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僕のランラン人生8 関西地方

図1

                    <奈良県 岡山県 滋賀県>

8-1 奈良春日・大仏マラソン全国大会(第24回)

         ~ ゆっくり世界文化遺産の地を走ろう ~

                   平成16年(2004年)12月5日
                   於:奈良市奈良公園・春日野園地

 本大会は、古代日本の都を味わいながら、走ることを存分に楽しもうという趣旨で開催された。

 <種目>
    10㎞   5㎞   ジョギング
                計 5,200人の参加

 大会受付、開会式の会場は、奈良公園東大寺南大門前の広場だ。

図1

 私達が会場に行った時には、約5,000人以上のランナーが集まっていた。
 前日まで少々雨模様だったが、朝になると、すっかり晴れ上がった。公園にはたくさんの鹿達がのんびりと歩いていた。

図9

 開会式の冒頭では、奈良県知事、奈良市長のお二人が挨拶に立たれた。

「斑鳩(いかるが)の里、ここ奈良は、日本人の心のふるさとです。その美しい景観、歴史ある建造物を味わいながら、今日1日、いい汗を流し、存分に楽しんで下さい。」

 11時、私達が走る10㎞のスタートだ。10㎞のランナーは、約2,700人だ。スタートは切られたが、奈良公園のスタート地点は、びっしりのランナーで、なかなか前に進めない。スタートして5、6分間はウォーキング、ジョギング状態が続き、ようやく流れ出した。

図10

 東大寺南大門前公園から県新公会堂、春日大社前、春日大社神苑、志賀直哉旧居、鷺池、南大門、寧楽(なら)美術館、大仏池、正倉院、歴史の道、竜松院、持宝院、鏡池、等を巡り、また、東大寺南大門前公園にもどる。 
 1300年前、日本の都として栄えていた平城京、その東側を走っている。
 砂が敷かれた春日大社参道を走ると、
「ザック、ザック、・・・・・」
砂を踏む足音が、緑濃い杜の中に響く。
 アップダウンも思った以上にある。
 コースは南大門の正面に向かう。多くの観光客もみんな立ち止まっては、ランナー達に声援や拍手を送ってくれていた。鹿達も優しく澄んだ目で応援してくれているかのようだ。
 南大門の奥には、世界最大の木造建築物である大仏殿が天高く建っている。その中にある東大寺大仏がランナー達を笑顔で見ておられるような気がした。

図5

 コースは、東大寺を左手に折れて正倉院に向かう。正倉院も、観光では何回か訪ねているが、走って目の当たり見るのは初めてだ。
 正倉院は、東大寺大仏殿西北にある校倉造(あぜくらづくり)の歴史ある建物だ。聖武天皇の崩御にあたり、東大寺に献納されされた天皇遺愛の品々と、東大寺伝来の文書が収められている。
 正倉院を一回りして、歴史の道、竜松院、持宝院前へ、そして、再び東大寺東側を通過する。道路は一部石道の箇所もある。堅い石道は足にずっしりと響く。

図11


 公園内は、櫟(いちい)、樫などの巨木と、南京櫨(はぜ)、馬酔木(あせび)等の常緑樹が、公園の深淵なる歴史を演出している。参道、境内を通るコースは、すべてが歴史深い風景だ。それらに目をやりながら走る。
 ペースはゆっくりだ。
 ゴール近くまで来ると、ひときわ大きな声が響いてきた。

「気合いだ。気合いだ。・・・・、それ、頑張れ。」

図4

 ゴール間近なところであるから、疲労感があった。しかし、この気合いで、疲労が吹っ飛んで行った。

「それえ、気合いだあ。気合いだよ。・・・・、それえ、頑張れ。」

 これは、2004年のベスト流行語だった。元プロレスラーのアニマル浜口氏が、この年開催されたアテネオリンピック72㎏級女子レスリング、銅メダリスト浜口京子選手に送った声援だ。娘に送った声援が、日本人の共感をよび、流行語になってしまった。

