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コロナで人に会えない寂しさや孤独は善か悪か?

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「西の魔女が死んだ」という小説を読んだ。

学校に行けなくなった中学生のまいがひと夏を森の中で暮らすおばあちゃんの家で過ごす話。 

この小説の中で、まいが学校に馴染めなくなった理由をおばあちゃんに話すシーンがある。

女の子の付き合いって独特なんだよね。クラスの最初にバタバタって幾つかのグループができるんだ。そして休み時間に一緒にトイレに行ったり、好きなスターの話とかするんだけどさ。

その波に乗ったらそんなに大変じゃないんだよ。最初気の合いそうな友達のグループに入るまでがすごく気を使うけれど。去年までは私、すごく上手くやれてたのよね。でも、なんだか今年はそういうのが嫌になったんだ。

グループができる時の心理的な駆け引きみたいなのがね。グループになりたいなって思う子の視線を捉えてにっこりするとか、興味もない話題に一生懸命相槌を打つとか、行きたくもないトイレについていくとか、そういうのがなんとなく浅ましく卑しく思えてきたんだ。

学生時代を思い出した。私も当時はまいと同じようなことを考えて生きていたが、行動にうつす勇気はなかった。

学校にはグループがあり、グループにはなんとなくヒエラルキーがある。

あるきっかけから私は高校生の時、進研ゼミのコラム欄で文章を書かせてもらっていたのだけれど、ある時 綿矢りさの著書 "蹴りたい背中" についての考察を書いて欲しいと依頼があった。確かこれも主人公はクラスに馴染めないという設定だった。そんな中、

「学校とはヒエラルキーで居心地の良さが変わる場所。しかしこの上位を保つには、大して面白くもないことに誰よりも大きな声をあげて笑うことが大事。本当に面白いかどうかというのは問題じゃない。誰よりも楽しそうに演出することが、ヒエラルキー上位につける得策であり、顔がひきつっても笑い続けることが大事」

なんて書いたら次回以降の依頼が来なくなった。

集団で要領よく生きていくということは、それだけ自分にとって不自然なことをしなくてはいけない場面が多々ある。

今まで生きてきた30数年、生き方を大きく間違えていたということに気づいたのも、実はこの時から培われた間違えたコミュニケーションについてを指していたんだ。

なぜ人々は群れるようになったのか?

人々が群れ・組織を作るようになったのは農耕の時代から。狩猟採取の時代は家族単位で移動していたものが、農耕・牧畜が始まると定住し、集落を作るようになった。

私たちがこれまで学校や会社という組織に毎日足を運んでいたのは "定住" という前提があったから。

その証拠に私は2018年から定住をやめ、様々な場所を転々とし始めてからは、組織に足繁く通うことも、人と群れることもなくなった。

それだけで子供の頃から抱えていた喉に小骨が常に刺さっている状態のようなストレスは見事に消え去った。そりゃそうだ。嫌な人に会う必要がなければ合わせる必要もない、顔色をうかがう人もいなくなったのだから。

パンデミックで人に会えなくなった

さらに2020年、新型コロナウィルスのパンデミックが起きた。海外にはなかなか簡単に行けなくなったので日本にいるが、この騒動の後はほとんど他人には会ってない。

もちろん職種によっては人に会わざるをえない人も多くいると思うが、リモートワークを経験した人は、通勤していた時よりもストレスがなくなったと感じている人が多いんじゃないかと思う。

本当の意味での個の時代とは

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きっと私たちは農耕時代から、組織でうまくやるために少しずつ不自然で不毛な生き方をしていた。組織から追い出されないように、ヒエラルキーで下にいかないように、面白くないことで笑ったり、顔をひきつらせたり、思ってもいないことを口にしたり、周りの顔色を窺いまくったり。それは学生時代から何も変わっていない。

自分の価値観と言っても、それは本当の意味では自分のものではなかったかもしれない。自分が所属する組織や集団の価値観をそのまま採用していたかもしれない。それに反抗したら組織を追い出される可能性があるから。争うだけ無駄、抗うだけ無駄。それは会社や学校、友達、地域だったりした。

しかし事態は一転し、パンデミックで人に会えなくなったということは、私たちを知らぬ間に取り巻かれていた糸が解けて、個人として散らばっていったのではないかと、ちょうど図のように。

個人に戻ったからこそ、会社や学校、友達、地域など集団の意見を前提にするのではなく、自分の頭で考えてみようと自立の道を選択し始めたのではないかと。これがパンデミックで価値観が変わった人なんだろう。

ハブられないように、思考を止める、周囲に合わせる、思ってもないことを口にする、顔色を窺う、ひきつり笑顔をする、そんな不毛なことはもうやめたいというのは誰しも思っていたことではないのか。ちょうど西の魔女が死んだの主人公まいのように。

今後人々は定住を捨て、移動を選ぶかもしれない。そんな時組織は必要なくなるかもしれない。人に会えなくなった今は、不毛な人間関係、不自然なコミュニケーションをリセットするチャンスを与えてくれた。

パンデミックも終焉すればまた人に会えるだろう。本当に会いたかった人に。






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