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僕のランラン人生7 中部地方

図1

                <新潟県、富山県、長野県、岐阜県>

7-1 新潟マラソン(第20回記念大会)

           ~ 雄大な信濃川のウォーターフロントを走ろう ~
                        2002年10月13日新潟市

 新潟マラソン(現在では、新潟シティマラソン)は、新潟市陸上競技場をスタートゴールとし、新潟市内と信濃川、日本海を展望するコースとなっている。

図7

 コース周辺は、川と海の水辺の楽園、ウォーターフロントだ。

<種目>
     フルマラソン ハーフマラソン    10㎞
<参加者数>
     フルマラソン  883名   ハーフ 1,642名
     10㎞      1,192名 計                                    4,520名

 それぞれが公認コースとなっている。
    このうち、約1,000人のランナーは県外からやってくる。
 事務局が大会前に市内の旅館を予約で押さえてしまうため、新潟市内の宿泊予約は、3カ月前頃で、極くわずかになってしまう。
 私達が宿泊の手続きを済ますと、フロントの係の人が、
「明日は、新潟マラソンに参加されるんですよね。」
「はい、そうです。」
と言うと
「明日は頑張って下さいね。これをどうぞ。」
と、何やら紙袋が渡された。
 部屋に入って、袋を開くと、その中には、何とホテルから会場までの交通費が入っているではないか。このホテルの配慮なのか。
 また、朝食について、係の人が次のように連絡してくれた。
「一般客の皆さんは7時からですが、明日の大会の選手の方には、6時30分前から朝食が大丈夫なように準備しますから、早めにどうぞ。」
 ランナーは、スタート時間にあわせて朝食を取る。スタートが早ければ、ホテルの朝食はキャンセルして適当な時間に部屋で済ませてしまうこともよくある。だから、この配慮は、とても嬉しい。
 また、朝食のテーブルについてみると、メニューには、餅とバナナがついていた。30分早い朝食、どのテーブルにもついているようだ。
 シドニーオリッピックのゴールドメダリスト、高橋尚子選手も、
「大会当日の朝食は、餅をしっかり噛んで食べる。」
と言っていた。
 3種目だけの参加者で4,000人を超える。新潟市民一丸となった協力体制ができている。

図2

 特に本年は第20回記念大会。特別企画として進められた。
 開会行事では、選手とその家族が見守る中、聖火が入場してきた。聖火は競技場を2周し、視覚障害者の市民ランナーに引き継がれ、さらに、前年の外国人トップランナー、フィナーレは、小学生の長距離陸上代表選手へとつながれた。盛大な拍手のもとで聖火台に点火された。

図4

 新潟は、空と海からの国際線が行き来する国際都市でもある。海外の人達もたくさん活躍している。その人達も本大会を楽しみにしていたのだろう。
 視覚障害者のランナーも多く参加している。その人達には、伴走ランナーがついてくれる。視覚障害者の人より速く走る力がないと、伴走ランナーは務まらない。

 大会会長の新潟市長の挨拶だ。
「本年は本大会が始まりまして第20回の記念大会でございます。自然景観豊かなウォーターフロントコースを舞台に、日頃の練習の成果を発揮されますように期待します。」

 午前10時、いよいよ、種目毎のスタートのピストルが鳴った。同時に、花火が打ち上がり、色とりどりの風船も競技場の空を染めていた。

図3

 競技場を1周して市内コースに出ると、新潟大堰を目指す。
 10㎞コースは、新潟大堰が折り返しになっている。ハーフやフルマラソンは、ここを通過して、そのまま国道402号線を日本海に沿って走る。

図8

 信濃川と日本海が合流する大堰まで行くと、ゆったりと流れる信濃川と広々とした日本海が目に入ってくる。川幅は300mにもなる。
 そこから信濃川沿いの堤防に入る。信濃川下流の万代橋付近の川幅でも、200mを超える。新潟はそれぞれの河川本流の終着点なのだ。

