心が優しくてパルワールドを遊べない人のために
ぼく自身はパルワで遊んでなくて、専ら見てるだけなんだけど確かに記号的でわかりやすいと思えた。ヘッダ画像をお借りしています。
ぼくの中で動物といえば鹿なので鹿の写真をお借りした。なぜ動物なのか。パルワには現実世界の動物が出てこないからですね。
つまりファンシーな生き物をボコして仲間にしなければならない。これは結構心が傷む人がいてもおかしかないんじゃないだろうかと思える。なんせボコすのは自分の分身たるゲーム内アバターの彼女/彼であるから。
言うなれば自分が自分の動機により能動的に目の前のファンシーをぶっ叩かないといけない。心理的ハードルを察するにあまりある。じゃあどうするかとなった時にぼくが思ったのが動物なんだけど、それはそれで傷つく人がいるのかもしれません。
しかしながらそれはそれで、いまぼくが議題にしたい内容とは一定のファンシーつまりキティさんとかをぶっ叩いて痛めつけたところでモンボみたいなのを投げて仲間にする、みたいなのがどうしてもできない層だけについて。なのでそれだけを考えることにしたい。
現実の動物を瀕死といいますかぶっ殺しても仕方ないときってのがある。それは命に関わるときです。またぎが山で熊をぶっ殺す。あるいは都市に来てしまった熊を命の危険から身を守るためにぶっ殺す。そこには合理性しかない。
だからゲーム上でそれを再現すべきである。動物が襲いかかってくる。それがたとえ可愛らしいりすとかであってもやらなきゃやられる。そして飢餓の概念があれば、食わないことで死んでしまいそれ以上ゲームを遊ぶという本来の目的が達成されないことになる。のであれば誰だって目の前の動物をボコせるだろう。
ぼくが遊んでないからわからないけど、それができたのがアークとかだろうか。なぜか恐竜が滅びていない世界で、恐竜に対して同じことをする。というのがぼくが持っているアークに対するイメージです。食うも殺して撃退するも手懐けるのも合理的であり、命がどう扱われるかは時の運である。
するとパルワの自己以外の生命が動物であればよかった……ように思うのだがどうなんだろう。リアルすぎて些かのゲーム性が失われるかもしれない。だったらなんかそういうゲームってあんだろみたいに言われるかもしれない。The Hunterとかファーミングシミュレーターとかで代替できてしまう?
あとは数日前話題にした2DゲームであるTerrariaとかでもそうだし、何なら3Dの代表マイクラでも兎とか豚を狩りますね。かわいい生き物を刈り取らねばならない心理的ハードルをどうにかするには……やはり命の危機しかない気がする。彼女/彼らに襲いかかって来てもらえばいいのだ。
あとは「手懐け感(デジタル・手懐けによるBP低下)」とか「人間が捕まえられることへの納得度」みたいなものについても考える余地があるのでまたいずれ。
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