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大は小を兼ねない(かもしれない)。

忘れないうちにメモしておこう。

書評のお仕事をひとつ、抱えている。もともと読んでいて好きな本だったこと、そして依頼先が自分には意外な媒体だったこともあり、8秒ほど考えたあと、引き受けることにした。紙幅は原稿用紙3枚。1200文字である。

以前「小説現代」で連載していた書評の紙幅は、1000文字弱だった。スムーズに書けたことは一度もない。毎回悪戦苦闘しながら「あと200文字、いやあと100文字でもいいから紙幅があれば」と嘆いていた。当時のことを思えば今回の依頼は楽勝である。

そもそも字数制限の厳しい媒体(雑誌や新聞)で「特別にあと200文字の紙幅を与えましょう」と言われることは、長旅の新幹線で自由席からグリーン車に移るくらいの快適さがある。手も足も伸ばし放題、書き放題だ。

しかしながら1200文字を与えられた今回もぼくは「あと200文字、いやあと100文字でもいいから紙幅があれば」と歯噛みしながら書くのだろう。自由とは「プラス何文字」の部分に宿るのであって、たとえば最初から1万字の紙幅を与えられたとて、書き手にとってはまったく足りないものなのだ。


かつて、音楽の再生メディアがレコードだった時代。LPレコードの推奨収録時間は片面20分程度とされていた。そのレコードをコピーするためのカセットテープが主に片面23分(両面46分)の仕様だったことからわかるように、「長くても片面23分」がLPレコードの決まりであり、ポピュラーミュージックにおける「アルバム」のサイズだった。

それがCDの時代になると、1枚につき74分までの録音が可能となる。当時は盛んに「ベートーベンの『交響曲第9番ニ短調作品125』を丸々収録できるサイズとして、この規格になった」と語られていた(のちに80分まで収録可能となる)。

それまでLPレコードの枠に縛られていたミュージシャンたちは、当然のように喜ぶ。50分、60分、70分のアルバムをつくる。ぼくら世代に馴染み深いところだと、ガンズ・アンド・ローゼズの『ユーズ・ユア・イリュージョン』なんてCD規格のギリギリをいく75分57秒と76分02秒の2枚組(発売はⅠとⅡに分けてバラ売り)だ。

ところが、聴く側にとってこれは、さすがに長すぎるのである。

レコード世代の人間だから特にそう思うのかもしれないけれど、やっぱり人はスピーカーの前に70分も80分も正座して聴けるものではない。20分程度でA面が終わり、塩ビ盤をひっくり返してからまた20分程度のB面を聴くくらいのサイズが、集中するにはちょうどいい。必ずしも大は小を兼ねないのである。


前作『取材・執筆・推敲』は少し、ガンズ・アンド・ローゼズの『ユーズ・ユア・イリュージョン』めいた全部入れてやる感が出すぎた本だったかもしれない。そういう本やアルバムも必要だし、機会があればまた書くけれど、次はもう少しLPレコードっぽいサイズの本をつくりたい。224ページから240ページくらいの、四六判の単行本。

……なんて考えているうちに、また書評のことを忘れそうになる。まあ、今年から来年にかけてはいろいろな原稿を書けそうで、ありがたいことだ。