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僕のランラン人生2 北海道2

図9

                  <札幌、富良野、美瑛>

2-1  豊平川夕涼みマラソン(第12回)

      ~ 夕涼みをかねて豊平川河岸でいい汗を流そう ~
                    2004年8月21日 札幌市

 夕涼みマラソンは、8月第3週土曜日の開催だ。会場は、札幌市の中心を流れる豊平川の右岸河川敷となっている。

図16

 <種目、参加者>
    ハーフ 224名  10㎞ 269名   5㎞  103名   
     3㎞  9名(親子ペア 小学生+親)
                       計605名

             受付 当日 12時30分~14時00分
        開会式  14時00分
        スタート 15時00分

 そもそも600人程度の大会だ。ハンドマイク片手にコースの説明あり、開会式は簡単に終了した。

 スタート時間にあわせて、簡単な準備体操を始めた。すると、
「走ろう会の方ですか。」
と、声をかける人がいた。どうやら、人違いのようだ。
「いいえ、そうではなかったです。すみません」
「あら、すみません。私、間違ったわ。」
「どういたしまして。今日は台風が行ってしまって、良かったですよねえ。お住まいは札幌ですか。」
と、挨拶を返すと、
「はい、ここなんですよ、ほら、私の住んでいるマンションがあそこに見えるんですよ。ほら。」
「ええ?」
「ほら、向こうに見えるでしょ。あのマンションよ。」
「ああ、あそこですね。」

図12

「私ねえ、心配してたんですよ。台風で豊平川が増水しないかしら?ってね。」
今度は、妻の方に続けて、
「あら、こちらは奥さんですか。」
「はい。」
「ご夫婦で走るなんていいわねえ。どちらから?」
「はい、山形県米沢市からです。」
「あら、この大会のために、そんな遠いところからいらっしたんですか。すごいわ。でも、私、米沢って行ったことないのよ。」
「私達は遊びですから、すごくはないんですよ。」
「でも、夫婦で走るなんてとってもいいことですね。今日は、何㎞走るのですか。」
「はい、二人して、10㎞を走ります。」
「奥さんも10㎞なんて、大したものだわ。ずうっと走っているですか。」
「私は30歳の頃から走ってますが、妻は、いつの頃か私の真似をして走り始めたんです。ここしばらくは暇をみては走ってるようですね。」
「はい、私、勤めていますから、夜になっての練習ですね。おばさんは今日、何㎞走りますか。」
「私はね、5㎞なんですよ。」
「5㎞走るなんて大したものですよ。私は、おばさんの歳になったとき、きっと5㎞は走れないと思いますね。」
「あなたは、そんなことないですよ。かつては、私もね、10㎞も、それ以上も走ってたんですけどね。最近は5㎞だわ。」
「私達よりはお年はずっと上に見えますが・・・。」
「いくつに見えますか」
「ええと、そうですね60代の半ばくらいですか?」
「はい、だいたいあたりです。66歳になりました。私ね、脳梗塞してしまったんですよ。70歳、80歳、ずうっと走れると思っていたわ。病気って嫌ねえ。それで、突然走れなくなるのよ。」
「それは大事件でしたよね。それで、もう走っても大丈夫なんですか。」
「ええ、もう走れないかなあって思いましたけどね。しばらくはリハビリでたいへんでした。結構、時間かかりました。でも、何とか回復できてね。また、こうして走り出したんです。」
「すごい、努力ですよね。」
「ええ、病気の前までは、ずっと走っていましたからね、必ずまた走れるようになろうと思ったわ。目標ね。入院中もできるだけ身体を動かそうとしたのよ。また、大会に出れるようになっただけで、最高に嬉しいのよ。」
「それは、努力のたまものですね。すごいことです。それじゃ、またこつこつ頑張って、10㎞を走って下さいよ。」
「うふふ、それは無理と思うわ。だけどね、それが目標よ。私、頑張るからね。」

 4、5日前に発生した台風15号は九州、四国地方に上陸して大雨を降らせた。日本列島を横断するように北上していたから、私達が搭乗予定していた飛行機も、飛べないのではないかと心配した。しかし、それもなく、大会の日も晴れ、気温も25℃、夏の大会としては絶好の日よりとなった。

