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揺さぶられるメンタル、新しい海は広くて深い。

初めてのこと、というのは、いつの時も不安がつきまとう。例に漏れずつきまとわれている。いつもならスパッと決めれることもなかなか決まらない。

なぜなら経験値がないから。まったくのゼロではないけど、参考にできるような経験がほとんどないから。だから、初めてともいうけど。

人それぞれ、価値観があり趣味嗜好があり、生きている世界は違うものだとすると、新しい世界を覗いてそこへ飛び込むというチャレンジは、経験値上げのRPGのようなもの。
見たことのないお化けがいるけど、戦ってみないことにはわからない。勝てるかもしれないし負けるかもしれない。ゲームだって、負けたら何度でもやり直せるんだから、わたしだって負けたとしても何度でもやり直せる。命まで取られるわけではないし。

重く大きく捉えてしまうと、一歩を踏み出すことすらできなくなってしまうから、なんとかなるさ、の精神でいきたい。いや、いこうと思っている。

でも、色々と、迷う迷う(笑)
そして、モヤるモヤる(笑)

価格から、数量から、パッケージ、とか外側のことから、デザインすらもパターン通りにはいかない(笑)焦点が定まってないというか、可能性がありすぎて広がりすぎて収集つかない。目的やら、ターゲットやらペルソナとよばれるようなものは、細かければ細かいほどいい、というのは納得なのが分かる気がする。何を作って、何を作らないかの判断材料はたくさんあったほうがいい。

アーティストと呼ばれる人たちは、また違うんだと思うけど、デザイナーというものは、目的があってデザインする。広告やらポスターやら、「この商品を宣伝したい、売りたい」という大義名分があるから、その要望に最大限応えるために、デザインで応戦する。だとすると、自分を表現するアーティストとはやはりちょっと違う類のものなのだ。

個性を生かす、キャラ立ちさせる、なんて考えはない。まぁ、逆説的にいうなら、「個性がないのが個性」。わたしがデザイナーだとすると、そこに個性を発揮するというのは違っていた。というか、むしろ、個性のゴリ押しはある意味稀な道だったのだ。

周りのみんなが赤い魚だとしたら、黒い魚が目立つ
周りのみんなが黒い魚だったら、赤い魚が目立つ

さて、周りのみんなは何色の魚だろうか。
わたしは、何色の魚だろうか。

自分が何色の魚であろうと、当てはまる場所があるなら幸せ。


わたしは、さながら迷子のようだ。
今までの道ではないところへ、行こうとしているのかもしれない。何もかも自分の裁量で決定できるのはとても心地よいが、そこに至るまでは少々困難がつきまとったりする。それが自分に対しての評価やカラーのように思われることに関してはなおさら。

どんな絵を描きたいのだろう、どんな感情を与えたいのだろう。
まだ、何色の魚でもない気がする。

自分と向き合って、模索して、いきたい方向へいけるように。納得しないことには進めない。モヤモヤしているのは、何かが引っかかっているから。その謎解きをしないことには、うまく進めないものだとここのところ思っている。

期限とか、折り合い、落とし所、なんでもいいんだけど、何かのきっかけで納得できるのなら、それがいい。そしたら、ストンと落ち着いた心持ちで次へ進める。納得すること、それが目玉です。

「ぼくが目になるよ」

スイミーみたいに、みんなと違っても役割があって生きていけるのならいいね。そこは楽園だ。

わたしもそんな風に自分の色を見つけて、ハマる場所を探しにいきたいのかもしれない。いや、もうすでに探しに行き始めたのかもしれない。
新しい出来事、出会い、感情に触れていくこと。まだまだ、世界の海は広くて深いのだと思うとワクワクするね。






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