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#人生のおかしみと哀しみ
がんと生きる、スリッパが消える
とっ散らかっている。いろんなものが思考の端っこで見切れるみたいに引っかかってプラプラしてる感じ。
どれも「そこにある」のはわかってるのだけど、なぜか手が届かない。
まあ、いい感じではない。
こんなこと書くと「具合悪い?」と思われてしまうかもなのだけど、具合がすごく悪いわけではない。そもそもがoverステージⅣのがん患者なので、とりあえず「変わらず」生きてるだけでいいことなのだ(当社比)。
鳴きながら書きました #呑みながら書きました
ヤギだって泣く鳴く。メェっーたに泣くってないねん。
あ、今回の生牡蠣呑み書きは喜怒哀楽出していいって噂だから。あ、べつに今回に限らずいいんだけど。
何に泣いてるよか。んのんだろう。なんだろう。他社にとかちがえ他者にとかじゃない。どうにもならない自分にだ。
悲しモイのの由来、悲しみの辛い刃、由来ね。悲しみの由来はわかてる。「痛み」だ。ペイン。
痛みがここのことろ常に自分に付きまとってくる。ほ
なんか変だなと思うこと
接客がびよーんと来る。これだと、なんのことかわからない。僕もわからない。
だけど、僕もどうしていいかわからなくなったからここに書いて供養しておきたい。
その日は珍しくリアルのショッピングモールで必要な服を買っていた。
まあ、最近そうかもしれないけど、服でもなんでも圧倒的にネットで買うことが多い。村暮らしだから電車に乗って(いちばん近い駅に歩いて行こうとしたら山を越えてかないと行けない)ルミネ
「身体の声」が聴けない僕たち 「ことばのアトリエ」対話録
僕(ふみぐら)と嶋津さんでつくっている自然発生的なユニットがある。
その名は「ことばのアトリエ」。フランス語のアトリエの源流を辿っていくと「木っ端をつくる者、その場所」という意味がある。
まるで僕らだ。
お互いに「ことばの原木」「ことばにならない断片」みたいなのを持ち寄って、削ったり、磨いたり。そんな作業をふたりの対話、お喋りをとおしてやっている。
だけども、決まった場所、決まった形式では
「嬉しい」は「楽しい」の上位互換だった
最近、嬉しいことがいくつかあった。楽しいじゃなく嬉しい。
こんなこと書くと読みたくなくなる人もいる。基本、人は他人の困難に反応しても他人の良きことにあまり興味はない。なぜか、そういう設定をされてしまってる。
まあ、そういうものだというのもわかった上での話。
ひとつは何年かぶりに、演劇仲間がお見舞いのお酒やら和ケーキやら果物や胡麻油(すごく旨い!)なんかを携えて信州まで訪ねてきてくれたこと。
やりたいことと「欲」は違う
人間は本来無欲なのか。それとも欲まみれなのか。
一般的に人は3大欲からは逃れられないって言う。けど、ほんとにそれが「欲」なのかはよくわからない。
その点、動物は欲のまま欲にストレートに生きてるなって思われがち。
でもよく見てると、欲というより「生きるため」な感じがすごくする。人間が勝手に「欲」と思ってるだけで。
もし生きることそのものが欲なのだとしたら、地球上でもっとも欲深いのは動物ってこ
病人だけど元気です #呑みながら書きました
普段、いいわけ手しないんだ。言い訳。意識してしないようにしてるでもなくて、なんか出て来ない。だからって星人君子じゃないよ。
いや、あのそのこれに貼り油が、リゆが理由がありまして。って言いたくなることはもちろんある。たまに。けど、それは本当に理由というか、相手に伝えないと相手にも不利益を与えてあいまいそうな場面に限られてる。
って、こんあこと書いてる時点で言いわけじゃね? noteの処刑じゅやな
アホな経験で文章がうまくなるのか
いまから思えばアホだった。硝子の少年時代。たぶんこの表現通じないな。
あ、「アホ」という表現というか言葉も人によって受け取り方が違うと思う。
大阪弁関西弁ワールドの「アホちゃう」「アホほど~する(めちゃくちゃたくさんの意味)」のニュアンスが伝わると「アホだった」もなんとなく伝わるんだけど。
なんだろう。どこか自分を突き放して客観視したときの「アホさ」みたいなもの。
自分で自分を「アホやなぁ
結論「旦那いらない」
女子更衣室のロッカーに潜んで話を聞いてるみたいだった。いや、実際そんなことはしないけど。比喩。ほんとにしないよ。
なんか言葉を重ねると余計に怪しくなるので困る。まあでも、それに近いシチュエーションには毎回なるわけで。
なんでかというと通院での治療センター(化学療法なんかの患者専用の一角が病院にある)がそうだから。
カーテンで仕切られた半個室みたいなとこで、ビジネスクラスみたいなシートに沈んで