図5

 しばらく信濃川沿いに走り続け、競技場にもどる。一週して、ゴールインした。

  ちなみに、記録は、
      私 1 時間 58分 25 秒      妻 2 時間 8 分 43 秒
  だった。

 なお、新潟市によると、毎年10月に開催している「新潟マラソン」の名称を平成22年度(2010年)の第28回大会から、「新潟シティマラソン」に変更するとともに、コースも一新して、10月10日に開催する、と発表した。
 新コースは、図のようだ。

図6

 新潟市は、本大会のほかにも、ファミリーマラソン大会、日本海マラソン大会、新潟ロードレース、環日本海新潟駅伝なども開催している。


7-2 笹川の流れマラソン大会(第18回)

         ~ 潮風、ふれあい、さわやかラン ~                
                    平成16年(2004年)4月4日 
                       新潟県岩船郡山北町

 新潟県岩船郡山北町で開催される笹川の流れマラソン大会は、昭和62年(1987年)に産声をあげ、本年で18回目を迎えた。

図12

 笹川の流れの風光明媚な景色は、日本でも有数の美しい海岸線の一つとして紹介されている。その景観は、延べ11㎞と続く。

図2

 岩の間を盛り上がるように流れる潮流に、笹川集落の名にちなんで、この名がつけられたという。四季折々、それぞれの魅力を放つ笹川の流れ。
 そんな笹川の流れで開催されるマラソン大会、沿海の景色の美しさを満喫したランナー達は、毎年、また集まってくるという。
 2,000人以上の選手を集めての開催だった。

<種目>
     3㎞の部(小中学生) 5㎞  10㎞   ハーフ  
                       合計2,030名

 スタートする前座として、北川町の若手グループによる、「南中ソウラン、よさこいソウラン」の軽快な踊りが披露された。山北町の子供達と者による、歓迎の意味をこめたエネルギッシュな踊りだった。

図5

 踊りが終了して、選手達は、桑川橋前に集合、そして、スターターのピストルが鳴った。
 国道345号線を北方に向かう。爽やかな春の潮風を体いっぱいに受けて走り出した。

図6

 10㎞コースは、ニタリ岩、眼鏡岩、恐竜岩、びょうぶ岩まで走り、折り返す。ハーフは、さらに蓬莱山からの折り返しとなる。

図3

 走っていると、前方には、沿線の美しい島々の風景が広がっている。かもめ達も走るランナーの目の前まで飛んできては、海の方に宙返りして行く。かもめも、潮風も、選手達を応援してくれているかのようだ。
 日本海の向こうには、終始、粟島が海に浮かぶように見えていた。

図1

   トンネルを抜けたかと思うと、またトンネル。私の走った10㎞コースには、10個のトンネルがあった。
 塩置揚隧道、ニタコ間隧道、滝ノ尻隧道、カタカリ松隧道、炭沢隧道、神宮沢第三隧道、神宮沢第二隧道、神宮沢第一隧道、弘法トンネル、そして根込み隧道。
 往路でくぐり抜けたこれらのトンネルを、また復路で通り抜けるから、合計して20個のトンネルを通過することになった。
トンネルの中に入ると、ランナーの足音が一際大きく耳に響いてくる。
自分の周囲、前後にどれくらいのランナーがいるのか、わからなくなる。反響する足音によれば、いかにも多くのランナーがいるような錯覚に陥る。
 数人の足音は、トンネルの壁にはね返って、足音の渦となる。その中で私も黙々と走った。
国道345号線の、ほぼ平坦なコースを折り返して来るが、最後のゴールとなる岩船市立桑北小学校(現在は廃校)は、国道から少々高台に上がったところにある。ゴール直前の最後は、必死に坂を駈けのぼってゴールインした。

    ちなみに、記録は、
   私 50分03秒(10㎞)   妻 56分16秒(10㎞)
 だった。

 走っているうちは潮風も爽やかであるが、ゴールインして少し体を休めると、しだいに、その風は冷たく感じてきた。

 そんなときの熱い豚汁のサービスが、また、たまらなくうまい。ついでに天ぷらそばも注文した。美味しくご馳走になった。
次の年の本大会に、きっとまた申し込んでしまうにちがいない。この美しい海の風景に惹かれて。

