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倍速映画とファスト映画を同一視する大人にはなりたくない

流行語にタイムパフォーマンスが選ばれて、そこそこがっかりしています。ヘッダ画像をお借りしています。

別にタイムパフォーマンスが行為として流行したのであれば別になんの文句もない。いちいちその行為をして「それ、タイムパフォーマンスだ!w」「タイムパフォーマンスやってんねえ!ww」と、あたかも珍しいものでも見たかのような、人様が及ぶ行為に対してさも名前をつけてフレーム化パターン化をしてやったと首をとったかのように振る舞う、ある程度の高い年齢層の連中にうんざりするわけです。

タイムパフォーマンスを稼ぐかどうかは本人の異様なこだわりとか、やれZ世代の傾向が~とかじゃなくて、社会インフラとして備わっているから選んでいるだけだ。

いちいちタイムパフォーマンスという現象を取り上げて揶揄する行為はあまりにも知的生命体として遅れている。タイムパフォーマンスを獲得するか否かは別に目的じゃなくて、「タイムパフォーマンスをちまちま得ている」と見られがちな行為とは既に社会に備わった機能を使っているだけに過ぎないのだ。

いわば夕飯に肉を食うか魚を食うかの違いと何らかわりがない。選択肢にすぎない。

例えばぼくはTVやYouTubeを1.75倍速で見て、映画を1.5倍とかで見ます。そう見れる機能が当該プラットフォームについてるんです。別にぼくが頼んだわけじゃなくて向こうさんが勝手につけた。それを使っているだけだ。

別に「時間が稼げて嬉しい!」とか思わない。せいぜい一時間番組が20分とかで見れて、「一時間も座りっぱなしで身体がなまらなくてよかった」とか思うぐらいだ。残りの30分強を有意義なことに使って意識高い生活を送ろうなんて思わない。何ならもうひとつの一時間番組を見るんじゃないだろうか。

それをしてやれタイパだタイパと指をさす行為がいかに滑稽かおわかりいただけるでしょう。

で、かつ困ったことに彼らの中には映画の倍速視聴とファスト映画を同一視する向きがある。単細胞この上ない……と言ってしまうと可愛そうなので、思考停止極まりないと思う。知らない物事を未知のものとして受け入れるのが怖いから、既存のアルゴリズムだパターンだとみなすことで自己の監視下に置こうとする生存本能から来る情けない現象だ。

いわゆるアフィリエイトまみれのキュレーションサイトばかり見て、答えだけ手に入れて世の中を知った気になり、自分の頭で考える能力を失いつつあるんじゃないか?と思う。

ぼくは別にそれが犯罪行為だからといってマイナスの印象を抱いているとかじゃなくて、ファスト映画に興味が持てません。

それは結局映画の中身を見ていないから。出てくる俳優が誰でこうふるまったからこういう結果が出た、みたいなのがファスト映画なのだとしたら(ぼくはガチでファスト映画を見たことがないからそれらがどんなものなのかを知らない。要約文みたいなものだと仮定する)、結局それに至るプロセスとか息遣いとか全無視なわけです。それはあまり胸を張って「映画を見た」と言っていい体験ではないんじゃないか。

それなのに、ファスト映画みたいな犯罪行為が起こるのはやれZ世代がタイパを気にするから……みたいな、どうしても物事を自分の知っているパターンとしてタグ付けしたい評論家様が登場する。評論家はそんなことしないだろうか?分析屋さんとかでしょうか。

ぼくは倍速視聴で得られる情緒や文化とファスト映画で得るそれは激烈な差異があるとしか思えない。すべての記憶を消して、見たい映画をファスト映画で消費したかったかと言われればいいえと言うでしょう。ぼくは物語を文を読むのも漫画で読むのも映像で見るのもゲームで遊ぶのも好きだけど、ファスト化して見たいと思えない。繰り返すが、いい子ぶってそれが犯罪行為だからそう思うわけではない。

自己に対しても未知の物事を既存のパターンに当てはめて知った気にならないよう反面教師としたい。

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