 その浜口流の気合いの入った声援に、押し出されるようにして、私達ランナーは、ゴールを目指した。
 鏡池側を通り、奈良公園東大寺南大門前公園にもどって、ゴールインとなった。
 初冬の奈良公園、石道、砂の敷き詰められた道、そして紅葉した落ち葉も踏みしめ、味わいの深い10㎞走が終了した。
 奈良公園でなければ味わえない、古都奈良の魅力を体いっぱいに堪能することのできる大会だ。

  ちなみに、記録は、
     私 51分08秒(10㎞)  妻 57分10秒(10㎞)
  だった。
 
 日本の古都、奈良の都で大仏様に見守られるようにして走った大会だった。

 ところで、奈良は、平城京が築かれた以来、約70年の間、古代日本の都だった。
 平城京は、奈良坂の辺りで、顔料や塗料として使う青丹(あおに)を産出した。
 大内裏や大通りに面した主要部分では、檜皮(ひわだ)葺きの屋根と白壁に丹塗りの家が多かったという。
 奈良市にある、このような建造物や自然は、世界遺産としての指定も受け、日本はもとより世界各地から多くの観光客が訪れる、日本を代表する観光地となっている。

 なお、2010年には、平城遷都1300年記念「奈良マラソン2010」と、
同時に、第30回奈良春日、大仏マラソン全国大会も開催され、全国から参加した約17,000人のランナーが、世界遺産の歴史文化を巡るコースを駆け抜けた。


 8-2 べいふぁーむ笠岡マラソン大会(第9回)

          岡山県一広大なマラソン大会場
            べいふぁーむ笠岡を走ってみませんか
                       笠岡市  2009年3月

 岡山県笠岡市は、岡山県の西南部に位置し,西は広島県福山市と隣接している。瀬戸内海に面し、風光明媚な海岸線が広がっている。
 ここでは、干拓事業も早くから手掛けられた。

図1

 笠岡湾に面した日本鋼管福山製鉄所は、古くから、干拓地に作られた工場だ。そこに接するように完成した笠岡湾干拓地は、平成2年(1990年)3月に完成した。総面積1,811haは、日本では3番目の広さとなっている。大規模機械化農業の基地として期待され、現在に至っている。

 本大会は、その干拓地にある笠岡陸上競技場をスタート、ゴールとし、約1,200人が力走する。

 <種目>
     ハーフ  10㎞  5㎞  3㎞
    1.5㎞ (小学1、2年生、保護者と一緒に走る部)

図2

 スタートゴールとなる笠岡総合スポーツ公園は、干拓地内の生江浜に建設された。

   10㎞コースは、スポーツ公園を出て、日本鋼管福山製作所がある鋼管町から干拓地南西方向に向かう幹線道路を通り、カブト西町へ。神島を正面に見ながら左折し、笠岡太陽の広場に向かう。そして、運動公園に戻るコース。
 コースのほとんどが、干拓されて出来た直線の幹線道路だ。

図3

 ハーフは、干拓地幹線道路の周回コースを基本として、途中、神島の池を折り返す。干拓前は海の底だった。海抜マイナス4mの干拓地、高低差はほとんどない。見えるのはほぼ平坦地で、広々とした干拓地と瀬戸内海。単調なコースを、秋風に吹かれてたんたんと走った。

 ちなみに、記録は、
    私 54 分30 秒(10㎞)    妻 1時間 3 分30秒 (10㎞)
 だった。

図4

 さて、ここ笠岡は、私には特別な思い出がある。それは、私の学生時代、ここで、学部を同じくする友人と共に現地研修をした。それも、約4週間。干拓事業が進められていた当時、その現地で技術研修をさせてもらったのだ。
 事業所には、宿舎もあり、職員用の食堂もあった。日当もいただく研修だったから、帰りには、その資金を使って、周辺の観光も楽しんだ。
 昭和41年(1966年)から平成元年度にかけての笠岡湾干拓事業により、広大な農地が造成され、高梁川からの安定した農業用水も確保されるようになった。
 