なお、令和3年(2021年)4月11日(日)に開催予定だった「第35回笹川流れマラソン」は、新型コロナウイルス感染症の状況を踏まえ、令和4年4月10日(日)に延期となっている。



7-3 神通川マラソン大会(第12回)

                  ~ ノーベル化学賞の田中耕一さんの故郷、富山市 ~                                                                        富山県富山市 2002年3月17日

   神通川マラソン大会は、毎年、3月の第3日曜日、富山市が開催する。
 富山市は、富山県の県庁所在地であり、北陸地方最大の中核都市だ。
   神通川は富山市内を流れる一級河川であり、本大会は、富山市内と神通川堤防沿いのコースを走る。

図7

 山形県米沢市から富山市までは、盤越自動車道で新潟へ、さらに北陸自動車道を南下する。5時間程で富山市に到着する。
 コースについては、市内中心部にある、富山大学に隣接する五福公園陸上競技場をスタートし、神通川沿いに走り、再び競技場にゴールインする。

<種目>
   ハーフマラソン  5㎞  10㎞  3㎞  2㎞  
                        約1000,人参加

図2

 いよいよ10㎞のスタートが切られた。スタートして間もなく、神通川河川堤防コースに入る。
 神通川は富山市でその川幅を最大にして富山湾に注ぐ。立山連峰と神通川のパノラマ風景とを眺めながらゴールを目指した。まだ、空気は冷たいが、春の息吹を十分に満喫して走った。10㎞コースは、河川堤防沿いに走り、富山大橋で折り返し、競技場にゴールインした。

図3

  ちなみに、記録は、
    私 48分39秒(10㎞)    妻 28分00秒(5㎞)
  だった。

 神通川は、イタイイタイ病で知られており、日本の代表的公害問題の河川だったことを、高校時代の社会科の先生に教えられた。

図4

 しかし、今では、そのような河川の汚染問題は解消され、流域を豊かに潤し、富山湾に注ぐ大河川として流れ続けている。

 また、富山市は、室町時代の後期になって、初めて城が築かれている。以来、城下町として繁栄を続けてきた。
 江戸時代の初期に、前田利次が、富山藩10万石の初代藩主となり、積極的な産業政策により、その基礎が築かれた。特に、富山売薬などの独自の産業や、北前船による物資交流も盛んになり、近代城下町として発展してきた。

図5

 富山市は、北に豊富な魚介類を育む富山湾、西に呉羽丘陵が広がり、南には、立山連峰から流れ出る水に潤された田園があり、豊かに実る。
 市内には大小の河川が流れ、東方に屏風のようにそびえる立山連峰を望むことができる。
 そんな美しい大自然を、肌で感じる富山市での神通川マラソン大会、春一番の走りを大いに楽しむことができた。

 さて、当時44歳の若さで、2003年のノーベル化学賞に輝いた、田中耕一さんの故郷も富山市だ。田中さんは、生体高分子の新構造解析法を開発した。その功績が評価されたものと言われている。

図6

 当市は、田中さんを名誉市民とするなど、歴史的な受賞を喜んだ。その当時、多くのテレビ局が、富山市の田中さんの生家に押しかけては、田中さんと富山市民の喜びを放映した。

  なお、今年(2021年)第 30回を迎えた神通川マラソン大会は、新型コロナウィルス禍にあるため、中止されいる。


7-4 小布施見にマラソン(第6回)

                           
                                  土手を行く 野道を駆ける 路地を走る 
                                    2008年7月20日 長野県小布施町 

 小布施町は、長野県の北東部に位置し、人口1,0000人程の町だ。長野県内で最も面積の小さい自治体だ。

図1

 葛飾北斎をはじめとする歴史的遺産を活かした町づくりを行っており、北信濃地域有数の観光地として知られている。
 りんごやぶどう等の、果樹を中心とした農業生産者が多い。
 年間120万人の観光客が訪れると言う。
 
