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習慣化について考える。

散歩から帰るとうちの犬は、水をばちゃばちゃと飲む。

歩き疲れて喉が渇いているのもあるだろうけれど、それ以上に「家に帰り着いたこと」を確認するルーティーンであるかのようにばちゃばちゃと、新鮮な水を飲む。飲むとすぐさまごはんをほしがり、それがしばらくもらえないと気づいてようやく、床やソファに横たわって惰眠に突入する。

2020年以降、ぼくにも似たルーティーンが加わった。帰宅直後の念入りな手洗いである。むかしからずっとやっていた気もするけれど、そうじゃない。ハンドソープを用いた念入りな手洗いを面倒に感じている時期が、2020年の初頭には確実にあった。つまりそれ以前は、洗ったり洗わなかったりで日々を過ごしていたのだろう。いまでは手洗いを面倒に感じることもないし、むしろ洗わなかったら気持ちが悪い。

これを一般には「習慣化」と呼び、ビジネス書や実用書の世界ではよくその効用が語られる。

『ドラゴン桜』1巻/三田紀房著より)

ただし、なにかを習慣化することはそれほど簡単な作業ではない。

たとえば、朝晩の歯みがきという習慣。ここには虫歯や口臭といったわかりやすい「それをやらなかった場合の不利益」がある。あるいは、帰宅直後の手洗いにだって、ウイルス感染という「それをやらなかった場合の不利益」がある。

一方、(ダイエットを目的とした)毎晩30分の筋トレ、という習慣はどうだろうか。ここにあるのは不利益というよりも「それをやった場合の利益」である。やらなかったとしても現状が維持されるだけで、わかりやすい不利益はない。現状を受け入れさえしてしまえば、むしろ「きつい」や「面倒くさい」といった不利益のほうが目立つだろう。つまりは、「なんにもしない」という習慣を継続していくだろう。


なんの話がしたかったかというと、こういうことだ。

人は調子が悪くなったり、苦境に立たされたりしてようやく、わが身を振り返る。なにがいけないんだろう、どこで間違ってしまったんだろう、これからなにができるんだろう、と考える。

しかし、ほんとうに大切なのは「調子がいいとき」の自分や自分たちを、日々振り返っておくことだと思うのだ。

仕事でも人間関係でも、調子がいいときの自分や自分たちはきっと、なにかの「いいこと」を続けている。無意識のうちにそれを実践している。もしもその「いいこと」に気づくことができたなら、それをしっかり習慣にしていこう。「それをやらなかった場合の不利益」を考えて、続けていこう。

ネガティブな発想に聞こえるかもしれないけれど、人は「いま以上の利益に向かって動く」よりも、「いま以上の不利益を避けて動く」ほうが自然というか、当たり前の心性じゃないかと思う。得をしたいというよりも、損をしたくない。上に行きたいというよりも、下に落ちたくない。

何事につけ「それをやらなかった場合の不利益」を自覚できれば、モチベーションも保ちやすいんじゃないかな。