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はじめまして、funariです
まずは自己紹介を。
真武(またけ)と申します。珍しい苗字ですよね。福岡の宗像市というところに親戚含めて数件あるくらいです。子供の頃は「おーい松茸〜」とか、よく男子にからかわれました。当時は嫌でしたが、大人になってからは高級だし良いかなと思います。
福岡県福岡市出身、現在43歳。34歳でタイマッサージを始めてキャリア9年になるセラピストです。加えて昨年から勝山式美容矯正を始めました。他に出来るメ
独立開業のとき借金する?
正直なところ、つい半年ほど前までお店を出すときには日本政策金融公庫からお金を借りようと思っていました。当たり前のように。だから公庫に業務計画書さえ通ればいつでもお店は出せると思って、友人を通じて紹介していただいた公庫にお勤めの方に判断のチェックポイントなどをお伺いしたこともありましたし、「いつお店を出すの?」と聞かれたらいつでも「半年後くらいに!」と答えて「半年ってすぐやん…大丈夫?」と友人たちを
もっとみる自分が“やりたいこと“は“うまくいくこと“なのか?
愉快なるお店作りについて考えながら寝落ちしてました。マーケティングの神であり心の師匠・すがけんさん曰く起業というのは
【“やりたいこと“、尚且つ、“うまくいくこと“をやる】
のが大事なのだそうです。あるいは
【“やりたいこと“とは違うけど、“うまくいくこと“をやる。そしてまずはお金と仲良くなって売上を増やしてから、“やりたいこと“をやる】。
『起業にはお金がかかり、お店がオープンする時には
日々の学び/愉快であれ
ズームバックオチアイ第2回を観て学んだことをメモ。
「自由闊達ニシテ愉快ナル理想工場ノ建設」井深大
「ひとつ目的に向かう こんな愉快な航海はない」本田宗一郎
「尖るということはブランドイメージを作る上で最も大事なこと」落合陽一
「作ったものが面白いかどうか 結局全部“愉快“」落合陽一
愉快ナル店ノ設立。経営は愉快な航海。尖ったお店。作ったお店が面白いかどうか。
自分にとって愉快なものが
自分の強みは何かを考える
独立開業してやっていくために必要な“自分の個性や強み“。前回noteでわたしの個性は【お客様のお好みに合わせに行ける技術】かも、という結論になったのですが、“技術が売り“ってちょっと弱い気がします。上には上がいますし。他のセラピストと比べて何が自分の強みなんだろう。【“好き“が強いこと】かもしれません。言い換えると【仕事への情熱とお客様への暑苦しいくらいの愛情】です。しかしこれもありきたりだな。こ
もっとみる選ばれない理由をリサーチ/20代男性
いきなり胸が痛いタイトルで悲しい意味でキュン死にしそうです。マーケティングの神であり心の師匠・すがけんさんが【答えはお客様が知っている】と仰っていたので、素直にお聞きしてみました。
美容矯正は男性からも興味をもっていただくことがあります。というかむしろ男性に美容矯正をやっていると話すと現時点ではほぼ100%興味をもたれます。が、今のところご成約には至っていません。なので先日は、かなり興味はもって
ゲーテ・のじさん・すがけんさん、言葉の力
「全ての詩は教訓を与えてくれる 目立たぬ方法で」ゲーテ
さっき落合陽一さんのNHKズームバックオチアイ、レギュラー化して第一回の放送を録画したものを見ていたのですが、その中でゲーテのこの言葉に感銘を受けました。タイマッサージの師匠・“のじさん“と、マーケティングの神であり心の師匠・“すがけん“さんが、まさにこのやり方だからです。2人の尊敬する師匠が、それぞれの分野で同じことをされ、わたしはそれに
1分で眠れる手のひら5ボルトの力
タイから戻って、日本のサロンで経験を積みながら様々な勉強をする中で、前回noteの救急車の中で握った手のひらに感じた、電流のようなピリピリの正体がわかりました。
人間の体内には5ボルトの電流が流れている
ということです。つまり本当に電流でした!
昨年、勝山式美容矯正の勝山浩尉智先生の授業でそれを教わったときは、これだったのか!と体に電気が流れるような衝撃を受けました。ちょっと大袈裟でした。
タイマッサージを始めた理由:後編
東日本大震災の少し前に、もうひとつタイマッサージを始めるきっかけになった出来事がありました。
元気だった母が「体調が悪い」と3日ほど寝込んでしまい、とうとう食事も水も摂れず「ミルクティーしか飲めない」という不思議な症状になり、意識が朦朧として訳のわからないことを話し始めてついには全く起き上がれなくなり、救急車を呼んだことがありました。
救急車に同乗できるのは1人だけ。代表してわたしが乗りました
タイマッサージを始めた理由:前編
東日本大震災は、自分にとってこの仕事を志すきっかけになった大きな出来事のひとつでした。
当時は福岡に住んでいて、平日夜と週末にライブハウスの照明の仕事をし、平日の朝9時から17時まで派遣で事務の仕事をする生活。
オフィスの会議室から「大変なことになってるぞ」と聞こえてきて、津波の映像に息を飲んだことをはっきり覚えています。その後東日本を中心に日本中がパニックに陥る中、
「電気もガスもない世界で