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バーチャルに内側も外側もあってたまるかね

普段読んでいる日クロがバーチャルユーチューバー関係のトピック(当該文化が大好きな20代の女の人三人が対談するだけ)を立ち上げたので読んだんだけど、結局はマーケター向けに「いかに金にするか」的な部分に踏み込ませるための礎程度の内容なのかなと思った。ヘッダ画像をお借りしています。

とはいえ、日クロ的にはそれで正しい。なぜなら数字が大好きな読者(なんたって読者とはマーケターなのだ)的にはそりゃあらゆるジャンルを数字で理解し、利用してやるために足を踏み入れたことがない業界のブルーオーシャン度を貪欲に知りたくて日クロを読んでいるんだし、満足度は別に悪くないんだろうなというのが読んでいて透けて見え、まじできついという「のみ」がぼくの抱いた読後感である。

まずなぜこの対談が実現したのかの理由として書いてあったこの修飾語群、

フォロワー数90万人を超える女性向けメディア「Sucle(シュクレ)」

いきなりの数字。女の人向けメディア……それはそれは良いことです。でも女の人が、さんざんっぱらぼくが言っている「好き」ではなく「推薦」と言わされる文化、

文化といいますか「金銭生み出しシステム」に見事乗っけられている現代という背景をどう処理する。

現代のIP産業では、どうすれば女の人が自社IPを好きになって、頼みもしないのに承認欲求の発露により勝手に広報化(UGC射出)してくれるかに重きが置かれてしまう。

自文ですが、以下の文の2個目の見出し(・なんで「好き」って表現だけじゃだめなのか?広報担当みたいに周りに推薦しなきゃいけないのか)あたりに書いていることです。自動的にそこへのリンクになっているはずですが環境によりここの動作ってころころ変わるのでちゃんと飛ぶかわからない。

もし自動的に飛ばなかった場合は、当該見出しの題名を冒頭にある目次からクリックしてみてください。別にそこまでして読む必要はない。必要な部分を本ページ用にちょっとカスタマイズして自分で引用すると、

・広告費かけないでもSNSでガンガン広めてくれるファンがいる
→ 当該ファンが「いかに自らが当該IPを好きか」を周囲に知らしめようと、その単なる好きだという情報を押し付けようとするほどに、当該IPの知名度が少なくともその発信者の周辺には広がる

・企業からしたら広告費などという最強の損益計算書上の邪魔者をUGC入手によって丸ごと消せる(SNS広告に限って、だが)
「好き」を当該単語でファンに表現させることが、IP経営上で有利以外の何物でもないという知恵を企業側がつけてしまう



「当該IPのことが好きである自分」を周りに知らしめたい承認欲求に囚われた化け物が多ければ多いほど、企業は潤ってしまう
→「好き」という表現が許されない時代である。「好き」という行為は「推薦行為」で表現しなければ「お前の愛、その程度なん?」と同調圧力に殺される

・この承認欲求に駆られた場合、当該IPのために「企業の代わりに広報活動すらしてやった」という「貢献感」すら得られる
→ 自分の中に生まれた当該IPもしくは知的財産権保持企業へのロイヤルティすらポジティブに受け止めてしまう
→ 好きな対象のためにしてやった「ただ働き」すら誇らしいと感じるように

出典もくそもぼくが5日前に書いた文だ

基本これ前提でこの対談が進んでいるので目が滑る。情報が頭に入りづらいんだけど、それはこの世でぼくだけかもしれないのでほっておくことにする。

そしてぼくは中の人というネットスラングが非常に苦手である。とはいえネットスラング全般が苦手なんですけど、これは企業アカウントの運営者という意味で現代では使われることが多いのだが、アニメキャラクターに対する声優さんにおいて用いられることがあり、心底寒気がすることがある。

そしてこの理論をバーチャルユーチューバーに適用するのはかなり危険である。このニュースの最後にはこんな結論が意気揚々と掲示されている。

【Z世代がVTuberを好く方程式】
不変性×可変性=VTuberの魅力(ギャップ)
●不変性=キャラクターデザイン(見た目)=覆面性
●可変性=人間らしさ
 =「今この瞬間」を共有できるリアリティー性+知識や経験に基づくトーク力

 Z世代がVTuberに魅了される背景には、見た目の不変性と、VTuber本人の個性やコンテンツに左右される可変性によって生み出されるギャップにあることが推察されます。
 キャラクターアバターを使用しているからこそのビジュアルの完璧さがある一方、スピーカー本人が素顔を出さないからこそ、トークなどを通じて中の人の人間味ある感情が垣間見えたり、そこからギャップが生まれたりする。そんな彼・彼女らの「人間らしさ」を、「同じ時間を共有できる」ことにより、VTuberというフォーマット特有の魅力を強化していると言えそうです。

https://xtrend.nikkei.com/atcl/contents/casestudy/00012/01311/

文の冒頭で紹介しているバーチャルユーチューバーの歴史においてキズナアイを引き合いに出している時点で、キズナアイとは単なるAIであり人間が何ら関与していないモデルで進んだプロジェクトという背景を理解できていない……?のか?と思ってしまう。

この理論も前提でこのお三方の対談が進むんですね。なんか……理解もくそもないじゃないっすか的な気持ちに陥ってしまう。

このニュースを紹介してた人が僕はおっさんなのでバーチャルユーチューバー文化のどこがいいのかさっぱりワカンネとか言ってたんだけど、だったらその……この対談で出てきたような20代の女の人などというクソ狭い経済圏だけに頼るのはやめて、30代男女、もっと上はもちろん、、なんならリタイア組もぽつぽつ現れるであろう、50代60代男女とかすらをも鼎談に連れてきても良かったのではないか、といいますか連れてくるべきだったでしょう……じゃなきゃこのニュースが単に、女性向けメディア「Sucle(シュクレ)」とやらの提灯記事でしかないことが隠せなくなってしまい、語るに落ちてしまう。

ぼくの周りにはいないけど(当該年齢群がまずいないんだけど)、ステイホームでバーチャル文化を見始めた50代前後の人々だっていっぱいいるはずです。

なんだったら確か70だか80のバーチャルYouTuberがいた気がする。もちろん仮想世界における当該年齢なんだろうけど、なんだったら発信する側がその年齢群なわけです。まるで20代しかファンがいないかのようなこの鼎談にはどのような意味があるのだろう。まるで……人は人に惹かれるんです、素晴らしいですね、的な結びで終わっているこの文にマーケターはどのような産業価値を見出すのだろうか……

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中村風景
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