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ちゃんと休もうね、みんな。

休みについて考える。

文藝春秋digital で、アナウンサーの有働由美子さんと赤江珠緒さんの対談が掲載されていた。対談のメインテーマは新型コロナウイルス。ご存知のとおり赤江珠緒さんはこの4月、新型コロナウイルスに感染してしばらく仕事をお休みになっていた。

有料会員に限定して公開された記事なので詳細は書けないけれども、ひとつ印象的だったことがある。赤江さんは、PCR 検査の結果「陽性」だと診断されたとき、ショックを受けるよりも先に「ホッとした」のだという。最初に旦那さんが感染。自分自身には微熱程度の症状しかなかったものの、濃厚接触者ということでラジオ番組には自宅からの電話参加。そして自身にも陽性診断が出て「ホッとした」。なぜなら「これで番組を休んだ言い訳が立つ」と思ったからだそうだ。逆にいうと、もしも陰性だった場合には「陽性でもないのに休んでしまった自分」が許せなかったのだろう。


ぼくもフリーランスになってから10年〜15年くらいは「風邪は仕事で治す」くらいの気持ちで生きていた。どんなに熱があっても働いているものだから「そういえばおれ、フリーランスになってから風邪を引いたことがないぞ」なんて勘違いもしていた。いやいや、「病院に行っていない」ことと「病気になっていない」ことは、まったくイコールじゃないんだよ。そう気づくまでに10年以上の歳月を要した。「休む=仕事がなくなる=路頭に迷う」みたいな図式で自分と仕事を捉えていたのだろう。


地下鉄が遅れると、改札口で駅員さんが「遅延証明書」みたいな紙を配っている。多くの学生さんや会社勤めの人たちが、そこに群がり、紙きれを受けとっている。遅刻してしまった理由を口頭で説明しても許されず、なんらかの証明書が必要なのだろう。


休んだり、遅刻したり、そういうことがもっと気軽にできる社会にならないかなあ。まじめであることと休みをとることは、当ったり前に両立するものなんだけどねえ。休むことを許さない社会って、相互監視のストレスが増すばかりで、なんにもいいことないと思うんだよ。

記者会見のネット中継を見て、そんなことを思いました。