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僕のランラン人生10 海外

図1

               <ニュウカレドニア ホノルル 済州島>

10-1  ニューカレドニアマラソン大会(第7回)

                   2012年7月29日
                      ニューカレドニア ヌメア 

 ニューカレドニアは、オーストラリアの東側にある島で、ニューカレドニア島とロイヤルティ諸島からなるフランスの海外領土だ。

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 南太平洋に浮かぶニューカレドニアは、コバルトブルーに輝くとても美しい島だ。
「天国に一番近い島」と言われているリゾート地で、亜熱帯気候で、年中暖かい地域だ。
 ニューカレドニアでは、6月から8月が冬で、12月から3月が夏となる。南半球に位置しているので、日本とは季節が真逆。
 冬でも、平均気温は20℃~23℃、夏は27℃程度、夏も冬も気温が高いのが特徴だ。冬でも海に入れそうな気温となっている。
 
 私達は、26回ニューカレドニアマラソン大会に参加した。 ヌメア市南端のビーチサイドコースを走る。

 日本からニューカレドニアの首都、ヌメアへは、成田国際空港、関西国際空港から直行便の飛行機が就航している。 飛行時間は約8時間半。 成田からは週5便(火、水、金、土、日)、夏休み期間は月、木も運航する。 関空からは週2便(月、木)の運行となっている。
 
 私達は、午後の便の出発だ。
   成田空港 12:25発
   ニューカレドニア
      ヌーメア=ラ・トントゥータ国際空港  23:00着
                    所要時間  8時間 35分

 バスで移動して、ホテルには、深夜の到着となった。時差は+2時間。
到着当日は、仮眠もして、時差調整日となる。
 翌朝は現地で軽めの朝のジョギングをして、朝食となった。空も海も砂浜も、透き通るようにきれいで癒される。
 お昼は、スタート、ゴール地点となる競馬場で、大会主催のウェルカムパーティー。フランス領のニューカレドニア、時間の流れもフランスタイムというのがあるようだ。だいぶゆっくりと始まった。
 
 種  目  フルマラソン ハーフマラソン 10km
 スタート  2012年7月29日(日)
       フルマラソン ハーフマラソン 午前7時00分
        10km             午前7時15分
 コース     無し 
 参加資格  フル20歳以上、ハーフ18歳以上 10km 16歳以上

 大会には、洞爺湖マラソン、山中湖ロードレースのハーフマラソン、立川ハーフ等で優勝した選手が招待されている。
 
 私達のエントリーしたハーフマラソンは、700名程が走る。7時スタートだ。
 一斉に走り出した。

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 参加人数は、10kmを含めても約1,000名程度。参加者はあまり多くないので、混雑はない。
 基本的には、図のようなシーサイドコース、ずっと海を見ながら走る。
 沿道には応援する人は、さほど多くない。

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 夜明け前までの雨とレース中のスコールで、地面が濡れている。気温は20℃ほどあるが、海沿いのコースは海風があり、体感温度は若干低い。
 エイドステーションでは、レーズンやフルーツなどが振舞われていた。
ドリンクは水とゲータレード、炭酸飲料等が準備されていた。
 しばらく走っていると、フルマラソンのトップランナーが折り返してきた。フルは往復コースなので、トップランナーが私達を追い越して行く。
「ALLEZ(アレ)!」
という声が聞こえてきた。これは、ニューカレドニアの公用語となるフランス語、「頑張れ」の意味だそうだ。

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 13km付近のロータリーを過ぎると、ハーフマラソンの折返し地点となる。フルマラソンの折返しはその先となっている。
 実は、私はそこで、ミスをしてしまったのだった。ハーフの折り返し地点を通り越して、フルマラソンコースに入ってしまった。しばらくして、そのことに気づき、戻ることになった。
 このハプニングには、私はくじけてしまったが、気を取り戻してあらためてゴールを目指した。
  妻も順調に走り、完走した。目出度くも、60歳以上の女性の部で準優勝などという賞を頂くことになった。

  ちなみに、記録は、
           妻 2時間19分8秒     私 2時間 30分10秒
  でした。

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 レース翌日はヌメア市内観光を楽しんだ。世界遺産の海域、エメラルドグリーンの海。
 ココティエ広場は、ヌメア市街地の中央にある広場で、観光客はもちろん地元の人もひと休みしている憩いの場だ。周囲にはレストランやカフェ、市場等もたくさんある。また、日本語のパンフレットが置いてある観光案内所も近くにあった。
 ヌメアの街を一望できるエフオーエルの丘など、アメディ灯台等、どこを見ても美しかった。

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10-2 ホノルルマラソン

                    2011年12月
                      米国 ハワイ州 ホノルル市

 市民ランナーとして、一度は走ってみたいと思う憧れのマラソン大会。
 ホノルル到着は、大会の2日前、12月9日、現地時間で午前6時45分。ハワイと日本の時差は19時間、日付変更線をまたぐようになるので、日本の方が時間が進んでいることになる。その日は、この時差調整もする日となった。

