ふるそぼ

昔から日本近代文学が好きです。 「文学の散歩道」の大半は以前書いていたものですが、今回…

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昔から日本近代文学が好きです。 「文学の散歩道」の大半は以前書いていたものですが、今回改稿、新作も含めて随時発表していきます。現代語訳樋口一葉日記は、出来るだけ正確に、出来るだけ分かりやすく、何よりも一葉のために、書くものです。よろしくお願いいたします。

最近の記事

現代語訳 樋口一葉日記 25 (M26.2.6~M26.2.11)◎完全無瑕の一美人、街中の百鬼夜行、歌詠みの因習と筆を執る者の本意、『文学界』創刊号と三宅龍子の異様な恰好

(明治26年)2月6日 空は曇っていた。「また雨になるだろう。」と人々が言っていた。著作のこと(※金港堂の『都の花』のための執筆。「ひとつ松」という題であったが、これは未完に終わった。)(だが)、思うようには書けず、頭はただもう痛みに痛んで、どんな思慮もみな消えてしまった。志すのは、他でもない、完全無瑕(※むか/無傷)の一美人を創造しようというものであり、目を閉じて壁に向かい、耳をふさいで机に寄り、(※心を集中し、瞑想して、の意)幽玄(※奥深く、微妙で、容易にはかり知れない趣

    • 現代語訳 樋口一葉日記 24(M26.1.1~M26.2.5)◎新年の挨拶回り、三界唯心について詳説、小説「雪の日」完成、真夜中の雪景色、恋は浅ましいもの。

      (明治26年)1月1日 は、大変のどかな日の光に洗われて、門松の緑に千年(の長寿と幸せ)を祈って、いつものように雑煮を食べ終わった。昔は三が日のうちは年始の(挨拶の)お客様に台所仕事が忙しく、「(羽根突きの)羽根をつく時間もない。」と恨めしく思った(ものだ)が、(今年は)打って変わって全く来る人もない。母上が、近隣に年始参りをされると、そちらからも老母、奥さんなどが答礼に来て、(それが)すべて女性であった。芦沢芦太郎(※正しくは、芳太郎。あしざわよしたろう/山梨県後屋敷村の芦

      • 現代語訳 樋口一葉日記 23(M25.12.24~M25.12.31)◎三宅龍子より『文学界』寄稿依頼、迫る年末の支払い、貧苦の稲葉鉱の家へ、桃水の妻か。

        よもぎふにっ記 (明治25年(1892))12月(※蓬生(よもぎう)とは、ヨモギがたくさん生えているような荒れ果てたところ、の意。一葉はこれに限らず同じ題を何度も使っている。) (明治25年)12月24日 気にはかけまいと思うけれども、本当に「貧は諸道の妨げ」(※ことわざ。金がなければ何もできず、貧乏生活では何をしようにも自由にならないこと。)であることだ。すでに今年も師走の二十四日になった。この年(の瀬)の支度、身分相応には用意しているのだが、今月の初めに三枝さん(※三枝

        • 現代語訳 樋口一葉日記 22 (M25.11.9~M25.12.20)◎結婚する田辺龍子を訪問、久しぶりに半井桃水を訪ねて、桃水の弟浩来訪。

          道しばのつゆ 明治25年(1892)11月(※道芝の露とは、道の芝草の上の露で、はかないものの例え) (明治25年)11月9日 九日は萩の舎の納会であった。二、三日前より、時の気(け)(※季節特有の病気。はやりやまい。)であろうか、ひどくわずらって頭も上がらず、「出席は難しいだろう」と思っていたが、今朝よりは急に心も清々しく、「これくらいならば(大丈夫)」と思って、(納会に)行った。髪などもしっかりとはたぐり上げもせず、手足なども汚れがついたままであった。田中(※田中みの子

        現代語訳 樋口一葉日記 25 (M26.2.6~M26.2.11)◎完全無瑕の一美人、街中の百鬼夜行、歌詠みの因習と筆を執る者の本意、『文学界』創刊号と三宅龍子の異様な恰好

