文夫の窓

私の故郷は山形県米沢市です。 既に退職しましたが、かつては高校の教員をしていました。現…

文夫の窓

私の故郷は山形県米沢市です。 既に退職しましたが、かつては高校の教員をしていました。現在は、米沢市の歴史観光案内役等をしながら、故郷の歩みを楽しく学んでいるところです。

最近の記事

僕のランラン人生10 海外

               <ニュウカレドニア ホノルル 済州島> 10-1  ニューカレドニアマラソン大会(第7回)                   2012年7月29日                       ニューカレドニア ヌメア   ニューカレドニアは、オーストラリアの東側にある島で、ニューカレドニア島とロイヤルティ諸島からなるフランスの海外領土だ。  南太平洋に浮かぶニューカレドニアは、コバルトブルーに輝くとても美しい島だ。 「天国に一番近い島

    • 僕のランラン人生9 九州

                         <熊本県 福岡県 宮崎県> 9-1 金栗四三翁マラソン大会(第19回)     ~ 体力 気力 努力、爽やかな汗、走る喜び ~                   平成14年(2002年)11月3日                        熊本県玉名市和水町  平成14年(2002年)11月3日、文化の日、熊本県玉名市和水町において、日本のマラソン創始者、金栗四三翁を記念するマラ

      • 僕のランラン人生8 関西地方

                            <奈良県 岡山県 滋賀県> 8-1 奈良春日・大仏マラソン全国大会(第24回)         ~ ゆっくり世界文化遺産の地を走ろう ~                   平成16年(2004年)12月5日                    於:奈良市奈良公園・春日野園地  本大会は、古代日本の都を味わいながら、走ることを存分に楽しもうという趣旨で開催された。 <種目>     10㎞   5㎞   ジョギング

        • 僕のランラン人生7 中部地方

                          <新潟県、富山県、長野県、岐阜県> 7-1 新潟マラソン(第20回記念大会)            ~ 雄大な信濃川のウォーターフロントを走ろう ~                         2002年10月13日新潟市  新潟マラソン(現在では、新潟シティマラソン)は、新潟市陸上競技場をスタートゴールとし、新潟市内と信濃川、日本海を展望するコースとなっている。  コース周辺は、川と海の水辺の楽園、ウォーターフロントだ。

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          僕のランラン人生6 関東地方

                            <栃木県 東京都 埼玉県> 6-1 今市杉並木マラソン大会(第21回)  ~例幣使街道の杉の樹々のささやきを肌で感じ、爽快に走ろう~                        2001年8月  栃木県今市市  今市杉並木マラソン大会は、栃木県日光市(旧今市市)にある例幣使街道を走る。  例幣使街道は、日光街道の中でも最も杉並木が美しく、また歴史的にも意義深い街道だ。  杉の樹齢は約370年。現在約13,500本が残されている。

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          僕のランラン人生5 山形県2

                       <寒河江市、東根市、酒田市、鶴岡市> 5-1 ”さがえ”さくらんぼマラソン大会(21回)            ~ チェリーロードを走ろう~               平成13年(2001年)6月 山形県寒河江市   山形県寒河江市は、山形市に隣接するさくらんぼの街である。米沢市からは、山形高速道山形ICから西に30㎞程走った所にある。  寒河江市は、自然環境に恵まれ、  「花と緑、せせらぎで彩る町」 というキャッチフレーズを掲げている。

          僕のランラン人生5 山形県2

          僕のランラン人生4 山形県1

                         <山形県米沢市、飯豊町、川西町> 4-1 白布マラソンOB大会           ~ 秋の白布街道を走ろう ~                平成15(2003年)年9月 山形県米沢市  「白布高湯マラソンを、もう一度走ってみませんか。」 というお誘いがあった。  「白布マラソンOB大会」というのは、山形県立米沢興譲館高校OBによる学年対抗駅伝大会のことだ。  白布高湯マラソンは、米沢興譲館高校(山形県米沢市)の恒例

          僕のランラン人生4 山形県1

          僕のランラン人生3 東北地方

                   <一関市、湯田町、田沢湖町、郡山市、二本松市> 3-1 一関国際ハーフマラソン大会(第21回)          声援とゴールはあなたを待っている                  岩手県一関市 平成14年(2002年)9月  一関国際ハーフマラソン大会は9月、第4週日曜日、岩手県南の中核都市、一関市で開催された。  一関市は、東北の都、平泉中尊寺で名高い平泉町に接し、盛岡、仙台の中間点にある。  車は東北縦貫道、一関ICで降り、10