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 翌日の早朝には、ツアーの皆さんとジョギングをして、快適な朝を迎えた。団体で来ているので、経験者がいろいろと教えてくれる。安心したり、心配したり、いろいろだ。
 午前中、ツーリストのバスで、コースの下見をした。すごい距離を走ることになる、と実感した。何せ、私も妻も、これが初めてのフルマラソンだ。この大会に来るまでには、せめて、ハーフを2、3回、30㎞もゆっくり走ってから臨むべきところだ。
 ところが、素人でも、初めての人も楽しめる、というキャッチフレーズのもと、軽い気持でエントリーしたものだ。しかし、42.195㎞というのは、ハーフの倍の距離、あまりにも長い距離だと実感した。
 妻は、還暦を迎えた記念に走ってみたかったようだ。私達は、フルマラソンとは、どのようなものかも知らずに走り出したのだ。

<種目>
     フルマラソン   42.195km(26マイル385ヤード)
      10㎞ラン      10kmウォーク
<開催日時>
      2011年12月11日(日)
      スタート時間    午前5時
      スタート地点    アラモアナ公園
      フィニッシュ地点  カピオラニ公園
<参加者数> 
     フルマラソン 23,844人(日本人 11,381人)
     10㎞ラン&ウォーク 6,707人(日本人 3,501人)
     カラカウア メリーマイル 2,061人(日本人 1,473人)
<制限時間>  なし

図9

 当日、ツーリストが準備したバスは、午前2時半、ホテル前乗車、となっていた。
 走る準備をすべて整え、夜8時、就寝する。しかし、ベットに入ったが、明日のことを考えたり、盛り上がる外の若者達の声などで、寝付けず、すぐに1時半になってしまった。

 午前3時頃には、参加者がスタートエリアに集まり、雰囲気はお祭り気分となっていた。この時間は、気温もまだ低い。配布されているビニールカッパをすっぽりかけて、体が冷えないようにした。
 マラソン大会前のトイレが混むのは万国共通。ホノルルマラソンと言えども、やはり、マラソンスタート前のトイレは混んでいた。宿泊しているホテルで、絞り出してきたが、やはり並ぶことにした。
 何やかやしているうちに、あっという間にスタートの時間が近づいてきた。ツアーの仲間達と共に入念な準備運動もした。
 午前4時50分、アメリカ合衆国の国歌が聞こえてきた。アメリカ人ランナー達の合唱が公園いっぱいに響いた。

図4

 コースは、図のように、アラモアナ公園をスタートし、ワイキキビーチ、ダイヤモンドヘッド、そしてカピオラニ公園にゴールする、というものだ。
 日の出前にスタートして、コース上で太平洋から昇る朝日を眺め、また、ダイヤモンドヘッドの麓を走る。

 大きな花火が数発上がり、いよいよスタ-トだ。
 号砲と同時に、2万人以上のランナーが一斉に動き出した。ぎっしりと人ばかり、大混雑が続いた。間もなく、連続して花火が上がり、まだまだ暗い夜空を照らした。ランナー達の歓声も上がり、テンションは最高潮だ。

 周りのランナ-と一緒に花火を見上げながらゆっくり走り出した。
「あわてず、ゆっくり、行ける所まで行こう。」
まずは、リゾ-トのハワイ通りを走行。クリスマスが近いので、華やかなイルミネ-ションもあるが、まだ夜明け前で暗い。
 走り出して約4㎞、ホノルル市庁舎とイオラニ宮殿には、ライトアップされたサンタクロースファミリーの像や、数々のイルミネーションが飾り付けられていた。
 5時にスタートしたレース。12月のハワイの日の出は、7時少し前なので、夜が明けるまでの1時間以上は、夜を走っている感じだ。トップ集団のランナー達は、夜明けたかと思ううちにゴールしてしまう。
30㎞を過ぎた頃、疲労感も大きくなってきた。初フルマラソンの私にとっては、未知の世界に端ってきた。
 トイレにもゆきたくなってきた。コース途中のトイレは、列を作っていた。順番待ち20分くらいはあるようだ。待つしかない。
 そして、また、走り出した。しかし、20分も立ち止まると、走る気力のようなものが途切れてしまった感じにもなった。

 35㎞を過ぎた頃、私の足の蹴りが思うようにならなくなってきた。所々に救護所があり、サポーターの役員達がついていた。そこで、クールズスプレーを借りて、足を冷やしながら、しばらく走り出したが、ほぼ歩いていた。