 14時30分、実行委員長らしい人が、
「皆さん準備はいいですか。3分前です。」

 ピストルが鳴って、ハーフがスタートした。
そして、私達の10㎞も、その30分後、15時にスタートした。晴れでまずまずのコンディションだ。

図13

図14

 気温は25℃程度、スタート時点では、天気は晴れ、いいコンディションだ。ほぼ平坦な折り返しコースだ。往きは心持ち登っているようだから、復路は少々の下りコースとなる。整備されている河川敷を黙々と走った。真夏だというのに、涼しい風も吹いていて快適だ。
 札幌市は、街全体が碁盤の目状につくられているため、豊平川にも、ほぼ同じ間隔で橋が架けられている。この体会は、わずか10㎞区間で、7つの橋下を通過した。

 ちょうど8㎞くらいのところを走っている頃、雨が降ってきた。大したことはないと思っているうちに本格的に降り出したのだ。あっという間に雨足が強くなり、河川敷一面が雨水が流れるようになり出した。

図17
 稲妻も走りだした。結局、私はずぶ濡れになってゴールインすることになった。妻は、私よりしばらく後ろを走っていたから、さらに大濡れになってゴールインしてきた。
 お互いにずぶ濡れになって走ったのは、初めてだ。たいていのランナーが札幌市内近辺から集まっている。更衣室らしきものもない。大会が大雨になってしまうと、男性はともかくとして、女性ランナーはたいへんだ。私達には、車もない。
 とにかく濡れねずみのようになっているから、すぐに着替えないと風邪をひく。バスタオル2枚を使ってカーテンを作り、妻はすぐに着替えをした。妻、曰く。
「私ねえ、濡れると嫌だから、早くゴールインしようとしてピッチ上げたのよ。今日はね、最近の10㎞のベストタイムだわ。」

  ちなみに、記録は、
     私    48分 16 秒(10㎞) 
               妻     55分42秒(10㎞)
  だった。

 ハーフのランナー達は、さらに降り続く雨と稲妻の光る中をはしり続けた。ハーフの最終ランナーがゴールする頃、大雨は止んだ。

 雨に濡れたのは残念だったが、妻はとてもいい話しをする人に巡り会えたと言う。次のようだ。

<妻の話>
 途中、緑色の上下おそろいのランニングウェアを身につけた、70代にはなっていると思われる男性と、しばらく並走していた。彼は、いかにも走りを楽しんでいるようで、私が少し先行すると、彼は、
「ようし、いいぞ、頑張れ、頑張れ。わしを気にしないで先どんどんに行け。」
と、にこにこして激励してくれた。すると、彼は、すぐ私に追いついてきて、
「雨降りそうだなあ。私は、ここいらでちょっと先に行くよ。あんたも頑張れよ。」
と、言って先に行ってしまった。
 折返してからは、その彼はずっと前を走っていた。
 日頃、そうとう練習しているのだろう。単調だが、軽やかに走る彼の緑のランニングウェアは、ますます格好よく見えた。ウェアもいろいろと楽しんでいるらしい。
 しかし、お歳の分だけ身長が少々縮んで見えた。確実に70代になっていると思われた。
 大会が終了して、あらためてプログラムを見ると、10㎞男子の最高年齢者、79歳の方であることがわかった。私との年齢差は30年近くある。あらためて、ほんとうにすごいと思った。

 夕涼みマラソンは、たっぷり濡れるマラソン大会となってしまったが、これも2004年の夏、忘れられない思い出となった。


2-2 ふらのへそマラソン大会 (第21回)

      広大な大自然の中で爽やかな夏マラソン
                        北海道富良野市 2001年7月27日(日)

 富良野市は、北海道のほぼ中央に位置していることから、「北海道のへそ」とも言われている。

図25

 本大会は、富良野市の「北海へそ祭り」の一環として開催された。
 旭川空港から、国道237号線を約40㎞程南下したところに富良野市がある。富良野市の面積は約600平方㎞、北海道内34市のうち8番目の広さとなっている。
 基盤整備された広大な畑地だ。大きく区切られた区画に沿って道路がある。南北方向では、北に向かって北1号、北2号、北3号・・・、東西方向では、東に向かって東4線、東5線、・・・、等と通りの名称がつけられている。
 参加したのは、21回目の大会だった。参加者は250名、富良野市民中心の大会だ。規模は小さいが、北海道の広い大地をいっぱい感じながら走ることができた。

