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ありがとうしか、出てこない。

若さってのは、そういうものだ。

高校生のころ、ローリング・ストーンズが苦手だった。より丁寧に言うと、ストーンズを愛好するおじさんたちが、積極的に嫌いだった。ストーンズのことを、セックス&ドラッグ&ロックンロール的な文脈で語るおじさんたちも、「ゴキゲンだぜ」的な文脈で語るおじさんたちも、みんなイヤだった。それゆえストーンズのことも、ビートルズやその他の60年代バンドほどには好きになれない時期がしばらく続いた。あのころ抱いていた「ストーンズ好きおじさん」への嫌悪感をしっかり憶えているので、自分よりも若いひとに向けてストーンズを語ることは極力避けてきたつもりだった。今日は、イヤなおじさんに映ることを引き受けた上で書く。


昨夜、就寝しようとベッドに潜り込んだ時間帯、チャーリー・ワッツの訃報が届いた。

おおきな手術を受けたことは聞いていたし、9月から予定されていたツアーも彼は不参加で、スティーブ・ジョーダンが代役を務めるとアナウンスされていた。60年代から一緒に生きてきた、それこそぼくが高校生のころに嫌いだった「ストーンズ好きおじさん」たちのほうが、受けているショックはぜんぜんおおきいだろう。

でもなあ。ストーンズが解散することなく、ぼくのような世代の人間にまで最高のライブを何度も何度も観せてくれた背後には、間違いなく彼の存在があるというか、彼がいなかったらとっくに解散していたはずなんだよなあ。そして彼らが70年代とかに解散してたら、ぼくはきっと毛嫌いしたまま大人になっていたと思う。いくつかあるんですよ、ぼくにもそういう「伝説的」なバンドって。

と、そんなことを考えていたら、もう「ありがとうございました」のことばしか出てこないように思われた。

チャーリー・ワッツという人は、ほんとうに個性的なドラマーで、そのユニーク(唯一無二)さは、ほとんどキース・リチャーズと肩を並べるものだとぼくは思っている。この曲なんかは本来のスタイルと違うはずなのに、とっても「チャーリー!」だ。


で、そういえばおれ、『20歳の自分に受けさせたい文章講義』のなかで、延々とチャーリー・ワッツの話を書いてたんだよな。もう立派な「ストーンズ好き」おじさんだ。

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ほんとうに「ありがとうございました。あなたのおかげでたくさんの経験ができました」くらいしか言うことができない。