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志方あきことボヘミアン・ラプソディとRadiohead

マツコの知らない世界を垂れ流していたら志方あきこの歌が聴こえてきて驚きました。ヘッダ写真をお借りしています。

志方あきこの歌がアニソンとして使われたが、およそ類を見ないクラスの内容となっていてすげえ、と外国人の女の方が褒めていた。歌に合わせて身体を揺らしたくなってしまい(おそらく何度も何度もすでに聴いた経験があるはずなのに)、マツコ・デラックスの話を遮るほどの入れ込みようだった。

それはまるで専門性のある話をし始めると恥も外聞もなく周りの目も気にせず奇っ怪な行動をしてしまうおたくのそれみたいだったので、おたくの文脈とは世界共通であり性別も無関係なのだとぼくは思った。おたくがおたく足り得るために克服すべき点は、まずこの興奮して自我を失うほど話しすぎてしまうことだとぼくは思っていたが、おたく然として話し出すと止まらなくなる人でも外国の民放のゴールデンタイムのティービー・ショウに出演できるのだ。

話を戻すと、志方あきこのアニソンはとにかく展開の技がいかれているということだった。ラテン語のオペラから始まり、アジア民族調になり、演歌(海外の方からすると割と日本の歌は何でも演歌にきこえがちだというニュアンスを含んだ説明が為されていた)になって……という技術が褒められていた。こんな歌は聴いたことがないと。

そこでデラックスは、あなたがアニソンを聴いて得た感覚は、アタシが初めてボヘミアン・ラプソディ(QUEEN)を聴いて驚いたときの感覚に似ているのかも知れないわね、と言った。彼女に言わせればボヘミアン・ラプソディは重めなバラードから始まり、ハードロックになり、いつの間にかオペラになっている。ひとつの歌の中でそんな展開あるのか、と。外国人の女の人を見てそのような想起がおこなわれた。

この話を聴いてぼくは志方あきこはもともとアルトネリコとか、当該アニメのゲーム版の主題歌で真っ先に民族調とかラテン語とかを踏まえた歌を提供していたから認められるべくして認められたんじゃなかろうかと思うと同時に、ぼくがRadioheadのparanoid androidを聴いた時にこんな歌造っていいのかよ!と思ったときの気持ちを思い出しました。何事も自分ごと化するとわかりやすくなリます。

paranoid androidはワルツとかソナタとかなんか呼ばれてた気がします。ゆったりしたチルい8ビートから始まって、全部一旦やめて、三拍子のもっと遅い歌になってもとに戻る。全然ラジオが受信できねえ砂漠地帯でぐいぐい周波数を合わせてたらいきなり歌が始まって、聴いているうちにまた別の歌が放映されている局を受信してしまって、元に戻そうと奮闘してたら一応元の局には戻ったっぽいけど歌がぶつ切りで終わっちまったよ!的情緒をparanoid androidは持っています。

ミスチルの櫻井がこの歌に衝撃を受け、休止中だったにもかかわらずニシエヒガシエを造ってメインメロディとメインメロディの間にまんまとこの三拍子を構成した話はあまりにも有名ですが、公式発言だったかどうか覚えていないためファンの前で引用するのはどうかおやめください。Mr.Childrenの復帰は前向きな終わりなき旅だと一般的にはされていますが、実際はニシエヒガシエです。愛だ、恋だ、と抜かしたって、所詮はぼくらはアニマルだと。

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