<種目>
     3㎞コース  5㎞コース   10㎞コース

        私達は、5㎞と10㎞コースにエントリーした。
 
 市立東中学校の隣にある富良野人材開発センターを出発点として、東中通、北1号・・、東8線・・等を周回する。

図19

 スタートすると、コースの前半は、前方に標高2,077mの十勝岳が迫ってくる。そして、コースの後半は富良野スキー場に向かう。一区画が1ha、正方形の区画を結ぶ幹線道路に沿ったコースだ。

 広大な畑には、麦、にんにく、すいか、豆、じゃがいも等が一面に植えられている。
 7月下旬期は、じゃがいもの白い花、ラベンダーの紫の花々が咲き誇り、白や紫のジュウタンの上を走っているかのようだ。
 気温も湿度もさほど高く感じない。大自然の中で爽やかな夏を感じながら快調に走った。

図20

 ゴールは、スタートの場所から少し離れ、北海へそ祭り本部となる、「お祭り広場」だ。
 ゴールに近づいてくると、遠くから音楽が聞こえてきた。それは、さだまさしが歌う、「北の国から」のテーマソングである。温かく心にしみる音楽に迎えられる、故郷に帰るような気分でゴールインした。

 ちなみに、記録は、
    私  51 分 37 秒 (10㎞)
         妻     28 分 00秒 (5㎞)
 だった。

 「北の国から」の舞台は、富良野市だった。原作は倉田聰氏、昭和56年(1981年)にスタートし、20年の長期にわたって放送された。

図21

 ドラマは、五郎(田中邦衛)一家が、富良野に移り住むところから始まった。この富良野市から東方向に位置する「麓郷」に、ドラマゆかりの建物が残されていた。
 たまたま、「北の国から」のテーマソングが入ったCDを持ってきていた。そのCDを聞きながら、レンタカーを走らせた。

 帰りは、富良野を経由して、占冠村までを結ぶ国道237号、「花人街道」を行くことにした。そこは、十勝岳連峰の雄姿を見据えながら、丘陵を越えて行く。絶好のドライブコースだ。7月下旬のこの地域は、どこを見ても、一面の花畑だった。

図22

 街道を20km程行くと、なだらかな丘の街、美瑛町に入る。波打つように花畑が連なっている。パッチワークの丘だ。一面に咲く花々は、まるで大地にパッチワークをしたかのような風景だ。 あまりにも美しい。

 農場の一角の観光案内所で、絵を販売していたある画家に尋ねた。
「これは、あなたが描いた絵ですか。」
「はい、全部私が描いたものですよ。一枚いかがですか。」
私は、いくつかのセットを購入することにした。
「上手ですね。」
「いいえ、そんなでもないですよ。でも、私は、この風景が好きなんですよ。いつの間にか、ここで何年もの間、絵を描いています。」
「それは、それは、いいですね。」
「何枚描いても、あきないですよ。」

 季節毎に変化する美瑛の大自然を巧みに描いていた。美瑛を描いているうちに、そのとりこになり、住み着いてしまったという。

図23

 大自然を満喫した富良野へそマラソン大会、夏のいい思い出として、心に刻まれた。

 なお、本年は、2021年、第41回目を迎えた「ふらのへそマラソン大会」は、コロナ禍にあるため、開催は中止された。


2-3 びえいヘルシーマラソン(第21回)

       丘のまち びえいを駆け抜ける 
 
                     期 日  2008年6月8日(日)
                     開催地 北海道上川郡美瑛町

 美瑛といえば、パッチワークの丘、その広大な風景で知られている。本大会は、その丘陵地帯を走る。

図34

図32

 私達は、千歳空港から、道央自動車道を車で走り美瑛に到達した。
 今年で21回目となる本大会には、北海道内外から多くのランナーがやって来た。申込み者は4013人、山形県からは私達2名となっていた。

<種目>
    ハーフ  クオーター(10.54㎞) ワンエイツ(5.27㎞)

