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古賀史健

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古賀史健の note、2018年以降のぜんぶです。それ以前のものは、まとめ損ねました。
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2022年4月の記事一覧

4つの数字の物語。

4つの数字の物語。

暗証番号を考えるのは面倒くさい。

いまは Webブラウザが暗証番号を記憶してくれたり、セキュリティ的に安心な暗証番号を提案してくれたりするから、ずいぶんラクになった。それでもマイナンバーカードや印鑑証明カードなどには暗証番号の設定が必要だし、スマートフォンのロック画面を解除するにもやはり、暗証番号の設定と入力が必要とされている。いや、もちろん顔認証や指紋認証もあるにはあるのだけれども。

暗証番

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マルチタスクが苦手なワケ。

マルチタスクが苦手なワケ。

大型連休が近づいてきている。

カレンダーを眺めながら、今年は思いきって10連休を取っちゃおうかな、なんて先月までは考えていた。それがだんだんと「ま、カレンダーどおりに働こうかな」になり、ついに先ほど「憲法記念日にアレをやって、みどりの日は……」などと算盤をはじいている自分を発見した。なけなしの貯金を切り崩すかのごとく、さほど多くもない祝日を切り崩しているのである。

そんな事態に追いやられた理由

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ファストフード店の価値とは。

ファストフード店の価値とは。

なるべく近づかないようにしているお店がある。

高級ブランドの紳士服店だ。若いころはたとえ冷やかし半分でも、そういうお店には入れなかった。お金がないのはもちろんのこと、明らかにそこは自分のいるべき場所ではない気がしたからだ。しかし年齢を重ねるにしたがって、自分もそういうお店のそういう服を着るべきではないかと思わされる機会が増えていく。冠婚葬祭だの、記念パーティーだの受賞パーティーだのにお呼ばれする

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習慣化について考える。

習慣化について考える。

散歩から帰るとうちの犬は、水をばちゃばちゃと飲む。

歩き疲れて喉が渇いているのもあるだろうけれど、それ以上に「家に帰り着いたこと」を確認するルーティーンであるかのようにばちゃばちゃと、新鮮な水を飲む。飲むとすぐさまごはんをほしがり、それがしばらくもらえないと気づいてようやく、床やソファに横たわって惰眠に突入する。

2020年以降、ぼくにも似たルーティーンが加わった。帰宅直後の念入りな手洗いであ

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なんにも考えてなかったわけがない。

なんにも考えてなかったわけがない。

20歳のころの自分は、どんなことを考えていたんだろう。

なにも考えていなかったような気もするし、やたらと大それたことばかりを考えていた気もする。映画監督になりたいと思っていた。いや、なりたいというよりも「なるんだろう」と思っていた。おかげで、「なったあと」のことばかり考えていた。あるいは小説家もいいかもな、と思っていた。もしも自分が書くのなら史上最年少で芥川賞を獲るべきだと思っていた。そして当時

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パターン化できないおもしろさ。

パターン化できないおもしろさ。

次の本の原稿を、書きはじめた。

ああ、またこの生活がはじまるんだな、と思う。特に来月は本以外の大事な仕事もいくつか入っていて、それぞれ真面目にやるつもりだ。あるいは次の次の本(これは長丁場を覚悟している企画)の準備も、同時進行で進めていく。そして当然ここの note だって、毎日書く。週末には休みを取るし、犬ともあそぶ。それでもひとつの本が動き出してしまうともう、生活の中心は「この原稿」になる。

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そうありたいと願う気持ち。

そうありたいと願う気持ち。

ぼくは猫背である。

何年か前に姿勢改善のクリニックに通っていたほど、そして挫折したほど、猫背である。姿勢のきれいな人を見ると、それだけであこがれる。かっこいいなあ、と思う。どうして自分は猫背なんだろうと思うより先に、どうしてこの人は姿勢がきれいなんだろうと思う。生まれつきなのか、なにか秘訣があるのか。あるとき、とりわけ姿勢がきれいだと思う人に聞いてみた。○○さんはとても姿勢がきれいですが、それは

