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古賀史健

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古賀史健の note、2018年以降のぜんぶです。それ以前のものは、まとめ損ねました。
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2020年8月の記事一覧

20歳の自分に受けさせたい文章講義。

20歳の自分に受けさせたい文章講義。

ついに、ようやく、念願の、電子版ができあがった。

ぼくの単著デビュー作でもある、星海社新書の『20歳の自分に受けさせたい文章講義』だ。スマホや iPad のなかでこれを読めることが、いま単純にうれしい。

いまからちょうど10年前、2010年に設立された星海社はこれまで、電子書籍を持たずにやってきた。紙媒体へのこだわりとか、インクへの偏愛とか、そういう懐古的な理由からではなく——ぼくの理解すると

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ちゃんと休もうね、みんな。

ちゃんと休もうね、みんな。

休みについて考える。

文藝春秋digital で、アナウンサーの有働由美子さんと赤江珠緒さんの対談が掲載されていた。対談のメインテーマは新型コロナウイルス。ご存知のとおり赤江珠緒さんはこの4月、新型コロナウイルスに感染してしばらく仕事をお休みになっていた。

有料会員に限定して公開された記事なので詳細は書けないけれども、ひとつ印象的だったことがある。赤江さんは、PCR 検査の結果「陽性」だと診断

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コンビニにあるもんで。

コンビニにあるもんで。

いよいよもって、書くことが浮かばない。

なので本日は「Reizoko ni ALMONDE」ならぬ「Konbini ni ALMONDE」の話を書いてお茶を濁したい。会社でもできる、コンビニごはんの組み合わせである。

ぼくは福岡県の出身である。学生時代には、しゃぶしゃぶ屋さんでアルバイトをしていた。福岡の鍋というと、もつ鍋や水炊きを思い浮かべる人が多いだろうけれど、じつはしゃぶしゃぶもおいしい

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振り返るための、きょうの日。

振り返るための、きょうの日。

今月末を、いちおうの締切にしている。

いまつくっている本の原稿、その推敲まで終えた第一稿の締切を、今月末に設定している。できあがった原稿を編集者(カッキー)に送り、それを一週間かけて熟読・精読してもらい、その後のことを打ち合わせる予定でいま、スケジュールを組んでいる。正直なところ月末まで、この note を更新する時間も惜しいくらいに追い込まれている。

そんなタイミングの先週末、鹿島アントラー

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あの人たちの最高傑作。

あの人たちの最高傑作。

違うことを考える練習。

最近まったくそれができていないのだけれど、仕事の合間に毎日ここを更新するのは「違うことを考える練習」なのだと思う。とくにいまみたいに忙しい時期、帰宅して犬を撫でているときはともかく、会社でパソコンに向かっているとどうしても仕事のことしか考えられなくなる。しかもぼくには原稿に集中すると息を止めてしまう癖があり、必要以上にへとへとになってしまう傾向がある。って、これもだめ。せ

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あせらず、急がず、けれども速く。

あせらず、急がず、けれども速く。

会社の決算がおわった。

はやいもので、もう6期目の決算である。いまだから白状すると、会社をつくってから半年〜1年くらいは、通帳残高を見るたびに「こりゃあ、相当やべえぞ」と思っていた。鬼神のごとく働かなければ、と焦っていた。焦りの半分は、無知である。あのころのぼくは、この規模の会社を1年回していくのにどれくらいのお金が必要なのか、まったく見当がついていなかった。いまそれがわかっているかと言われれば

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来年のおれと誰か。

来年のおれと誰か。

あんまりよろしくない傾向だ。

なにかを書こうとすれば、ついつい仕事の話になってしまう。ほかに考えていることだってあるだろうに、文字にしようとすると仕事のことしか浮かばない。集中できているというよりも、あたまがカチカチに固まっている状態に近い。本づくりの最終局面ではいつもこんな感じになるとはいえ、今回はかなり重傷である。

