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2021年8月の記事一覧
獅子座に生まれた男とともに。
今月は、犬とぼくの誕生月だった。
星座でいうと、彼は獅子座の生まれで、ぼくは乙女座である。子どものころぼくは、この乙女座というおのれの生まれが、ほんとうにいやだった。恥ずかしかった。そしてこれが、仮に「女神座」とかのネーミングであれば、そこまで羞恥の海に溺れることはなかっただろう。問題は「おとめ」だ。おとめの音がどうもいやらしく、気恥ずかしかったのである。
ま、そんなことはともかく、この数年は
わたしの会社のウォーターサーバー。
水圧の弱いシャワーは、少しさみしい。
ホテルや銭湯などで、針金みたいな水圧のシャワーにあたると、ぼくは無闇に興奮してしまう。「うーひょひょひょひょ」と奇声を上げながら、頭部に水の針金を押しつける。一方で、宿泊先のシャワーがへなへなの水圧だった場合には、わかりやすくテンションが下がってしまう。それでなにが変わるわけではないのに、さみしい気持ちになってしまう。
おそらくその延長線上にある発想なのだ
彼らが解散しない理由。
先日、テレビを見ていたときのこと。
番組名やそれが語られたシチュエーションをすっ飛ばして書くと、ある方が松本人志さんに、「コンビなんてしょせん他人同士なんだから、解散するのが当たり前。ダウンタウンさんみたいに何十年も続いていることのほうが、もう奇跡みたいな話じゃないんですか?」という内容の質問をした。
これに対して松本さんは、自分が解散を考えない理由をこう説明された。
「優先順位の問題じゃな
ありがとうしか、出てこない。
若さってのは、そういうものだ。
高校生のころ、ローリング・ストーンズが苦手だった。より丁寧に言うと、ストーンズを愛好するおじさんたちが、積極的に嫌いだった。ストーンズのことを、セックス&ドラッグ&ロックンロール的な文脈で語るおじさんたちも、「ゴキゲンだぜ」的な文脈で語るおじさんたちも、みんなイヤだった。それゆえストーンズのことも、ビートルズやその他の60年代バンドほどには好きになれない時期がしば
福岡でうまいものと言えば。
ぼくは福岡県の出身である。
地元に住んでいたころ(もう30年近く前の話だ)は意識していなかったのだけれど、いまの福岡は「食べものがおいしいところ」として、その地位を揺るぎないものにしている。とんこつラーメンや辛子明太子に頼ることなく、たとえば「あごだし」は多くの食いしん坊に愛される食材になっているし、博多の水炊き、博多うどん(ごぼう天うどん・肉うどん・丸天うどん)、さらには博多の焼き鳥(豚バラと
インタビューで大切なこと。
インタビューについて考える。
このところ毎日、「バトンズの学校」受講生さんたちに書いてもらった、インタビュー原稿に目を通している。インタビューの音源を聴き、文字起こしを読み込み、そこからつくられた原稿と向き合っている。ライターをやっていて、自分以外の誰かがインタビューした音源を聴く機会はほとんどない。あったとしてもそれは、なんらかの事情でぼくが同席できなかった現場で、代わりに編集者さんがインタビ
残る言葉と残らない言葉。
あの人のことを思い出した。
以前、ある芸能人の方の、語り下ろし本をつくったときのこと。もう他界されたその方は、関西出身だった。都合4〜5回ほどインタビューしたと思うのだけど、3回目くらいのインタビューで彼は、「若いころの笑福亭仁鶴さんがどんだけおもろかったか」を猛然と語りはじめた。仁鶴さんが『ヤングおー!おー!』の司会をされていたころの話である。
「はぁ〜。いまで言うと○○○○(芸人名)さんみ
親父ギャグとスルースキル。
がまんにがまんを重ねてトイレに立つとき、思わず言ってしまう。
「尿意、どん」
もちろん、声に出すことはしない。あたまのなかで、あるいは口のなかで、静かにひとりごちるだけだ。これが親父ギャグであることは十分わかっているし、さほど気に入っているギャグでもない。ただ、ほとんど条件反射のように言ってしまうのだ。
先日、Netflixの番組を観ていたときのこと。アメリカにも「親父ギャグ」が存在すること
まぐれとフルスイング。
重版出来。
ほんとうにありがたい。どれだけ伝わるものかわからないけれど、感謝しかない。本日『嫌われる勇気』に重版がかかり、60刷になりました、との連絡をいただいた。この本の部数(国内で258万部)については、もう何年も前からぼくの理解と想像を超えたところにあり、正直まったくピンとこなくなっている。けれども、60刷という数字はなんだかとてもうれしい。今回分を含めてこれまで59回、「重版出来」ができ
フリーランスの落とし穴。
今年の2月2日に書いた日記である。
“相変わらず学校のことばかり考えている
考えれば考えるほど 自分の首をしめるプランが浮かんでくる”
字の汚さはともかくとして。
ここに書かれた「自分の首をしめるプラン」とは当然、「バトンズの学校」最大の目玉ともいえる「1000枚のフィードバック」である。受講生さんたちに毎回原稿を提出してもらい、そこにたっぷりの添削と総評を返していく。インタビュー原稿につい
得意じゃない、は「苦手」じゃない。
そういうこともあるのかもなあ、と思っていたら、あった。
今月末に都内で予定していた「バトンズの学校」(第3講)を、リモートでの開催に変更する運びとなった。もともと、東京都の定めるガイドラインを十分以上に満たす感染防止策を講じて開校してきたのだけれども、人の流れそのものを抑えましょう、というフェーズに入っているかぎり仕方がない。あまり得意ではないけれど、リモート講義に挑戦してみよう。
そういえば
馬鹿ばかしいほど、真剣に。
あれを思いついたのは、いつごろだっただろう。
たぶん黒澤明監督作品をいちばん熱心に観て、彼に関する本をたくさん読んでいた大学のころ、「あー、要するにこれはSFなんだな」と思ったことがある。黒澤さんは、民放の時代劇はもちろん、大河ドラマの時代劇にものすごく厳しかった。おもしろいとかおもしろくないとか以前に、時代考証がまったくなされておらず、甲冑の着方、紐の結び方などもめちゃくちゃなのだという。天下