 開会式では、大会関係者と、元五輪選手、増田明美さんからの激励のランニングアドバイス等があった。
 全員での準備運動も終わり、色とりどりのユニフォームに身を包んだ選手達が、初夏の美瑛の丘で健脚を競う。
 スタート時の気象はくもり、気温は17℃、いい条件だ。
 私達が参加したハーフマラソンの部は、白金温泉にある「国立大雪青少年交流の家」前をスタートし、丸山運動公園陸上競技場にゴールする、ワンウェイコースだ。

図36

 選手達は、開会式会場から白金温泉までバスで移動する。スタートは森林地帯で、周囲の山々からカッコーのさえずりも聞こえてくる。
 そこは、バードサンクチュアリ観察地区にもなっている。この日は、その研修会の開催日ともなっていて、その参加者もたくさん集まっていた。

 準備運動していた隣のランナーに、大会の様子を尋ねた。
「地元の方ですか。」
「はい、僕は、地元ということもあって毎年参加しています。あなたは、どちらからですか。」
「はい、私は山形県米沢市からです。」
「ええ?山形県ですか。飛行機ですよね。旭川空港ですか。」
「いいえ、千歳なんですよ。」
「あらあ、それじゃ、車ですと、ここまで結構な距離ですね。」
「はい、でも、北海道の素敵な景色を見ながらですからね。」
「とにかく景色がきれいですね。去年もハーフを走りましたが、暑かったんですよ。それで、給水所が増えてきましたね。」
「今年はさほど暑くなさそうですね。」
「ええ、今日はいいですね。最初はゆるやかな下りが続きますから、オーバーペースにならないように注意するといいと思います。」

図28

 午前10時30分、号砲と共にスタートした。
 スタートして約15㎞までは、なだらかな下りが続く。途中、白金白樺林がコース両側に続く。まるで緑と白のトンネルを走るような爽快さだ。雄大な十勝岳連邦を周囲に見ながら、高低差約300mもある、ゆったりした下り道を走る。制限時間は3時間だから、ゆっくり、ゆっくりと思いつつも、自然にオーバーペースとなる。セーブしながら完走を目指す。
 下りが終わると、登りが続く。この登りは、オーバーペース気味で下って来た私の足には、大分重く感じられた。途中、走っているのか歩いているのかわからないほど、きついと感じた。

図29

 しかし、登りきると、広々としたパーッチワークの丘が目に飛び込んできた。しばらくは、平坦なコース、一面に咲くじゅがいもの花畑、麦畑等が続く。最後は、ゴールまで下り坂、気持だけラストスパートして、何とか完走した。

  ちなみに、タイムは、
    私 2 時間    5 分00 秒(ハーフ)
            妻    2 時間 12 分 58 秒(ハーフ)
 だった。

 沿道では、広い北海道の地元の人たちの心のこもった応援が、とても嬉しかった。特に、美瑛高校等の生徒の皆さんの元気な声援に励まされた。
 大会が終わった後にも、広々とした美瑛の景色を楽しんだ。

 途中、スケッチしている青年がいた。風景画の展示販売もしていた。とてもきれいな絵だったので、車を停車して、尋ねてみた。

図30

「ここで、スケッチすることが多いのですか。」
「はい、秋の終わり頃までは、スケッチに来ることが多いですね。」
「ほんとうにきれいな絵ばかりですね。これ、全部、あなたの絵ですか。」
「はい。でも、それ程でもないのですよ。こうして描いていると、好きな人が何枚か買ってくれますね。」
「美瑛に住んでるのですか。」
「はい、僕は、この美瑛が好きになって、東京から移住してきたんです。ここと言っても、住んでいるのは、美瑛町内ですけどね。そこで、仕事をしながらに、美瑛を描いています。美瑛の絵を描いていると、仕事にも、とても充実感がありますね。」

 そう言えば、2001年のふらのへそマラソン大会でも、スケッチする青年と出会ったことがあった。
 若者を移住させる程、美瑛は美しい。

 また、JR美瑛駅周辺は、整然として、とても美しい西洋風の街並みとなっている。美瑛の広大な丘の町をイメージした都市計画だな、と思った。

図31

 なお、本大会は、2021年で34回を迎えていたが、コロナ禍の中にあって中止となっている。


次回は、「僕のランラン人生3 東北地方」です。 





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