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第7節 栗子道

7-1 第1世代栗子道

 初代山形県令、三島通庸が特に重要政策としたのが、福島、米沢間に新道、栗子道を開通させることでした。

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 それは、栗子山(標高1217m)の中腹に栗子隧道を掘り、馬車による輸送ができるようにしようとするものでした。幅員は2車線で安全に通行できるよう、4間(約7.2m)とされました。
 
 その頃の最長の道路トンネルは、全長203mの静岡県の宇津ノ谷隧道でした。しかし、栗子トンネルの長さは876mの計画でしたから、宇津の谷隧道の4倍を越えるものでした。当時の日本の土木技術では、それを完遂するトンネル施工技術はまだありませんでした。

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 そこで、当時の内務省が派遣したオランダ人技師、エッセルに指導を仰ぐことにもなりました。また、当時、世界にまだ3台しかなかったアメリカ製の掘削機械を購入することにもなりました。それは、堅い岩盤掘削に対して、坑夫30人分の能力を発揮する画期的な機械だったのです。
 トンネル工事は、明治9年(1876年)、米沢、福島両側から掘り始められました。固い岩盤は、その最新の掘削機が使われましたから、当時は考えられない早さで工事が進みました。トンネルは、同13年(1880年)10月に貫通しました。山形県側からは約470m、福島県側から約400mの地点で、少しのずれも無く、見事に結ばれました。翌14年には全工事が終了しました。図1-2は、三島、エッセル等が写った栗子隧道米沢側抗口です。

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 その年の10月3日、東北地方を行幸中の明治天皇を迎え、盛大な開通式が催されました。その時の供奉員は、親王、大政官左大臣、参議の大隈重信等325人、馬300余頭という大編成だったことが記録されています。「万世大路」は、その折に、明治天皇が命名されたものです。
 なお、明治天皇は6度の巡幸をしていますが、米沢は、5度目の東北、北海道巡幸の中で行われました。
 図1-4がその経路です。東京発が明治14年(1881年)7月30日、東京着が10月11日、73日間となっています。

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 第1世代栗子道の完成は、みちのく東北を開く原動力となりました。
 しかし、この栗子道は、冬になると、3mを超す豪雪となる山岳道路です。しかも、約5ヶ月間もの間、通行できませんでした。豪雪は、経済交流を阻む大きな障壁ともなったのです。
           参考資料 栗子道路工事史(1968年、旧建設省)


7-2  奥羽本線の開通と第2世代栗子道

 明治政府は、道路と共に鉄道の建設も積極的に進めました。明治24年(1891年)、東北本線、上野、青森間が開通し、26年(1893年)になると、奥羽本線の工事にも取りかかりました。
 特に福島、米沢間の41.1㎞は、奥羽山脈を横断する難工事でした。トンネルは大小19か所、橋は30か所、トンネルの延長は1,629mでした。多くの難工事を克服し、福島、米沢間が開通したのは、起工から6年目の明治32年(1899年)5月15日のことでした。

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 鉄道による荷物の輸送も始まりました。雪のために長期、運休することもありません。第一世代栗子道の交通量が減少して行きました。使用頻度の少ない道路は老朽化し、その補修も追いつかなくなりました。トンネルは落盤したり、支保材とからみ合ったりして、危険も頻発するようになりました。
 鉄道に加えて、車も普及し始めた時代です。そもそも、第一世代栗子道のトンネルは素掘りで作られていましたし、道路の縦断、横断勾配も大きいため、自動車道としての改良に迫られたのです。
 そこで、昭和8年(1933年)4月より、当時の内務省仙台土木出張所福島国道改良事務所が、国の直轄事業として改築工事をすることになりました。
 区域は、福島県側は、信夫郡中野村(今は福島市中野)新沢橋左岸付近より、山形県側の南置賜郡万世村字梓山滝岩上橋間の延長14.4㎞です。
 トンネルは、坑道を約2m掘り下げ、その有効高さは4.5m、有効幅員は6m、図2-3のような断面構造とされました。

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 また、二ツ小屋隧道、粟子隧道は、図2-4のように、旧隧道にセントルを組み、コンクリート巻き立てる工法で拡張整備が進められました。完成は昭和12年(1937年)でした。

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 図2-5は米沢側の抗口です。図のように、米沢側は、第1世代栗子道と第2世代栗子道の2つの抗口が並んでいます。これは、旧隧道は曲線形で抗口に出るように作られていましたが、雪の吹き込みを避けるために、直線の道路線形に改められたことによります。 

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 この栗子道路の改修により、福島、米沢間は、車で2時間30分で結ばれることになりました。貨車での鉄道輸送と比べると、約30分の時間短縮がなされたのですから、画期的な出来事でした。
 しかし、栗子道の冬は、相変わらず3mを超す積雪があることから、第一栗子道と同様に冬期間の通行はできなかったのです。

7-3 第3世代栗子道

 第2世代栗子道が完成したことによって、車の通行が可能な道路になったものの、十分な補修が行き届きませんでした。道路の損傷も進みました。福島、米沢間、45kmの移動に約2時間半、これは、平均時速で19kmということになります。冬期間は、相変わらず5ヶ月間、通行止めとなっていました。
 また、昭和30年(1955年)頃には、エンジン付き自動車が急速に普及し始め、交通需要が大幅に増加する時代となっていました。この車社会に対応するために建設されたのが第3世代栗子道です。

