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あせらず、急がず、けれども速く。

会社の決算がおわった。

はやいもので、もう6期目の決算である。いまだから白状すると、会社をつくってから半年〜1年くらいは、通帳残高を見るたびに「こりゃあ、相当やべえぞ」と思っていた。鬼神のごとく働かなければ、と焦っていた。焦りの半分は、無知である。あのころのぼくは、この規模の会社を1年回していくのにどれくらいのお金が必要なのか、まったく見当がついていなかった。いまそれがわかっているかと言われればかなり怪しいのだけれど、少なくとも無駄な焦りはなくなった。人が道を転ぶとき、その原因の大半は焦りなのだと、ぼくは思っている。

これ、原稿についてもまったく同じことが言えて、うまく書けていない原稿の大半は、焦った状態で書かれている。なぜに焦るのかと言われれば当然、締切が迫っているからだ。

じゃあ、余裕を持ったスケジュールで悠々と計画的に書いていけばいいじゃないか。たしかにご指摘は正しいのだけれど、原稿を書くには「火」が必要だ。めらめらと、あるいはごうごうと燃える火が、人に本気の原稿を書かせる。そしてスケジュールに余裕があるうちはちっとも火が点いてくれず、いよいよヤバイ、怒られる、殺される、という事態になってようやくお尻に火が灯される。


けっきょくのところ「筆力」と呼ばれるものの正体は、尻がボーボーに燃え盛るなか、焦りに焦った心理状態で取り組みながら、バシッと決まったものを一発で書ける、一筆書きする高僧にも似た力を指すのではないかと、最近思うようになった。そういう場面でこそ、その人固有の文体が立ち現れるのではないかと。

先週来ずっと取り組んでいる推敲。焦って書いたパートが自分の目にもバレバレで、まったくおいらは凡人であるよなあ、と詠嘆している。