        • 現代語訳 樋口一葉日記 24(M26.1.1~M26.2.5)◎新年の挨拶回り、三界唯心について詳説、小説「雪の日」完成、真夜中の雪景色、恋は浅ましいもの。

        • 現代語訳 樋口一葉日記 23(M25.12.24~M25.12.31)◎三宅龍子より『文学界』寄稿依頼、迫る年末の支払い、貧苦の稲葉鉱の家へ、桃水の妻か。

        • 現代語訳 樋口一葉日記 22 (M25.11.9~M25.12.20)◎結婚する田辺龍子を訪問、久しぶりに半井桃水を訪ねて、桃水の弟浩来訪。

          現代語訳 樋口一葉日記 21 (M25.9.4~M25.10.25)◎「うもれ木」完成、野々宮きく子盛岡に赴任、「経づくえ」『甲陽新報』に掲載、『都の花』新年付録の話。

          にっ記 明治25年(1892)9月(明治25年)9月4日 曇り。「今日は日曜日なので、野々宮さん(※野々宮きく子)が来られるはずだ。」と思って、その支度をしていたところに、西村さん(※西村釧之助)と、上野の房蔵さん(※上野の伯父さんこと上野兵蔵の妻つるの連れ子が房蔵。直近では明治25年2月11日に出ている。)が来られた。お話を少し。まもなく野々宮さんが来られた。前からいた方々は帰った。(野々宮さんに)歌を二題詠ませた。(野々宮さんとは)宗教(※キリスト教)上のお話がいろいろと

          現代語訳 樋口一葉日記 21 (M25.9.4~M25.10.25)◎「うもれ木」完成、野々宮きく子盛岡に赴任、「経づくえ」『甲陽新報』に掲載、『都の花』新年付録の話。

          現代語訳 樋口一葉日記 20 (M25.8.24~M25.9.3)◎西村釧之助の縁談、教師としての周旋話、有神論無神論、迫る借金の返済日、渋谷三郎との婚約破談のこと、姉ふじの家出騒動

          しのぶぐさ (明治25年(1892)8月)(明治25年)8月24日 「晴れているのに時々雷の音がするのは、まもなくここにも雨が降るということなのでしょう。」などと(妹と)言い合った。着物を三つ、四つ洗ってからのちに、机についた。西村さん(※西村釧之助)が来られた。昨日(西村さんに)細君の世話をしようということで、俵初音さん(※俵田初音。野々宮きく子の知人。後に一葉から毎週日曜日に『徒然草』の講義を受けることになる。)のことを話したので、そのことをなおよく聞きにと思ってである。

          現代語訳 樋口一葉日記 20 (M25.8.24~M25.9.3)◎西村釧之助の縁談、教師としての周旋話、有神論無神論、迫る借金の返済日、渋谷三郎との婚約破談のこと、姉ふじの家出騒動

          現代語訳 樋口一葉日記 19 (M25.8.1~M25.8.23)◎萩の舎の浮評、桃水の縁談話、元婚約者渋谷三郎来訪

          (明治25年)8月1日 曇り。午前中に田中さん(※田中みの子)が来訪された。私の病気見舞いに来られたのである。(※去る7月23日に萩の舎での稽古のあと、一葉は激しい頭痛で帰宅した。27日の鳥尾広子の歌詠みの会にも頭痛で行けなかった。)入谷(※いりや/地名。朝顔を栽培する植木屋が多かったところ)でお求めになられた朝顔を一鉢いただいた。甲州(※山梨県)の貞治(※古屋貞治/ふるやていじ/一葉の母たきの甥。一葉の従兄。)から手紙が来た。 (明治25年)8月2日 山崎正助さん(※やまざ

          現代語訳 樋口一葉日記 19 (M25.8.1~M25.8.23)◎萩の舎の浮評、桃水の縁談話、元婚約者渋谷三郎来訪

          現代語訳 樋口一葉日記 18 (M25.6.15~M25.7.31)◎桃水に紅葉紹介を断り絶交、田辺龍子に接近

          (明治25年)6月15日 昼過ぎより半井さんのもとへ行った。梅雨が降り続く頃で、とても心が晴れない。先生の家には、いとこ(の河村千賀)さん、伯母さん(※千賀の夫河村重固の母)のお二方がいらして、先生は次の間の書斎めいたところに寝転んでいらっしゃった。雨が激しく降りこむからであろうか、雨戸を残りなく(すべて)閉めていてとても暗い。(半井さんは)いとこ(の千賀)さん、伯母さんに向かって、「御覧なさい。樋口さんんの御髪(おぐし)のよいこと。島田(※高島田。若い娘の髪型。)は実によく