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大は小を兼ねない(かもしれない)。

大は小を兼ねない(かもしれない)。

忘れないうちにメモしておこう。

書評のお仕事をひとつ、抱えている。もともと読んでいて好きな本だったこと、そして依頼先が自分には意外な媒体だったこともあり、8秒ほど考えたあと、引き受けることにした。紙幅は原稿用紙3枚。1200文字である。

以前「小説現代」で連載していた書評の紙幅は、1000文字弱だった。スムーズに書けたことは一度もない。毎回悪戦苦闘しながら「あと200文字、いやあと100文字で

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相馬市の現在について。

相馬市の現在について。

相馬に住む方から、DMをもらった。

なかば古い友だちのような感覚でいるものの、その方と実際にお会いしたのは2回だけだ。おしゃべりした時間だって、トータルで10分間程度のものだと思う。はじめて会ったのは2017年の「相馬で気仙沼さんま寄席」。2度目に会ったのは翌2018年の「車で気仙沼まで行く」。いずれもほぼ日さんの企画によるものだ。

写真とテキストが残っていることはありがたい。相馬に住む方とは

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目標設定の大切さ。

目標設定の大切さ。

かつて「自己啓発雑誌」としか名づけようのない雑誌があった。

1980年に創刊されたというその雑誌の存在を知ったのは、たぶん高校生のころだ。読んだことはない。けれども新聞広告や電車の中吊り広告でしばしば見かけるようになり、また当時読んでいたサブカル系の雑誌等で「○○○○じゃあるまいし」みたいな悪口として、耳にするようになった。たしかに新聞広告で見かけるそれは、ひどくカッコ悪いものだった。見ているだ

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書くのが面倒くさい、のではない。

書くのが面倒くさい、のではない。

まわりからヒマそうに映る人ほどじつは、忙しくしているものだ。

いくつかの「わかりやすく忙しい」仕事から解放されたぼくも現在、「わかりにくく忙しい」状態に置かれている。こう見えて忙しいんですよ、と言いたくなる気持ちがある一方、ヒマそうに映っていること自体はいいことだよな、とも思う。あんまり忙しいオーラを出し続けていては、かかる声もかからないのだ。あそびも仕事も。

で、そういう忙しい時期に身を置い

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もうすぐ夏がやってくる。

もうすぐ夏がやってくる。

みんな言ってるけど、おれも言おう。

もはや、夏だ。この気温と日射しはもう、じゅうぶんに夏だ。まだまだ4月の中旬だというのに、完全なる夏だ。スプリングコートはおろか、ふつうの長袖シャツでさえ暑く、Tシャツ一枚でなんの問題もない。4月って毎年、こんな感じだったっけ?

カメラロールをさかのぼって去年のいまごろに撮られた写真を見てみると、ぼくはやや厚手のパーカを着ている。

そして翌週になると、もう半

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人生を変えるとはどういうことか。

人生を変えるとはどういうことか。

人生が変わるとは、どういうことだろうか。

Amazonで「人生が変わる」をキーワード検索すると、じつに1000冊以上の本が表示される。みんな人生を変えたいのだろうし、1000冊以上の本が必要なほど、容易には変わってくれないのだろう。

こういうとき、ぼくは英語に置き換えて考えるようにしている。英語で人生とは「life」である。そして英語の life には「生活」の意味がある。さらにこの場合の生活

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お客さんとしてのぼくがほしいもの。

お客さんとしてのぼくがほしいもの。

別のなにかを考える。

毎日書くことの効用はいろいろあるだろうけれど、自分の場合は案外、このひと言に集約される気がする。いわゆるところのマルチタスクが苦手な男なので、いつも自分のあたまの7〜8割を占めるのは「次の本」のことだ。こんな本にしよう、あの話も入れよう、あのへんをもっと調べよう、このへんをもう少し掘り下げよう。だいたいいつも、そんなことを考えている。

けれどもその中身をここに書くわけにも

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