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ザ・Tシャツの話。

そのTシャツは高いのか、安いのか。

大学生のころ、4000円を超えるTシャツを買うのに1時間近く迷ったことがある。かっこいいTシャツではあった。けれども、たかがTシャツ、たかが布きれ1枚にその金額を払うのは、いかにも不当なことのように思われた。考えてみれば4000円なんて、CDを2枚買えば吹き飛ぶ金額だ。そして当時のぼくは、バイト代のほとんどすべてをつぎ込んで毎月数十枚のCDを購入していた。決して4000円が問題だったわけではない。問題は「こんなものに4000円も払ってしまうおれは馬鹿ではないのか」の自意識だった。

周囲からは、いろんな声が聞こえてくる。

たとえば有名な「ジェームズ・ディーンは、HanesのパックTシャツを愛用していた」という話。なんというか、「ほんとうにカッコイイ男は、いちばんシンプルなものを選ぶものだ」的な、あるいは「ほんとうにカッコイイ男は、なにを着てもカッコイイんだ」的な、「だから何千円もするTシャツを買う前に、鏡でテメエの顔を見てみろ」的な教訓として、そのエピソードは語られていた。ぼくもそれを真に受け、HanesのパックTしか着ない時代は長かった。

さらに、ユニクロが機能性とファッション性を両立させた服を売り出すようになると、今度は逆張り的な知性のあらわれとして、「全身ユニクロであるわたし」を自慢する人も現れるようになった。何千円もする、ときに1万円を超えるようなTシャツを買うことは、愚の骨頂とあざ笑う人たちが出てきた。

たしかにTシャツは、布きれ1枚といえば布きれ1枚だ。スーツの上下でも1万円を切る商品が出回るデフレ社会、たかだかTシャツに同じ値段を払うのは馬鹿げた話に思えてくる。

しかし、だ。

夏の季節ぼくは、ほぼ毎日をTシャツ1枚で過ごしている。いや、もちろんズボンは穿くし、その下にはパンツも穿いているのだけど、上半身についてはTシャツ1枚で過ごしている。仕事のときも、休日も。

つまり夏のTシャツは、冬場におけるコートやセーターと同じ「勝負服」なのだ。これ1枚で勝負する、そのすべてなのだ。だったら布きれ1枚であろうとなかろうと、たとえばセーターと同じ値段であってもなんらおかしな話ではない。TシャツをTシャツと考えず、「季節の勝負服」と考えればいいのである。


なにを言っているかというと、最近「THE」さんの「THE OFF T-SHIRTS」が大変お気に入りで、何枚も買ってしまっているのだ。

大丈夫、これは夏の勝負服だ、夏の一張羅だ、と自分に言い聞かせながら。