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いろんな顔があるって悪いことかな?

誰しも性格ってひとつじゃないと思う。優しい人だって鬼のように怒る一面がある。
売り文句のキャッチコピーのように「〇〇な人」とひとつのフレーズをつけてしまうのは、・・・? と思ってしまった快晴の朝。

人間て、いろんな面があるよね。普段から社会でみんなに見せている自分も、ひとり部屋にいるときの自分も、どっちも自分に変わりはない。

でもなぜか、人って、わかりやすさを求める。
「あなたはこういう人!」とレッテルを貼り、イメージを固定する。いくら本人がそんなことないよーといっても、イメージってなかなか覆らない。

とある友人は、私が怒ることなどない温厚な人間だと思っている。だから、私が、「仕事とかで怒ることもあるし、言いすぎてキツイとか言われることもあるよー」と言ってもその度に、「えー!そんな風に見えないー!!」と驚かれる。

こんなやり取りを何度となく繰り返してるが、一向に私がキツイところもある人間であると認めそうにない(笑)もういっか、、という気さえしてきてしまう。。

反論する気力を失っている。そんなことないと伝えることも、繰り返される会話にも嫌気がさすことがある。そんなに、イメージって変わらないんだなーと感心すら覚える。

なんだろうね、人っていろんな面があるのに、そこは見てもらえなんだという一辺倒な思いに虚しさを感じる。


思い込みが強い人もいる。
懐が広くて、そういう顔もあるんだと受け止めてくれる人もいる。

私は、後者のようにありたいと思う。
いいイメージに固定されるのは悪いことではないけれど、少々窮屈だったりする。いいイメージだろうとも、固定され、そう言われ続けれると、決めつけられて自由がないような感じがしてしまうからかな?そんなことはないと反発心が湧いてしまうからかな?

ポジティブな人はいつもポジティブだと思われ、ネガティブな人はずっとネガティブな人だと思われ。。

そんなことはない!と思いっきり言いたい。

だって、にんげんだもの。

感情があり、言葉があり。誰かの心に届くのは、ほんの一部かもしれないけど、そうではない側面もあるのだと知って欲しい。


誰だって、喜怒哀楽ってものがある。
悟りを開いたお釈迦様でもないかぎり。

ネガティブもポジティブも両方持ってる。
もっといっぱいの感情を日々抱えている。

なんだろうな、いつも笑顔でいたいと願っているし、そう心がけているけど、そうでない日もある。涙にくれる日だって、普通にあるんだ。悪態ついて、毒を吐きたい日だってあるさ。

それが見えないから(見せないから)それがない、というわけでは決してない。
その感情は、確かに胸の中にある。
消化できずに、外に出ることもなく溜まっていくことも、しばしばあるのだけれど。


多様性。

様々な事柄や出来事に対してだけでなく、個人の性格にも感情にも、それはある。理解してほしいとか、察してケアしてほしいとかじゃなくて、ただただ、そういう人もいるんだと受け止めてほしい。

自分の思いが全てではないよね。いろんな意見があって、感想がある。
「それってあなたの感想ですよね?」
そう聞かれたら、「そうです」と答える。

個人の想いであって、他の考え方をする人もたくさんいる。

それを受け止められる”余白”とか”余裕”、
心の寛大さを持ち合わせたいと願う。


いろんな顔があっていいし、いろんな顔をみせていい。
それは、悪いことじゃないし、誰しも持ち合わせているものなんだと、
ただ、見せないようにしているだけだったりするんだなぁと感じてほしい。
そこに大なり小なり、振り幅の違いがあったりするけれど。

そして、自分自身も寛大にそれを受け止められたなら、多様性の世界はどこまでも広がっていくのだろうなと思う。








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