 昭和31年(1956年)、栗子峠改良のための調査が開始され、昭和32年(1957年)、第2次道路整備5か年計画が立てられました。
 工事は、昭和36年(1961年)から開始され、高平トンネル、中野第2トンネル工事も始められました。東栗子トンネルは延長2,376m、西栗子トンネルは2,675mで、トンネルの坑口はそれまでより256mも低い位置になりました。図3-1にその高さの関係を示しました。

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 図3-2は栗子道の位置の関係図です。Aは第1世代と第2世代、Bは第3世代、Cは第4世代で東北中央高速道路の位置となります。

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 国道13号線、最後の難所であった栗子峠の改築工事もついに終結し、昭和41年(1966年)5月29日、全線供用を迎えます。総工費は130億円と記されています。
 この3代目の栗子道路によって、冬季間、5ヶ月間も使用できなかった米沢、福島間の通行が可能となったのです。

7-4 第4世代栗子道

 東北中央自動車道は、福島県相馬市を起点とし、福島市、米沢市、山形市、新庄市などを経由し、秋田県横手市で秋田自動車道に連結する総延長約268kmの高規格幹線道路です。
 この中で、1998年度に着手された福島大笹生ICと米沢北IC間、延長35.6㎞が、2017年11月4日に開通しました。東北中央自動車道における、この区間が第4世代栗子道ということになります。
 第4世代栗子道は、平成3年(1991年)に基本計画が決定され、平成14年(2002年)に着工されました。15年間の工事期間を経て、平成29年(2017年)11月4日に供用開始されました。
 また、2018年になると、南陽高畠と山形上山まで延伸され、福島、山形間が約1時間で結ばれるという画期的な時代を迎えています。

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 図4-1は、第1世代栗子道から第4世代栗子道までの高さとトンネルの長さについて比較したものです。新しい栗子トンネルは、延長8972mの長さを誇ります。有料トンネルを含めると全国で5番目の長さですが、無料では日本一長いことになります。一本のトンネルで米沢、福島間を結んでしまう画期的な設計です。第1、第2世代栗子道の直下を通り、第3世代栗子道の東西の栗子トンネルよりさらに約190m低い位置を通過します。このことにより、雪にも強く、安全性、信頼性の高い道路となっています。
 
 現在の米沢スキー場の西下が米沢側の坑口となっていますから、第3世代栗子道とは比較できない程、雪の影響は少なくなっています。
 この路線を可能としたのは、優れたトンネル掘削機械の開発、そして、その土木技術の革新的な進歩によります。
 所要時間は、福島大笹生ICから米沢北ICまでが約25分、大笹生から山形ICまでが約1時間です。従来の国道13号栗子道の場合、米沢、飯坂IC間で1時間程かかっていましたから大幅な時間短縮です。
 区間37㎞のうち約9㎞がトンネルです。全体の24%がトンネルということになります。第四世代栗子道はは第三世代栗子道の最大標高より256mも低い位置を通りますから、縦断こう配も最大でも1.26%と、たいへんゆるやかです。通行条件は格別によくなっています。

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 図4-2は、米沢北ICの現在の様子です。
 米沢は雪国です。福島方面から米沢に向かった人は、「トンネルを抜けたら雪国だった。」等と、景色の変化を楽しんで旅をすることができるようになりました。
 なお、 山形県内の東北中央自動車道は、2025年度で全線開通する見込みとなっています。

7-5 高速道路を作る

 高速道路には、たくさんの土木技術が駆使されています。
 図5-1は、中野大橋です。旧栗子道、国道13号の中野付近から撮影したものです。

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 高架橋は、高さが約80mで、7本から8本の橋脚が見えます。橋長は754mにも及びます。橋脚も橋桁も大震災を想定した耐震設計がなされています。
 栗子トンネルは、第3世代栗子道では、東栗子トンネルが2,376m、西栗子トンネルが2,675mで結ばれていたのですが、第4世代栗子トンネルは9,872mのトンネル一つで栗子峠を通過してしまいます。東京湾アクアラインのアクアトンネルが9,610mですから、それを一つ上回る長さとなっています。
 縦断勾配を小さくし、安全性の高い道路とするため、このような高架橋や長大トンネルを設置した路線が作られます。
 トンネルは、事故に備えて、避難坑が本坑に並行する二重構造ともなっています。また、専用の換気坑も設置され、万が一の事故に対して十二分な安全対策が取られています。

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  図5-2は、南陽高畠、山形上山間の途中、赤湯の周辺地域にある「白竜湖軟弱地盤帯」を説明した図です。図のように、この一帯は、深さが90m、100mに及んでも泥炭や粘土の層であり、地中に岩盤がありません。そこに高速道路のような重量のある構造物が建設されると、時間と共に沈んでしまいます。これを圧密沈下といいます。それを防ぐために、路床の下には、真空圧密工法(図5-3)という特殊な工事が施されています。

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 また、道路は直線ばかりではなく、カーブもたくさんあります。車は、カーブに入ると遠心力で外廻りの軌跡を作ろうとします。これに対応するために、高速道路の曲線部は、円曲線も含めて、クロソイド曲線が採用されます。このことで、高速道路の曲線部では、車がスムースに走れることになっています。

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< 東北中央自動車道の経路>
 図5-5は東北、中央自動車道の経路を示したものです。東北中央自動車道は、福島県相馬市を起点に福島市、米沢市、山形市、新庄市を経由し、秋田県横手市で秋田自動車道に接続します。全長は約268kmです。

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次回は、「第8節 置賜地域の鉱山」についてです。最終回となります。




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