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お客さんとしてのぼくがほしいもの。

別のなにかを考える。

毎日書くことの効用はいろいろあるだろうけれど、自分の場合は案外、このひと言に集約される気がする。いわゆるところのマルチタスクが苦手な男なので、いつも自分のあたまの7〜8割を占めるのは「次の本」のことだ。こんな本にしよう、あの話も入れよう、あのへんをもっと調べよう、このへんをもう少し掘り下げよう。だいたいいつも、そんなことを考えている。

けれどもその中身をここに書くわけにもいかず、結果としてここでは、別のなにかを考えた上でキーボードを叩かざるを得ない。そして別のなにかを考えるためには、一度あたまを空っぽにする必要があり、それは面倒といえば面倒なのだけれど、いい習慣になっているような気もする。


一昨日は、ボクシングの村田諒太選手とゲンナジー・ゴロフキン選手の世界王座統一戦がおこなわれた。戦前の予想をはるかに上回る好勝負で、歴史に残る名勝負と言ってもいいように、ぼくには思われた。村田選手の気持ちを勝手に推測するに、ほとんどひとつも悔いがない闘いだったのではないか。敗れたことは残念だけど、すべてをやりきったことへの満足のほうが大きいのではないか。

また昨日は、ロッテの佐々木朗希投手が完全試合をやってのけた。完全試合にしろノーヒット・ノーランにしろ、だいたい4〜5回くらいから観客はそれを意識しはじめる。そして勝ち負けを超えたところで、ひたすら「打たれないこと」を願う。けれど、昨日の佐々木朗希投手は、観ていて打たれる気がまったくしなかった。ほとんど奪三振数だけを気にしながら、最後まで観ていた。こんなふうに野球中継を観たのは、はじめてかもしれない。

そして本日の午前0時、藤本タツキ先生の最新作「さよなら絵梨」が公開された。全200ページの、ぶっとい読切だ。時計の針が0時をまわると同時にアクセスし、堪能した。iPhoneで3回読んで、でかいiPadで2回読んだ。きっと今晩もまた、読み返すだろう。


いま、「次の本」の参考資料として、けっこうな数の本に目を通している。けれども大半が、10分と読まずにそのページを閉じることになる。おもしろくないとか役に立たないとかいう以前に、本のなかから「真剣」が見えてこないからだ。真剣に、また丁寧に書かれていない本は、どうにも通読がむずかしい。

村田諒太選手しかり、佐々木朗希投手しかり、藤本タツキ先生しかり。

お客さんとしてのぼくは、そこにある「真剣」に触れたいのだ。