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ナイジェリアの娼婦の映画を見たら日本語のレビューがどこにもなかった「グラマー・ガールズ」

題名の通り以上のことはないんですが、ヘッダ画像をお借りしています。感想を述べるためにちょっとだけディパーテッドの中身について触れているのでこれから見たい方は読まないほうがいいかもしれません。

英語版Wikipediaならある。監督はブンミ・アジャカイエさんというお名前らしいけど、正しい読み方なのかどうなのか……

グラマーとは

グラマーガールズという題名の通り、グラマーな女達が出てくると理解していいように思います。グラマーの定義とは何なのかぼくにはわからない。人をグラマーですねと褒めたことがなく、これからもそのように褒めることはないでしょう。

南半球の国々で礼賛されている女の人の格好としてBWHのうちHがそれなりにあることが挙げられます。じゃあそのことなんじゃないか?とグラマーガールズを見終わった今では薄く思っています。

事前情報はあるべきかないべきか

ぼくは映画を見るに際して何の情報も得ないことを信条としています。

例えばその映画がハッピーエンドだよとか教えられた場合、「ああ今の苦難は必ずいい方向に解決するんだな」とわかってしまう。

でも中にはこの人がのちに死んでしまうんだよみたいなことが予めわかってた上で見るほうが嬉しかったりする向きもあるのかもしれない。

ぼくはそのような事前情報を入れまくる感じの映画の見方には魅力を感じないですが、そちらのほうが楽しいという思いを阻害したいわけではない。ディパーテッドを観る上でこの考え方は非常に重要だった。とだけ言ってしまうことでもディパーテッドの中身を少し示唆してしまっているためぼくと同じ感じで映画を見ている人にはこれは許しがたい行為となってしまう。

グラマーガールズにおいてはこちらが仇になったといいますか、日本語のレビューが欠片も見当たらないため、途中で意味不明になったときに果たして自分の考えが正しいのかどうかを確かめる作業すらできない(たまにやります)。もちろん本来の「映画を額面通り受け取る」という行為を完遂するにおいてはそっちの方が正しい気がしますが……

ついでに見終わった後にソロ感想会を開くこともできない。ぼくは自分が映画を見たという情報を第三者に伝えたいみたいな承認欲求こそないんですが、自分が見た物の中身の受け取り方は正しかったのか、違ったのか?の差を喜ぶ行為に対しては抵抗がない。だからこのようにアウトプットして字に残すことで自分が見返しやすいようにしているし、上記したような個人サイトのレビューを見たりします。

でもぼくが見終わった段階では誰もナイジェリアの娼婦の映画を見ていなかった。本文の各所に埋め込んだ海外のSNS利用者以外は。2022年製だからかもしれない。

人の見分けがつかない

額面通り受け取れてなかった結果のひとつとしてぼくはSharon Oojaが主役だと思っていたものの、序列的にNse Ikpe-Etimが主役だったらしい。前者は小さな兄弟かなにかを養うためにストリップに身をやつしていてある日来店した富裕層の小賢しいボディガードに意味不明な難癖をつけられて解雇されて、ろくでもない手段で娼婦として雇われる。後者はその元締めみたいな人だった。

前者も前者でなりふり構ってられないからおよそ共感しづらい手段を使いまくったり、出世(富豪に囲われることが出世なのであれば)に伴って目を背けたいぐらい増長する。

得てして主人公とはそのような色物がなるものだという先入観がぼくにはあったから、前者つまりエマヌエルが主役だと思っていたものの、後者であるドナ、さらにはかつてドナに世話になり自分の店を持ったが未だに娼婦として小遣い稼ぎと男漁りをしていてアメリカに住んでるあらくれみてえな男にそれを黙ってて結局何もかも失う女、というこの三人がそれぞれ主役であり、ナイジェリアの女の人の生活を描写していたらしい。あとドナの妹かなんかの、配偶者が植物状態になってしまっている人も主役……だとか…………?話は同居しているものの激しいオムニバス感がある。

ドナ以外は髪型がころっころ変わったりするのもあり、誰が誰だかぼくにはほとんど判別しなかった。ぼくは黒人に対してネガティブな先入観は何一つないどころか、あらゆる有色人種の中でも黒人には特に愛着を持っているにも関わらず人の見分けがつかない映画だった。もちろん、テーマが娼婦なので彼女たちは毎回格好もウィッグも変えるし、それが映画の華でもあることでしょう。ただその御蔭でわからんちだったことは相違ない。

しかもドナは別に娼婦の元締めじゃなくてインテリアデザイナーだったっぽい。娼婦関係は裏の顔だった。

確かに黒人といえばR&Bみたいな画一的なBGMだったかもしれない。

あまり前向きな感想は多くなさそうだった。

しかもグラマーガールズとは90年代にあった映画の別撮りの意味もあったっぽくてもはや……自分の浅学さが浮き彫りになりました。

教訓

以前もどこかで述べましたが、どんなだめな映画にも教訓があります。マジでだめで受け付けなかったら、以後の映画を選ぶ教材として使えますよね。この監督が、この俳優を選ばないようにしようと。

ぼくはそこまでグラマーガールズに対してだめだとは思っていません。ナイジェリアの経済格差がわかりやすく見て取れたことが教訓になりました。

前時代的なターバンみたいなものを頭に巻いて、民族衣装みたいなのを着た人は富豪らしい。携帯といえば誰もがスマートフォンであり、どの車もハイブリッドに見えるぐらい文明は行き届いているにも関わらずそういう格好をした層がナイジェリアにはいる。そんなことは映画を見るまで知れる機会なんてなかった。ただ、そのようなあらゆる前提を知らなかったため余計難解に見えたのかも知れない。

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