺そうとしており、あの独白があるんだからもうこの話はサイコホラー・サスペンスとか言えるんじゃないだろうか?ヒューマン映画が好きなぼくにとっては一向にヒューマンに分類されるだけなんだけど。

これは演歌やジャズという内側の円を、ロックというそれらを包み込む大きな円があり、ジャンルを分けることになるみたいなメタ次元の話に近い。演歌だってロックなら、童謡だって(その中にロックの色が垣間見えるのであれば)ロックなわけです。

なぜなら……誰の側にも月は等しく登るのだから。

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