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ファストフード店の価値とは。

なるべく近づかないようにしているお店がある。

高級ブランドの紳士服店だ。若いころはたとえ冷やかし半分でも、そういうお店には入れなかった。お金がないのはもちろんのこと、明らかにそこは自分のいるべき場所ではない気がしたからだ。しかし年齢を重ねるにしたがって、自分もそういうお店のそういう服を着るべきではないかと思わされる機会が増えていく。冠婚葬祭だの、記念パーティーだの受賞パーティーだのにお呼ばれする年齢に差しかかるからだ。そしてまた、40代も後半に差しかかりながら大学時代と同じ格好でふらふらしているのは、けっこう間抜けだ。そろそろ年齢や立場に見合った「紳士」の服を、自分も持っておくべきだと思えてくる。

しかし、いま現在の自分が持っているのは大学生に毛が生えたような服ばかりだ。それだからまあ、仕方がない。そういう格好で高級ブランドのお店に出掛けると、店員さんの態度が明らかに冷たい。「冷やかしだったら帰ってくれ」と、その顔に書いてある。被害妄想かもしれないが、自分にはそう感じられるし、ひどく居心地が悪い。

困ったことにこういうときのぼくは、逆ギレする。

つまり、「おれも客であること」を証明しようと、さほど欲しくもない高級紳士服を無理やりに買おうとする。しかも、ただでさえ居心地が悪いのだからロクに試着もせずに買う。似合いもしないし欲しくもない服を、感情にまかせて買ってしまう。

結果、そのようにして購入した高級ブランドの似合わない服が、わが家には何着も眠っている。「ああいうお店には行くもんじゃない」。クローゼットにぶら下がる服を見るたび、こころからそう思う。


ぼくは、この年齢の人間にしてはファストフードを多く利用するほうだと思う。そしてファストフードやファストファッションが持つ価値を、おおいに評価する人間だ。

ファストフードやファストファッションが持ついちばんの価値は、「安さ」ではない。価格よりなにより、ああいうお店は「お金持ちを特別扱いしないこと」に、最大の価値がある。どんな高級スーツに身を包み、ギラギラの腕時計や指輪を身につけた大富豪であっても、ファストフード店で受ける扱いは男子中学生と変わらない。画一的だと批判されがちな接客マニュアルは、「誰のことも軽んじず、誰のことも特別扱いしない」という意味において、じつは社会的弱者の心強い味方なのだ。厳格な(そして無味乾燥な)接客マニュアルを持たないお店では、たとえ居酒屋であっても「誰のことも軽んじず、誰のことも特別扱いしない」を守ることがむずかしい。

ファストフード店とは、内閣総理大臣と男子中学生が平等に扱われる、貴重な空間なのだ。その平等を遵守できるお店は強いし、若者の居場所として、いつまでも残っていくんじゃないかと思う。