          僕のランラン人生3 東北地方

          僕のランラン人生2 北海道2

                            <札幌、富良野、美瑛> 2-1  豊平川夕涼みマラソン(第12回)       ~ 夕涼みをかねて豊平川河岸でいい汗を流そう ~                     2004年8月21日 札幌市  夕涼みマラソンは、8月第3週土曜日の開催だ。会場は、札幌市の中心を流れる豊平川の右岸河川敷となっている。  <種目、参加者>     ハーフ 224名  10㎞ 269名   5㎞  103名         3㎞  9

          僕のランラン人生2 北海道2

          僕のランラン人生1 北海道1

                          <オホーツク海沿岸、釧路> 1-1 網走ハーフマラソン(第13回)          ~ 北の大地で感動の風となれ ~                                       北海道網走市 2002年8月4日  本大会は、北海道網走市で開催された。私達が参加したのは2002年、第13回大会だった。  網走市は、網走国定公園の中心にあり、阿寒、知床国立公園の玄関口になっている。  特に夏には、多くの観光客が訪

          僕のランラン人生1 北海道1

          各地の大会より(写真による)

          次回は、「北海道1」(オホーツク海沿岸、釧路)の大会についてです。

          各地の大会より(写真による)

          「僕のランラン人生」を記すにあたって

              初めて参加したあるマラソン大会で、知り合った男性が、こう言った。 「去年は5.3㎞だったけどね、今年は8.2㎞を走ってみることにしたんだよ。」  結構高齢と見える彼が、一気に150mを昇らなければならないという本大会の、最長コースを走るというのだ。 「僕は、60歳から走り出したんだよ。退職してからだもの。いつの間にか83歳だよ。まあ、ランニング人生23年というところだな。年だからなあ。でもね、100歳まで、何とか走ろうと思ってるんだよ。」  驚いてしまった。その時、私

          「僕のランラン人生」を記すにあたって

          第8節 置賜地域の鉱山

          8-1 西吾妻鉱山 山形県米沢市にある西吾妻鉱山が始動したのは、昭和12年(1937年)のことでした。鉱口は、米沢市の天元台スキー場の第一リフト付近で、主に硫黄を産出しました。(図1-1)  昭和12年(1937年)、日本と中国との全面戦争となった日華事変が始まり、戦いは8年間もの長きに渡りました。戦いが長引くほど硫黄等の軍需品が大量に必要とされるようになりました。  一時は、硫黄の月産が数百tfを超え、従業員も500名以上に急増しました。昭和15年(1940年)から、鉱山

          第8節 置賜地域の鉱山

          第7節 栗子道

          7-1 第1世代栗子道  初代山形県令、三島通庸が特に重要政策としたのが、福島、米沢間に新道、栗子道を開通させることでした。  それは、栗子山(標高1217m)の中腹に栗子隧道を掘り、馬車による輸送ができるようにしようとするものでした。幅員は2車線で安全に通行できるよう、4間(約7.2m)とされました。    その頃の最長の道路トンネルは、全長203mの静岡県の宇津ノ谷隧道でした。しかし、栗子トンネルの長さは876mの計画でしたから、宇津の谷隧道の4倍を越えるものでした。当

          第7節 栗子道

          自己紹介

           こんにちは。香坂文夫です。私のページにようこそ。 生まれは山形県米沢市。米沢市は、人口79,000人程。 米沢は、江戸時代、上杉謙信を藩祖とする上杉家が治めた城下町。2009年のNHK大河ドラマ、『天地人』の主人公は、米沢藩、初代藩主、上杉景勝の家老、直江兼続。その米沢城址を中心にした観光名所がたくさんあって、多くの観光客が訪れてきます。  私は、長いこと、工業高校や農業高校の教員をしてきました。 その間、ささやかですが、建設や都市計画等に関連した図書等も作って

          自己紹介

          第6節 米沢藩の医学史

          6-1 藁科松柏と細井平洲 藁科松柏は、元文2年(1737年)、藁科周伯の子として生まれました。早く父を失いますが、元服後、江戸で医学を学び、21歳で江戸御留守居となります。さらに、23歳で、第8代米沢藩主、上杉重定の側医を務めます。  明和元年(1764年)、両国橋のたもとで、熱弁をふるう辻講釈がいました。その講話には、いつも、多くの人々が集まっていました。わかりやすく、力も沸いてくるような内容でした。その人は、儒学者、細井平州でした。  それを聞いていた松柏は、

          第6節 米沢藩の医学史