この本——『ライターの教科書』的なもの——を書き終えたあと、そしてこの本が

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天才について考える。

天才について考える。

天才は、やっかいなものだ。

さまざまな分野で活躍する天才たちについて、かつてのぼくは仰ぎ見ることしかできなかった。尊敬したり、見倣ったりするなんて、とんでもない。富士山やナイアガラの滝を見るように、ただただ「すげえなあ」とあきれ果てるだけだった。理解しようともしなかったし、できるとも思えなかった。

しかし、辞書を引くのは大切だなあ。あることばとの出会いで、その考えを改める。広辞苑の第七版、「イ

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牛丼の雑談。

牛丼の雑談。

弊社バトンズでは、雑談が絶えない。

仕事がらみの雑談をすることもあれば、昼ごはんについての雑談もあるし、ツイッターで流れてきたニュースをきっかけに雑談することもある。黙々と書くばかりになりがちなライター業、そのこころの健康を保つうえで、雑談相手がいることをとてもありがたく思っている。

きょうの雑談テーマは「牛丼」だった。

吉野家の牛丼は、おいしい。ワンコインでお釣りがくる値段でありながら、十

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暑い気温と分厚い原稿、熱い思い出。

暑い気温と分厚い原稿、熱い思い出。

きょう、浜松市の気温が41.1度にまで達したのだそうだ。

気象庁をはじめとする天気の専門家たちからは「災害レベルの猛暑」や「命に関わる危険な暑さ」などの声が聞こえてくる。たしかに41度なんて、普通にお風呂だ。なんだかこの20年くらいで夏の温度、相当におかしなことになっている実感がある。

前にも書いたことだけれど、シンガポールの初代首相リー・クアンユーは、「20世紀最大の発明品はエアコンである」

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犬と原稿のことしか書いてないけれど。

犬と原稿のことしか書いてないけれど。

欲をかくとロクなことがない。

ほんとうはきょう、本の原稿を書き終える予定だった。本文ページのみならず、「あとがき」まで一気に書けると踏んでいた。ところが蓋を開けてみると、どうもうまくいかない。考えよりもことばが先を急ぎ、最終章やあとがきにありがちな「とにかく早く書き終えたい!」の焦りだけが前面に出た文章になってしまう。いちおう本文ページは書き終えたものの、週末をはさんで、もう一度あとがきにチャレ

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スマホが携帯しているもの。

スマホが携帯しているもの。

幼稚園のころ、半年ほど入院したことがある。

手術をしたわけでもなく、これといった自覚症状もなく——骨髄採取(移植も?)をして、それは絶叫するほど痛かったけれど——絵本を読んだり、テレビを見たり、看護師さんたちにあそんでもらったり、割合のんきに暮らしていた記憶がある。退院後、半年ぶりに幼稚園に行くと、担任の先生が号泣しながら「よかったねえ、よかったねえ」と抱きしめてくれた。なにがよかったのかわから

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夏の途中の雑感として。

夏の途中の雑感として。

青い空 セミの雷鳴 入道の雲。

いまオフィスの窓に映るものをことばにしたら、完全な真夏の句になった。セミが苦手なぼくは、セミの外見や手に持ったときにブブブブブブッと抵抗するバイブレーションも苦手なのだけれど、じつはあの声も得意じゃない。セミの命は短い、という先入観があるせいなのか、どうもセミの声は気忙しいというか、生き急いでいる感がある。残りの燃料などおかまいなしに、ガンガン燃焼しまくっている感

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映画泥棒が出てくるとき。

映画泥棒が出てくるとき。

4連休が明けたあとの火曜日である。

いったいこの4連休、自分はなにをしていたのだろうか。考えても考えてもたいした答えは浮かばない。映画を1日2本ずつ観て、あとは寝て、2時間の犬の散歩をしていただけである。ちなみに夜から朝方にかけてぼくが映画を観ている横で犬は、だいたいこんな恰好をしている。

映画といえば最近、つまらないなあ、と思うことがある。

たとえばこの週末、シャーリーズ・セロン主演の『モ

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