          現代語訳 樋口一葉日記 18 (M25.6.15~M25.7.31)◎桃水に紅葉紹介を断り絶交、田辺龍子に接近

          現代語訳 樋口一葉日記 17(M25.6.1~M25.6.14)◎中島幾子の死と桃水との艶聞発覚

          日記 しのぶぐさ 明治25年(1892)6月(明治25年)6月1日(※以降6月18日までは一葉が萩の舎に泊まりながら記録した日記である。) 中島のご老人(※中島(網谷)幾子。中島歌子の母。幾子は夫の死後旧姓の網谷に戻っていた。)の病がいっそう重くなったと言って、私を迎えに呼ぶ手紙が来た。(私が萩の舎に)参った頃には、ご老人は最早ものをおっしゃることが出来なかった。いつもは疎遠な師の兄上(※中島宇一。明治24年6月20日に、一葉はこの人の奥さんに会って、その時「動物詠史」や 結

          現代語訳 樋口一葉日記 17(M25.6.1~M25.6.14)◎中島幾子の死と桃水との艶聞発覚

          現代語訳 樋口一葉日記 16 (M25.5.29のあとの余白に書き込み)◎絶交した桃水への思いと煩悶の日々

          ※以下の文章は、「にっ記」の終わりである明治25年(1892)5月29日のあとの余白に記されたものである。その内容からして、ここの書き込みは少なくとも同年6月22日以降になされたもので、しかもそれから2か月に渡って随時書き継がれたものと思われる。「にっ記」の終わりに余白があったのは、一葉が既に6月1日からの分の新しい日記帳を用意していたからで、つまり6月22日まではただの余白に過ぎなかったのである。6月1日から新しい日記帳(日記の題は「しのぶぐさ」)に書き出した一葉は、運命の

          現代語訳 樋口一葉日記 16 (M25.5.29のあとの余白に書き込み)◎絶交した桃水への思いと煩悶の日々

          現代語訳 樋口一葉日記 15(M25.4.18~M25.5.29)◎不機嫌な桃水、痔疾の手術、悩む一葉

          にっ記 明治25年(1892)4月 決して(この日記は)人に見せるつもりのものではないけれど、(もし遠い将来、)立ち戻って以前の私(※つまり現在の私)を回想すると、危なっかしく、また正気を失っているようなことがとても多い(と思われる)ことは、異常で、他人が見たら、「狂人の所為」と(でも)言うのだろうか。 (明治25年)4月18日 雨。午前の内に片町(※西片町)の先生(※半井桃水)のもとへ行った。このところ(先生は)病気(※桃水は痔疾でふせっていた。この時一葉はまだ病名を知ら

          現代語訳 樋口一葉日記 15(M25.4.18~M25.5.29)◎不機嫌な桃水、痔疾の手術、悩む一葉

          現代語訳 樋口一葉日記 14 (M25.3.21~M25.4.6)◎桃水のキリスト教排斥、中島歌子の文章心得、中島歌子について詳説、『武蔵野』創刊、「別れ霜」の草稿改訂

          (明治25年)3月21日 晴れ。望月某(なにがし)の妻(※望月米吉の妻とく。望月は一葉の父則義在世時からの知人。八百屋で屋号は豊屋。生活が貧しく樋口家から時折援助を受けていた。米吉、とく夫妻とその子供がいた。直近では明治25年1月18日に出ている。)が来た。昼御飯をご馳走した。自分は半井先生(※半井桃水)のもとへ、言うことがあって行った。このたびの(先生が引っ越された)住まいが大変近くて、気軽に歩いていける距離なのがとても嬉しい。表玄関はいつものように戸を堅くとざして、庭口か