 山形県から小布施町に車で行くには、盤越自動車、北陸自動車道、上信越自動車道を走り、信州中野ICから小布施に至る。
 
 本大会は、
   「小布施を見て、楽しみながら走ろう」
 というコンセプトのもとで開催された。

<種目>
    ミニマラソン(フルマラソンの半分)
         「小布施見にマラソン」
    と添えている。

 大会要項には、「土手を行く、野道を駆ける、路地を走る」という標題が記されている。コースを巡りながら、小布施町の人達と、ランナーやボランティアの方々との縁をつなぐ、「えんそう縁走」を楽しみましょうと、アピールしている。
 この年の参加者は約6,200人、これは、小布施の人口の約半数に相当する。大会運営に必要な人員は、小布施町内外からボランティアを約700人募集したという。

 この日は、猛暑の真夏日、お昼の気温で30℃を超えていた。スタートは午前7時20分、制限時間は5時間となっている。
 
 7時20分、小布施消防団ラッパ隊のラッパが鳴る中で、小布施駅前をスタートした。

図2

 図のようなコースで、民家の路地、田んぼの畦道、でこぼこ道、千曲川の土手道、プラムの実る果樹園、栗林、河川敷、町民が生活する路地等、そして小布施総合運動公園にゴールする。
 町民の多くの方々が、精一杯の声援を送ってくれる。

図7

  コースの途中には、いろいろな歓迎ムードがただよっていた。
コース沿道には、多様な音楽演奏家達が音楽を奏で、ランナーを歓迎してくれた。立ち止まって、音楽も聴いて、また走り出す人も結構いた。
 各種の音楽家が沿道で、このときばかりと、楽しそうに演奏している。アルトサックスのサミアバンド、ビートルズ時代が青春だった団塊の世代、そのおじさん達のエレキギターとドラムのバンド演奏等々。
 タイスの瞑想曲が聞こえてきた。何かのBGMだろうと思ったら、CDのピアノ伴走に合わせて、素敵なおばさんが身体をそらすようにしてビァイオリンを弾いていた。同じように、CDの伴走でフルートとオカリナが演奏し、ゴスペルのリズムカルなコーラスも美しくハモっていた。
 神楽太鼓も気勢よく鳴り響き、ランナー達は、走るを忘れてしまう。拍手もしたりしながら走るのだった。

図8

 真夏の大会ということで、給水地も頻繁に配置されている。
「次の給水地まで2.2㎞です。」
などと案内されているから、ランナーは自分の体調に合わせて水を補給することがだきた。所々にシャワーサービスもあった。
また、あちこちにバナナ、西瓜、ワイン等のサービスもあり、これらはすべて、沿道の農家の人達のサービスということだ。
「ごちそうさま、おいしい。」
と言うと、
「よかったら、また食べに来なさい。いつでもご馳走するよ。」
と、いかにも嬉しそうだ。
 じいちゃん、ばあちゃん、孫も一緒に農家の胡瓜、オレンジ等のサービスをしながら、町民あげてランナーを応援してくれた。

 ベストコスチューム賞の部もあり、スタート前に登録する。60組以上が、エントリーしたという。豊かな想像力とユニークな自己表現を駆使して身にまとう。覆面レスラー、ウェディンクドレスを着た男の花嫁さん、スターウォーズなど、いろいろだ。

「花嫁さん、頑張って」
などと声援が送られると、彼らは嬉しそうに手を振って走っていた。走るだけでも暑いのだから、彼らはサウナ風呂の中で走っているようなもの、ほんとうに気の毒になった。
 特に下駄をはいてのハーフは、足の皮が剥けてしまうのではないかと、これまた、これも気の毒になった。
 ゴールすると、盛り沢山のフルーツや野菜が食べ放題になっていた。バナナ、西瓜、胡瓜、プラム、大根 オレンジ等、いくら食べてもよい。私は、水がわりに西瓜3切れもいただいた。

