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文学少女クズレがなんとか文章職人に   <鈴木満優子・後編>

文学少女をこじらせて

闇落ち20代から、コロナ禍を乗り越えるたくましい(?)40代へ

――そもそも文章を書くことは好きだったんですか。
読むのも書くのも好きでした。3歳には文字が読めてたので、家にある「こどものとも」を端から読んでたし、小学生の時はシャーロックホームズと明智小五郎・少年探偵団を端から、中学は「ちくま日本文学全集」を端から、高校は図書委員で司書室に席がありました(笑)。中学の時に新聞社主催の作文コンクールで優秀賞を取り、副賞は韓国旅行でした。「これは、私、文章イケてるのでは?」と勘違いするには十分でしたね。

――それで、文章を書くことを仕事にしようと?
密かに、そしてず〜っと思ってましたが、反面「そんな仕事につける人なんてほとんどいない」と冷めた考えもありました。世間を知らない若者なりに考えて、出版社への就職も目指しましたが叶いませんでした。

予期せぬ専業主婦生活


――実際にライター業を目指し始めたのはいつですか。
大学卒業後は電機メーカーで働いていたのですが、妊娠と夫の転勤が重なり退職しました。“産育休を取って働き続ける”というキャリアしかイメージしていなかったので、専業主婦になるというのがちょっと怖くて。

転勤先の東京での主婦生活はすごく楽しかったんですが、いつも焦りを感じていました。会社員としては5年程度、なんのキャリアもなく、仕事に直結する資格もなく「ブランクのある子持ち女性なんて、今後ごく限られた仕事しか選べない」と信じていました。じゃあ、何ができるんだろう、何がしたいんだろうと悶々として。

「書く仕事がしたいな」というずっと変わらない気持ちが、もうできそうもないからこそ逆に大きくなっていきました。でも全部ぼんやりした話ですよ、これ。書く仕事って何?できそうもないってどうして?というところが、何も具体性がない。何も知らず、調べもせず、挑戦もせず、単なる思い込みです。

その焦燥感と偽りの絶望感の中で、とりあえず心のままに、NPOのタブロイド新聞編集に参加してみたり、クラウドワークなどをチラチラやってみたり。子育ての合間にイメージトレーニングしていた感じです。それが最初の一歩です。

どうせ苦労するなら納得できる仕事を


――クラウドワークやNPOのボランティアなどが、今の仕事に直結したのでしょうか。
やっぱり書くのが好きだ、というモチベーションを取り戻しはしましたが、それで一定のお金を得ることも、キャリアにつながる人脈ができることもなかったです。

3年後、夫の転勤先から再度名古屋に戻ることになり、今後は夫の転勤もなさそうなので、しっかり働こうと職を探しました。書くことを仕事にしたい気持ちはありましたが、まずは働き口を見つけることの方を優先していましたね。とにかくブランクが怖かったんです。

でも横目で「ライター 名古屋」とか「編集 愛知」とかも検索しまくって。そこでライター業は業務委託でやってる人が多いとか、WEB制作などでも必要とされてるとか、広告制作でもライター募集多いとか、そんなライター周りの事情を知りました。メーカー勤務だったから、メディア・マスコミ業界のことを何も知らなかったんですが、愚直な検索で業界事情の一端がわかり、目標がはっきりしてきたんです。子どもを持って働くしんどさは想像できたので、やるなら自分で納得した仕事を選びたい、と不遜にも思うようになりました。勤務形態はあんまり気にしていませんでした。ネックは勤務時間だけだな、と。

野外音楽フェスでのビールが何よりの楽しみ!

「未経験はライターになれない」を超えて

――雑誌だけじゃない“ライター像”が具体的に見えたんですね。
各々の制作会社などのHPを見るようになって「こういう会社がやってる、こういうメディアや広告の、この部分を書く」というかなりはっきりしたイメージができました。

でも全部「経験者募集」。無理だこりゃ、と思ったら、一つだけ「未経験OK」の案件が!勤務時間なども都合できる範囲だと感じ、幸い2人の子ども新設保育園に預けられることになり、飛び込んだのが葬儀ライターでした。

――初めて聞きました!葬儀ライター?どんな仕事ですか。
葬儀の栞(引き物と一緒に入っている挨拶文などの案内)を書く仕事です。遺族の方に亡くなった方のお話を聞いて、人柄を彷彿とさせるエッセイを書くんです。大したトレーニングもなく現場に放り込まれ、毎日事故スレスレの運転で葬儀会館や喪家を飛び回って、30分で200〜300字の人情噺を仕上げるのは、ハードワーク以外の何者でもありませんでした。あまりの待遇の悪さに1年で辞めましたが、ここで約400人分のインタビューとライティングの経験を積めました。

――経験ができたんですね。
おっしゃる通りで、この経験をアピールして、「無理だこりゃ」と思っていた会社に営業をかけました。5社コンタクトすれば、3社は会ってくれて、2社は仕事をくれて、1社はリピートで仕事ができている感じです。経験者募集に飛び込みたい場合、後先考えず無理に経験を作るのもありだと思いますね、今なら(笑)。

――その後は順調に?
コロナ前は転職求人サイトのライティングが花盛りで、そこでコンスタントに仕事が入り、収入も安定し、スキルも伸びました。コロナ禍でそれが全滅したんですが、社史を含む別の媒体の仕事もしていたので、そちらに営業を増やしつつ、新規の営業もして、2年後の現在は仕事量・収入もほぼ元通りです。愛知県は製造業が多く、クライアントがメーカーであることも多いので、ものづくりの現場を知っているメーカー勤務の経験もガッツリ強みになってます。

流れながらも変化や成長を目指す

ーー今後の展望を教えてください。
個人事業主/ライターという仕事は、性格的にも現在の生活にもマッチしていますが、自分から変化や成長を目指さないと何も変わらない、もしくはすぐに仕事として成立しなくなるリスクがあることが、難しいところです。誰も指示してくれないし、保証してくれないですから…。だからこそ次の目標を定めていきたいんですが、流れ流れて良いところに来たという実感もあり、全てを決めすぎず、でも何か新しい展開が見えるような動きを続けたいです。

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