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エンターテインメントとしての妊娠

※映画2つの人生が教えてくれたことの感想です。

ヘッダ画像をお借りしています。

まとまった時間が取れたのではちゃめちゃに映画を見ました。もとよりそのつもりだった。うう……

先日もいくつかその中の感想を書きましたが、覚えているだけでも

カフェソスペーゾ/GlamourGirls/酒とワインと現実と夢/コンサルタント/ありえないほど近い/愛の行方/スーサイドスクワッド/ガンドゥ/50セント(の自伝みたいやーつ)/白い黒人/アイケイムバイ/ラブドラッグ/インターステラー/デイシフト

と見ました。感想を書いたのはグラマーガールズ、ものすごくうるさくてありえないほど近い、ガンドゥ、白い黒人、アイケイムバイでした。他のもまず間違いなく書けるんですが、書いてる暇があったら次の映画が見たいと思うと結局最新(で見た)の映画の感想ばかりになってしまってもったいない。

愛の行方以前はしかも7月とかに見てますね。愛の行方もグラマーガールズやガンドゥと一緒で日本語の感想が見当たらないのでせめて書いておきたいんだけど、上記の理由でどうのと。。

身の丈について話しているだけで規定の文の半分を使ってしまったので2つの人生が~の感想について……ぼくは映画には、といいますか何らかの物語には何らかの教訓があると思っていて、映画の感想を書く時にたまにこれについて触れています。

ぼくが映画の感想を書くのは、決して毎日noteを書かなきゃいけないのに題材が決まらないからではなく(そんなこと誰がいつの間に決めたんだろう?)、何かしらビュー数を稼ぎたいだけでもなく、その教訓をなんとなく覚えておいた方が良さそうだと思っているためです。

この理論からすると、2つの人生~は非常に「教訓がある」という示唆に富みまくる映画だった。だってまず題名からして「教え」を押し付けちゃってる。どうやら人の一生ではありえない「人生を2つ過ごす」という行為がもしできたのであれば人はそこから何らかを学ばねばならないらしい……というのはあまりにも穿った見方だろうか?

この映画では妊娠が分岐点となり、主役のSHELLY似の女(才能に溢れた女だ)の人生がいかに狂ったり好転するかについて書かれている。もちろん妊娠した場合としなかった場合についてが映画内で書かれている。

で普通ならこんなにいかにも教えを押し付けまっせw的な映画に対して、ぼくはそう思いたくなくたって自分の中で勝手にカウンター・カルチャーが働いてしまい、教訓なんか得てたまるかよ然とした反骨心で見てしまうんだけど、普通に楽しめました。

まずすげーなと思ったのは、ぼくは最初この映画がその2つの人生を別々に描写すんやろな~と思っていたところそうではなく、シーンが切り替わるようにマジで交互に「妊娠した場合」「妊娠しなかった場合」がえがかれているところ。

それぞれの人生にしかなかった舞台装置(例えば赤ちゃんがそうですね。装置とか言ってしまうとめちゃくちゃ嫌がられそうですけど)が効果的に配置され、視聴者は「あーこっちは妊娠してない方ね」みたいにわかるようになっている。それぐらいの技量は監督として最低限のものなのかも知れないけど、ただ単にすげーなぁと思えた。場面転換がきれいなだけで、何かひとつの芸を見せてもらえた気になる。エンターテインメントですね。

他にも教訓が死ぬほどあるのでそちらについてもまた別途noteを建てる形で追記したい。卒業が嬉しくて交尾がエンターテインメント化されることとか、このSHELLY似の女であり将来への視野が広く野望に満ち溢れている感じが日本の価値観にぴったり過ぎたりとか、みたいなこととか、女の人が主義主張しまくる映画とかが苦手な人にも――――――いや苦手な人にとっては苦手かなあ――――――楽しめるような気がする。

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