図9

 隣にいた、少し年輩風の女性ランナーにあいさつした。
「今日は、いかがでしたか。」
「はい、何とか完走できたわ」
「初めての参加ですか。」
「私ね、70歳から始めたのよ。今年は75歳になったけど、今年で5年目、この小布施は大阪からやってきて、毎年走っているわ。」
「この大会はハーフばかりでしょう。みんな21㎞、75歳でハーフですか。」
「ええ、そうよ。この大会はほんとうに楽しいわ。この大会を走れば、走るってほんとうに楽しいと、みんな思っちゃうわよね。まあ、ゆっくり、ゆっくりだよ。」
「はい、私も初めてでしたが、見にマラソンですから、あっち見たり、こっち見たり、食べたりして、楽しんで走りました。」
「そうよ、この大会は、ベストタイムを競うのじゃないのよね。それでね、実はね、私の旦那がね、最近、おむつが必要になったのよ。日頃、旦那の世話をする毎日だけど、あちこちの大会には出かけるわ。今ね、介護が必要な人を、宿泊して一時預かりもしてくれるようになったのよ。大会のときは、そこに頼んで走りに来るのよ。私もね、介護だけじゃ、くたびれるものね、自分の楽しみもしなくちゃね。」
「それはいいことですね。介護も疲れるでしょう。それ、なくなりますね。」
「ええ、いい気分転換もしてね。明日は、また、介護の現実に戻るけれど、また、次の大会を目指しながら頑張れるのよ。」

 暑い中ではあったが、こんないいお話しも聞けて、疲れはどこかに飛んで行った。

 なお、大会は、2021年で18回を迎えているが、コロナ禍にあるため、延期となっている。


7-5 孝子の里 養老ハーフマラソン大会


     ~ 人が織りなす輝くまち養老で、さわやかラン ~
              平成16(2004年)年11月21日 岐阜県養老町

 岐阜県の養老町は、町制施行50周年を迎えるにあたり、その記念事業として養老ハーフマラソン大会を開催した。

図10

<種目>、
   ハーフ  10㎞  2㎞

 参加総数970名のうち、ハーフには400名が参加した。
 ゲストランナーは松野明美選手、デビュー戦の実業団駅伝で、1区間で12人抜きを達成、1988年、10,000mでソウル五輪出場、同年日本選手権優勝。その後マラソンに転向。1995年、現役を引退。マラソンでは、2時間27分02秒のベスト記録を持つ。

図11

 スタートゴールは、養老町スマイルグラウンドとなっている。開会式では、稲葉貞二町長が挨拶された。
 「昭和29年、1町、9村が合併して誕生した養老町、本年は町制50周年を迎え、この11月3日には記念式典を挙行したところです。今日走られるランナーの皆さんから本町に活力と刺激をいただき、更なる活性化を図ってまいりたい。」

 挨拶が終ると、上空を旋回していたヘリコプターが一気に高度を下げ、開会式場上を低空飛行しながら、お祝いの花束を投下した。その花束が町長に贈呈され、会場が一気に盛り上がった。

図15

 いよいよスタートだ。
この大会では、私達はハーフを走った。気温は10℃、穏やかな天気で絶好の走り日和だ。高田中学校、国際学習会館前を通り、コースは養老山脈に平行するように走る。一面が区画整理された田園風景が続く。
 50周年記念大会ということもあってのことか、スタート時の祝砲で町民の多くの方々が家を出て小旗を振って応援してくれた。

図12

 1㎞毎に距離数が表示され、その場所には町関係者が立ってくれた。
 近鉄養老線を横切り、広域農道に出て、そこをひたすら走る。左右が広々とした田圃、その向こうに養老山脈が続いて見える。国道258号線に平行するコースの復路、再び東部中学校前を通り、養老線を横切ってゴールとなった。

図13

  ちなみに、記録は、
     私   1時間57分05秒(ハーフ)   妻   2時間12分05秒(ハーフ)
  だった。

 ところで、ここは養老町は、「養老の滝」で知られている。滝となる川は、木曽川水系に属し、落差32m、幅4m、養老公園内にある観光スポットだ。
 日本の滝百選にも入っており、名水百選にも選定されている。
 滝の水がお酒になったという、親孝行の話、「養老孝子伝説」は広く知られている。

図14

 なお、本大会は、名称が変わり、2021年には、 高橋尚子杯ぎふ清流ハーフマラソン10回大会として案内されている。


次回は、「僕のランラン人生8 関西地方」の大会についてです。













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