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牛丼の雑談。

弊社バトンズでは、雑談が絶えない。

仕事がらみの雑談をすることもあれば、昼ごはんについての雑談もあるし、ツイッターで流れてきたニュースをきっかけに雑談することもある。黙々と書くばかりになりがちなライター業、そのこころの健康を保つうえで、雑談相手がいることをとてもありがたく思っている。

きょうの雑談テーマは「牛丼」だった。

吉野家の牛丼は、おいしい。ワンコインでお釣りがくる値段でありながら、十分においしい。実際きょうのぼくの昼ごはんは、吉野家の牛丼だった(だからこの雑談がはじまった)。こころから「ヨシギュー食いてえ」と思う日はあるし、そのタイミングを逃さず食べる吉野家の牛丼は、たまらなくおいしい。

ところが一方、そうだなあ。たとえば居酒屋チェーン店がランチで提供する「にぎり寿司定食」はどうだろうか。8〜10貫程度のにぎり寿司と、生姜と味噌汁がついて、まあ安くても1000円、多くの場合は1200円くらい。ツーコイン・オーバーだ。「あっ、ひさしぶりに寿司でも食べようかな」と暖簾をくぐり注文したあと、後悔しなかったことがない。うっすらと生臭く、均等に乾きはじめたネタ。場合によってはごはんまで表面が乾いている。ツーコインをオーバーしていながら吉野家より2倍おいしいことなど、ありえるはずもない。「せめて回転寿司にしておけばよかったよ」。勘定を済ませ、漫画にするなら「とほほ」の描き文字が入るような風体でぼくは店をあとにする。


考えてみればこれ、当たり前の話である。

吉野家は別に、なにかの「廉価版」としてあの牛丼を提供しているわけではない。さまざまなコスト削減の努力が図られているとはいえ、基本的にはおいしい牛丼をつくった結果、ぼくらの知る牛丼ができている。

これに対して居酒屋チェーン店などがランチに提供するお寿司は、明らかに「廉価版」だ。おそらくは価格が先に決められ、それに見合う材料と人件費でつくられている。

つまり価格なんてものは唯一絶対の評価基準ではなく、「本物なのか、その廉価版なのか」がモノの価値を決めるのだ。うまい棒やガリガリ君は価格に違わずおいしい。なにかの廉価版ではなく、あれをめざしてつくられた本物だからだ。


……そういう話をしようと思いついたのだけれど、できないままに雑談は回転寿司に流れていった。雑談とは、そういうものである。