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パターン化できないおもしろさ。

次の本の原稿を、書きはじめた。

ああ、またこの生活がはじまるんだな、と思う。特に来月は本以外の大事な仕事もいくつか入っていて、それぞれ真面目にやるつもりだ。あるいは次の次の本(これは長丁場を覚悟している企画)の準備も、同時進行で進めていく。そして当然ここの note だって、毎日書く。週末には休みを取るし、犬ともあそぶ。それでもひとつの本が動き出してしまうともう、生活の中心は「この原稿」になる。風呂でもトイレでも、テレビを見たりマンガを読んだりしているときでも、中心には「この原稿」がある。書き上げるまで、中心からは動いてくれない。そういう生活がしばらく続くのだ。

「バトンズの学校」をやっていたとき、何人かの受講生さんから「本に特化した学校を開いてほしい」と言われた。本の書き方を教える学校、ということだ。ぼくは正直に、「それはむずかしいと思う」と答えた。

なぜか。

これまで100冊近くの本を書いていながらぼくは、いまでも毎回「はじめての書き方」で次回作を書こうとしているし、そうせざるを得ない。書き方の正解は、本ごとに違うからだ。それをパターン化するなんて到底できっこないし、したところでつまらない本にしかならない。

あるいは(たとえば社内で)本の構成や原稿のアドバイスを求められたときも、そう。「本というものは〜」なんて主語で語ることはなくって、「この本にとっての正解」を、ひとつひとつ考えるようにしている。

なーんてことを考えていると、やっぱりぼくにとっての「本」は特別なものなんだなー、と思う。決して多読家でも愛書家でもないけれど、本をつくること自体が好きなのだし、特別なのだ。


ということでこれから脱稿するまでのあいだ、ここでは「次の本」に関する話が増えていくと思います。まあ、書こうとせずとも漏れていくでしょう。