          現代語訳 樋口一葉日記 14 (M25.3.21~M25.4.6)◎桃水のキリスト教排斥、中島歌子の文章心得、中島歌子について詳説、『武蔵野』創刊、「別れ霜」の草稿改訂

          現代語訳 樋口一葉日記 13 (M25.3.12~M25.3.20)◎梅見、稲葉寛の詐欺騒ぎと涙の鉱、桃水来訪

          日記 (明治25年(1892))3月(明治25年)3月12日 日差しは薄いけれど、晴れなので、梅見の催しは実行しなければならない。(※前日まで一葉は梅見に行きたくない思いを綴っている。)わが家を出たのは九時であった。その時、(入れ違いに)三枝信三郎さん(※真下専之丞の孫。銀行家。直近では明治25年1月17日に出ている。)が来られた。(萩の舎の)師(※中島歌子)のもとに一同揃った。車(※人力車)を連ねて向島(※むこうじま/墨田区の地名)に向かった。自分は一人(車で)走り抜けて、

          現代語訳 樋口一葉日記 13 (M25.3.12~M25.3.20)◎梅見、稲葉寛の詐欺騒ぎと涙の鉱、桃水来訪

          現代語訳 樋口一葉日記 12(M25.2.19~M25.3.11)◎雪かき、図書館で会った女史、母たきの野草採り、『武蔵野』創刊の意気、梅見なんか

          (明治25年)2月19日 母上が先に起き出しなさって、雨戸を開けられた。「なんとまあ(よく)積もったことだ。一尺(※一尺は約30センチ)にも余るだろうね。まだどれくらい降るのでしょうねえ。」などとおっしゃるのは、(きっと)雪のことであろうと嬉しくなって、さっと起きた。(※原文は<やをら起ぬ>で、<やをら>は本来、静かに、そっと、などの意味だが、明治時代頃から、さっと、急に、という意味合いでも使われ出した。ここでは後者の方が自然だと判断した。)国子(※邦子)をも起こして一緒に中

          現代語訳 樋口一葉日記 12(M25.2.19~M25.3.11)◎雪かき、図書館で会った女史、母たきの野草採り、『武蔵野』創刊の意気、梅見なんか

          現代語訳 樋口一葉日記 11(M25.2.4~M25.2.18)◎雪の日、「闇桜」執筆、『武蔵野』

          (明治25年)2月4日 早朝から空模様が悪く、「雪になるだろう」と皆が言う。十時頃より霙(みぞれ)まじりに雨が降り出した。晴れたり降ったりで昼にもなってしまった。「よし、雪になるならなれ、どうして厭(いと)うことがあろうか」と思って、家を出た。真砂町(※まさごちょう/地名)のあたりから、(雪が)綿をちぎったかのように、大きいのも細かいのも少しもやむことなく降った。壱岐殿坂(※いきどのざか/坂の名前)から車(※人力車)を雇って行った。前ぽろ(※人力車の前面を覆う幌(ほろ))はわ

          現代語訳 樋口一葉日記 11(M25.2.4~M25.2.18)◎雪の日、「闇桜」執筆、『武蔵野』

          現代語訳 樋口一葉日記 10 (M25.1.8~M25.2.3)◎西村きくと面会、桃水の留守宅に入りこむ、桃水からの葉書

          (明治25年)1月8日 早起きし、空を仰ぐと、とてもよく晴れて塵ほどの雲もない。うららかに霞んでいるさまが、本当に春とばかりに感じられる。出かける支度をあれこれしている時に、綾部喜亮(※あやべきすけ/正しくは喜助。一葉の姉ふじの夫久保木長十郎の義兄。1月7日に出ている)が、久保木(※久保木長十郎。一葉の姉ふじの夫。1月7日に出ている。)と一緒に来た。(今から出かけるところだと)詫びて(その場を)済ました。(綾部と久保木の二人が)帰宅して、すぐに国子(※邦子)は神田(※地名)あ

          現代語訳 樋口一葉日記 10 (M25.1.8~M25.2.3)◎西村きくと面会、桃水の留守宅に入りこむ、桃水からの葉書