図5

 そうこうしているうちに、雨も落ちてきた。どうやら一時的なスコールだ。そこで、私は、少々雨宿りもして、また走り出した。
 歩いては走り、また歩き、そして走り、ゴールにたどり着けるか不安になったきた。
 特にフィニッシュゴールが見えてから、そこに辿り着くまでは、時間が止まったように長く長く感じた。しかし、何とかかんとかゴールインした。

 ゴールのカピオラニ公園では、しばし放心状態となり、体を大の字にして、天を仰いだ。これがフルマラソンだった。
 ブースに移動をして、完走記念Tシャツ、メダルを受け取った。

 30kmを過ぎた頃の疲労困ぱいは、ハーフマラソンでは味わえない辛さだった。どんなに前半を抑えていても、この苦しみは必ず訪れるようだ。
 2時間代でゴールするトップ集団のランナー達は、日頃の練習でそれを克服している。だから、走り続けることが出来るのだろうと思った。
 今振り返ってみると、その苦しみがあるからこそ、フルマラソンに挑戦するのだろう、とも思った。
 このホノルルマラソンは、制限時間なしだから、走ったり、歩いたりしても、ゴールにたどり着けば、完走したと言う。

 アップダウンがあったとすると、ダイヤモンドヘッド周辺付近に、少しあったように思う。私の足は痛んだが、コースはそれほど極端な高低差はないと言ってよいと思う。
 そのこともあって、日本人には人気の大会となっているのだと思う。毎年、1万人を超える日本人ランナーが走っている。

 妻も、無事にゴールインして満足した様子だった。その夜は、ツアーで企画して頂いた完走パーティに参加した。共に走った仲間達達と42.195㎞の時間のあれこれを語り合い、交流を深めた。
 
 大会翌日のホノルル市内は、頂いた参加賞のTシャツを着て、市内を楽しげに歩き回っているランナー達の姿が印象的だった。中には、足を引きずるようにして歩いている人もいたが、みんな生き生きとしていて、心からマラソンの余韻を味わっているかのようだった。
 私達は、世界遺産にも指定されているハワイ火山国立公園、キラウエア火山観光等も楽しんでから、その翌日帰路についた。

図6

 しかし、「JALホノルルマラソン」ツアー、2020年大会は、コロナ禍にあったため、開催は中止となった。2021年も、49回大会を迎えることになっていたが、ツアーは中止となった。


10-3 済州国際マラソン大会(Jeju Marathon Festival)

                  2012年 5月17日 
                    大韓民国(韓国) 済州島 

 韓国最南端にある済州島は、別称”東洋のハワイ”とも言われており、世界自然遺産ともなっている島だ。 
 成田からは、2時間程で済州国際空港に到着する。

図15

 年間を通して温暖な気候で、島全体がトロピカルムードに溢れ、国内外から多くの観光客が訪れている。
 火山島独特の美しい海岸線と、エメラルド色の海水浴場が点在する。
 本大会は、全区間、高低さの少ない折り返しコースを走る。

 今回の旅の目的は、済州国際マラソン大会に参加することだ。空港カウンターで、ゼッケン等をもらうことになっている。
 当日の朝は、シャトルバスが会場まで連れて行ってくれる。バスは約40分で、会場に到着した。

大会の種目等は次のようだ。

図10

 参加人数は約700人 、小規模大会なので、トイレは、並ばずに済んだ。
応援してくれるボランティアは、日本の大会に比べて少ない。

図11

図のような海岸線の折り返しコースとなっている。
給水所は、2.5㎞毎にあり、距離表示は1㎞毎にある。
私達は10㎞の部を走った。

 ちなみに、記録は、
   妻 1時間 2分00秒       私 1時間4分00秒
 だった。

 翌日は、済州島の1日観光を楽しんだ。

 <城山日出峰 ソンサンイルチュルボン>

図12

 済州島東側にそびえる巨大な王冠のような形をした火山。海底噴火によって生まれた山で、標高は182mある。山頂からはの眺めは絶景だ。
済州島に約360個あるオルムの一つだ。ユネスコの世界自然遺産に登録されている。周囲は絶壁だが、西北側はなだらかな斜面となっており、トレッキングすることが可能。頂上まで徒歩で約30分。
 北側には牛島、西側には城山里の絶景が望める。

<トルハルバン>

図13

 トルハルバンは、島の守護神。済州島のシンボルの一つになっている。トルハルバンは済州島の方言で、「石のおじいさん」を意味するとのこと。
主に城門や、村の入り口などに置かれている。呪術や宗教のために使われたとされ、どことなくイースター島のモアイにも似ている。

 その他、観光や韓国料理も楽しんだ。九州のすぐ近くなのだが、文化は日本とは、やはり異質であり、興味は絶えなかった。

 なお、2020年、2021年は、新型コロナウィルス感染拡大によるため開催中止となっている。


「僕のランラン人生」、以上で終了です。

次回の公開は、準備中です。しばらくお待ち下さい。



 

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