   概要は次のようだ。
     地区面積 1,190ha 堤防 4,666m
    工 期 昭和41年度(1966年) ~ 平成元年度(1989年)

図5

 今では、当時、宿泊した事務所はなくなっていた。
 しかし、笠岡の地に立ってみると、4週間もの間、滞在した地、笠岡独特の関西弁や、事務所近辺の風景等、一緒に研修した友と、海沿いに散歩した防波堤、その周辺の道路、大昔の記憶が懐かしくよみがえってくるのが不思議だ。
 そんな笠岡を、今、こうして妻と共に走ることができた。この上なく嬉しい思い出ともなった。
 その時の友に、あらためて、笠岡の地酒を送らせていただいたものだった。

 なお、笠岡湾は、天然記念物、カブトガニの数少ない生息地としても知られている。世界でひとつしかないカブトガニ博物館では,カブトガニに関する展示をし、その研究も行われている。

図6

 そのようなことから、完成した干拓地内では、カブト東町、カブト西町、カブト中央町などと、町名にもカブトが入っている。

 2021年は、第23回大会となるが、コロナ禍にあるため、中止となった。



8-3 ほたるのまち 守山ハーフマラソン(第35回)

           ~ 雄大な琵琶湖畔を駆け抜けよう ~ 
                    平成16年(2006年)12月19日
                         滋賀県守山市水保町

 滋賀県守山市は、琵琶湖の東岸、野洲川の沖積平野に位置し、中山道中にある守山宿を中心に発達した田園都市だ。
 近江八幡市と草津市の中間に位置し、JR東海道本線、名神高速道路が通る。琵琶湖大橋のある町で、観光客も多数訪れる。

図7

「ほたるのまち守山ハーフマラソン」は、ほたるのまち、守山で、豊かな自然を感じながら琵琶湖湖畔を駆け抜けよう、というスローガンのもとに開催された。私達は、第35回大会に参加した。

図12

 滋賀県守山市水保町にある琵琶湖大橋のたもとにある、佐川急便守山陸上競技場がスタートゴールとなっている。

 <種目>
     ハーフマラソン  10㎞  
     5㎞  3㎞   1㎞(オープン種目)
                    1,500人の参加
 ゲストランナーは、福士加代子さん、彼女は、アテネオリンピック日本代表として、5,000m、10,000m出場した。この頃には、3,000m、5,000mに日本記録の保持者で、堂々たる日本代表だ。
 さらに、1998年、サロマ湖100㎞ウルトラマラソン優勝した砂田貴裕選手等、日本を代表する人達が共に走った。

図15

 県外ランナーは532名、私達の山形県が最北の参加者だった。
 
 10時30分、ハーフの部がスタートした。
 木浜町、赤野井湾の見える湖周道路、すこやか通り、守山市民運動公園で折り返す。復路に入ると、琵琶湖の向こうに風光明媚な比叡山、比良山の山並が見えて来た。すこやか通りの途中、メロン街道を通って再び赤野井に出ると、琵琶湖の美しい景色が広がった。湖周道路から木浜町を通り、佐川急便守山陸上競技場にもどるって、21.1㎞のハーフマラソンだ。琵琶湖からの初冬の微風を受け、とても走りやすいコースだった。

図11

 ちなみに、記録は、
    私 1 時間 55分 16秒 (ハーフ)  妻 2 時間 4分 50秒(ハーフ)
 だった。

 ゴールする頃はちょうどお昼時、熱いうどんサービス、最高のもてなしだった。季節も12月末、このうどんがたまらなく美味しかった。
 この年の走り納めは、雄大な琵琶湖畔のハーフマラソンで、気持ちのよい汗を流して締めくくることができた。

守山市は、琵琶湖大橋のある町で、その観光客も多く、周辺観光は図のようになっている。

図16

 なお、2021年の「第52回ほたるのまち守山ハーフマラソン大会」は、新型コロナウイルス感染症禍にあるため、中止となった。


次回は、「僕のランラン人生9 九州」の大会についてです。





 

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